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Channel: スチャラカでスーダラな日々
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佐藤忠男解説 内容抜粋

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狐憑き人間が、人間の主人は自分たち人間自身だと考えるようになったのは、ごく近年だと思う

それまでは、人間の主人は神だと考えてきた
それがわずか数百年ぐらいで頭の切り替えができるはずもない

国家を主人と考えたり、国家の主人である特別の人間は神さまと同じ存在だと考えようとしたりしてきた
だが、人間の主人はやはり“自分”なのだ

人類の歴史から考えると、キツネ・タヌキに化かされるとか、国家に身も魂も捧げるべきだとか
ご先祖さまに見守られて生きているとか、道に背けばバチが当たるとかのほうがずっと心に馴染んでいる

自分のことは自分で自由に決めると考えるには勇気がいるのだ

眉村の書く“借体生物”には実態がない 狐憑きみたいなものだ

人間は、決意し、努力しなければ自分自身の主人にはなれない

「閉ざされた時間」の良平たちのように、人間は自ら苦しむことのできる唯一の生物なのだ
そしてたぶん、自ら苦しむことを恐れない者が、はじめて自身の主人になることができる
これは素晴らしい発見ではなかろうか

自分が自分でなくなる、という恐怖は、眉村の小説に繰り返し現れる
これは人間が古くから抱き続けてきた恐怖の、現代的な現れだ

空想科学小説は、科学が発達すると、驚くべき未来が開けるという興味に応える読み物として現れた
しかし、むしろ逆らしい、と人々が気づくより早く、空想科学小説は変貌した

神や悪魔などを信じなくなった人々のかわりに、未来科学を扱うことで
人間が本当に自分の主人になるとはどういうことなのか、を問う文学になったのだ

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