今から35年前の1981年7月31日にソ連で見られた皆既日食は、ハバロフスクの北で2分24秒の最大接触が見られました。この最大接触を正午中心食と言います。つまり地球上で最も太陽に近い天頂方向に見える地点のDATAです。
東西冷戦の中、ソ連への渡航制限がありました。日本人は皆既日食が見られた樺太へも行けず、稚内の宗谷岬で84.74%の部分日食を観測した将来の日食ハンターも多かったです。
それでも冷戦下のソ連に遠征して観測された方々がいました。日食情報センターの記録によると、シベリア西部のポリサエボに18名、タルマに97名も行かれたそうです。学校が夏休みなので、多くの教員・学生が遠征しました。高校の天文部が海外遠征をしたのは、この日食が初めてだそうです。
その頃の私は中学生だったので、実家のある青森県弘前市で観測せざるを得ませんでした。ちょうど夏休みだったので、天頂方向を見上げながら今では危険な観測とされているロウソクのススであぶったガラス越しに約75%欠けた部分日食を観察していました。これが初めての日食観測です。
弘前部分日食のDATA
40° 59´ 59.8" N △T=52.0s
140° 46´ 55.5" E
Magnitude at mid eclipse : 0.735%
Moon/Sun size ratio : 0.6724
Event Date Time (UTC+9) Alt Partial
(C1) : 1981/07/31 11:46:04.9 67.7° 0.00%
(MAX) : 1981/07/31 13:11:05.2 61.0° 0.735%
(C4) : 1981/07/31 05:09:24.6 48.2° 0.00%