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天王星の日面通過

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天王星の日面通過
海王星における天王星の日面通過 (46915年8月6日23時14分のシミュレーション)

海王星における天王星の日面通過とは、天王星が海王星と太陽のちょうど間に入り、海王星から見ると天王星が太陽のごく一部を覆い隠しながら黒い円形のシルエットとして通過して行くように見える天文現象である。天王星と海王星、これら2つの惑星軌道の相互傾斜は1.5度しかない。

天王星が太陽面を通過する継続時間は、約24時間。この現象は、惑星の中での日面通過で最も珍しい現象である。発生は、紀元前125000年から125000年の25万年間で2回しかない。次回は111551年8月16日に起こる。見かけの移動速度が極めて遅いため、通過にはほぼ1日かかる。

海王星における天王星の日面通過が起こる日

日付は通過の開始時刻基準。時刻はUTC。

日付開始時刻最大食終了時刻通過時間太陽の視直径最小角距離
111551年 8月16日23時31分09時22分22時48分0日23時間17分
0.0088°
0.0072°
124067年11月21日08時24分21時22分13時55分1日05時間31分
0.0088°
0.0061°

その後の冥王星

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冥王星のさらに詳細な画像集

Pluto & Pluto冥王星探査機「ニューホライズンズ」の冥王星最接近から早くも半年が経過した。観測データはまだ数十パーセントしか送信されてきていないものの、公開される画像やデータはどれも大きな驚きや新たな謎をもたらしてくれる。

冥王星の赤道付近にあるハート形の領域は、非公式に「トンボー領域」と呼ばれている。これはニュー・ホライズンズのチームにより、非公式ながら「Sputnik Planum(スプートニク平原)」と呼ばれている。1957年にソヴィエト連邦が打ち上げた世界初の人工衛星にちなんでいる。この形がディズニーのキャラクターであるプルートと輪郭がそっくりなのも驚きだ。

【惑星の旅】 冥王星 冥王星が語る新しい太陽系

冥王星の青空

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New Horizons Finds Blue Skies and Water Ice on Pluto 「冥王星の青空」

冥王星に青空NASAは2015年10月8日、無人探査機「ニューホライズン」が撮影した冥王星の画像を処理し、肉眼で見た時の色を再現した画像を公開した。冥王星の表面をおおっているモヤが青く光っており、NASAは「ニューホライズンが冥王星の青空を見つけた」と発表している。

NASAは無人探査機「ニューホライズン」の観測で、冥王星が厚さ約130キロのモヤで覆われていることや、冥王星の表面を氷河が流れるように移動することを発見した。ニューホライズンは、冥王星に「水の氷」で覆われた部分があることも発見した。

冥王星をおおうモヤは、紫外線でメタンが分解されて放出されたガスが主成分だとみられる。地球の青空は、大気中の微粒子が太陽光に含まれる青い波長の光を散乱させることで生じた。今回見つかった「青空」は、冥王星の大気に含まれる微粒子の大きさや組成を知る手掛かりになると期待されている。

日没の冥王星

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スプートニク平原と3500m級の山々
スプートニク平原と3500m級の山々

地表から立ち上る「もや」が見える探査機「ニューホライズンズ」の冥王星最接近から15分後に撮影された高解像度の画像が公開された。冥王星のすぐそばにいると錯覚しそうなほどの迫力で、凍った山々や窒素の氷河、低く幾重にもたなびく「もや」などが見えている。地球の水循環に似た現象が冥王星でも起こっていることがわかる。

2015年7月14日に冥王星に最接近した探査機「ニューホライズンズ」は膨大な撮影データを少しずつ地球に送信中で、今回公開された画像は2015年9月13日に地球に届いたデータから作成されたものだ。冥王星の明暗境界付近に広がる様々な地形が圧倒的な迫力で写しだされており、地表付近から100km以上の上空まで10層以上にも分かれている層状の「もや」もはっきりと見える。

巨大なスプートニク氷原の東側にある明るい領域は、窒素の氷で覆われていると考えられている。スプートニク氷原の表面から氷が蒸発し、それが東側に蓄積したようだ。別の画像からは氷に覆われた領域から氷原に向かって氷河が流れ込んでいることも明らかになっており、その流れ方はグリーンランドや南極大陸の氷冠の縁に見られるものに似ている。地球では海水が蒸発して雪となって降り、さらにそれが氷河の流れとなって海へ戻るという水の循環があるが、冥王星では窒素が循環しているとみられる。

スプートニク平原とノルゲイ山地
スプートニク平原とノルゲイ山地

冥王星に氷の山脈

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【BBC】冥王星の地表に氷の山脈 9年半かけて誤差はわずか72秒

氷火山と思われる山の立体画像「ニューホライズンズ」による冥王星の観測データから新たに、幅数十km、高さ数kmという巨大な山が2つ見つかった。どちらも氷火山とみられている。おそらく地質学的な意味で最近まで活動していたと考えられ、火口からは水の氷や窒素、アンモニア、メタンなどの混合物が噴出すると推測されている。

「氷火山というのはまだ仮説に過ぎませんが、もし本当にそうなら、頂上にあるくぼみは地下から噴出した物質が崩れてできたもののはずです。一風変わった山の側面にある輪状地形は、ある種の火山流によるものかもしれませんが、なぜ輪状なのか、一体どんな物質で構成されているのかは不明です」(研究チーム Oliver Whiteさん)。

ニューホライズンズ・ミッションは、魅力的な冥王星の衛星とその変わった特徴にも光を当てている。たとえば、月を含め太陽系内のほぼすべての衛星は自転と公転が同期しているが、カロンを除いた冥王星の4つの小衛星は自転のほうがはるかに速いことがわかった。最も外側の衛星ヒドラは、冥王星の周りを一公転する間に89回自転する。また、カロンの影響で小衛星の自転速度が変化するとも考えられている。

更に4衛星のうちいくつかが、2つ以上の天体の合体から生まれたこともデータから示唆されている。「冥王星は過去にもっと多くの衛星を従えていたのではないかと思われます。大きな衝突の結果、カロンが作られたのでしょう」(SETI研究所 Mark Showalterさん)。

新データからは、冥王星の上層大気が著しく冷たくコンパクトで、冥王星の大気が宇宙空間へ逃げ出す割合は従来の説より3桁以上も低いこともわかった。冥王星からの大気散逸プロセスは彗星に似ていると考えられてきたが、地球や火星で起こっているメカニズムと同じであるようだ。

冥王星に氷の火山発見!? NASA探査機「ニュー・ホライズンズ」

冥王星のクレーター

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冥王星のクレーター分布図
冥王星のクレーター分布図 両サイドの赤紫色っぽい領域はクレーター分布地図の未作成領域

驚くべき発見は他にもある。冥王星の地質学的な年代が、古いものから中期、比較的若いものと広範囲に及んでいることだ。天体の表面の年代決定に用いられるクレーター計数から、冥王星には約40億年前という、太陽系の惑星形成直後にまでさかのぼる古い表面の存在が示されている。その一方で、全くクレーターの見られない広大な領域「スプートニク平原」は過去1000万年以内に形成されたと考えられている。さらに最新のクレーター計数データによって、冥王星上に中期に当たる年代の地形も発見された。冥王星は40億年以上の長い歴史を通じて、地質学的に活発だったということだ。

クレーター計数は、カイパーベルトそのものの構造にも洞察を与えてくれる。冥王星と衛星カロンに小さなクレーターが少なすぎることから、モデルの予測よりも小さな天体が少ないと考えられるのだが、そうすると幅1km程度の小天体が集まってカイパーベルト天体が形成されたとする長年のモデルに疑問が生じる。幅数十kmのカイパーベルト天体は直接形成された、というモデルが支持されることになる。

多くのカイパーベルト天体が現在の大きさで誕生したのかもしれないというのは、研究者にとっては実にエキサイティングだ。ニューホライズンズの次のターゲットである、幅40~50kmのカイパーベルト天体「2014 MU69」の探査によって、ひょっとすると太陽系を形成する元となった原初の天体の姿が初めて見える可能性もある。

Pluto flyover: Norgay Montes, Sputnik Planum and Cthulhu Regio

2014 MU69

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New Horizons 2014 MU69 Flyby (Trailer)

ハッブル宇宙望遠鏡による2014 MU<sub>69</sub>(緑色の円)の発見2014MU69 は、ニュー・ホライズンズのフライバイ探査の対象となったエッジワース・カイパーベルト天体である。ニュー・ホライズンズのチームにはPT1、ハッブル宇宙望遠鏡のチームには1110113Yとも呼ばれる。2015年8月、2019年1月にフライバイが行われることが決まった。

2014年6月26日、ニュー・ホライズンズの探査に適したエッジワース・カイパーベルト天体の予備探査の際に2014MU69 は発見された。視等級26は強力な望遠鏡を用いても暗すぎるため、発見にはハッブル宇宙望遠鏡が必要であった。ハッブル宇宙望遠鏡は非常に正確な天文測定が可能で、そのため信頼できる軌道決定が可能であった。

その光度と距離から、2014MU69 の直径は30-45kmと推定されている。軌道周期は約293年で、軌道傾斜角及び軌道離心率は小さい。この軌道は、この天体が冷たいキュビワノ族天体【海王星の軌道と交叉しない軌道を持つ太陽系外縁天体】であることを示している。2015年5月と7月の観測で軌道の不確実性が大きく下がったが、MPCやJPLのデータベースには未だに登録されていない。

ニュー・ホライズンズが冥王星のフライバイに成功した後、少なくとも1つのカイパーベルト天体をフライバイするために操作が行われた。この初めてのフライバイの候補として考えられている天体はいくつかあった。最終的に2014MU69 は、若干大きいが到着により燃料を必要とする2014PN70 を押さえて探査の対象に選ばれた。ニュー・ホライズンズは2019年1月1日に、太陽から43.4AUの地点で2014MU69 に最接近する予定である。

2014 MU69の軌道
ニュー・ホライズンズの軌跡と冥王星及び2014MU69 の軌道

テュケ

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テュケの遠距離軌道
テュケの遠距離軌道

テュケの想像図科学者たちは、太陽系内に新たなる9個目の惑星を発見したと確信している。その惑星は木星の4倍もの大きさがあり、今まで発見されなかったのは、太陽と地球間の数千倍という遠距離軌道を回っていたためとされている。その惑星は、太陽系を取り囲むように存在している小天体群「オールト星雲」の周辺にあるそうで、惑星の名前を「Tyche(テュケ)」と言う。Nasaは宇宙望遠鏡「ワイズ」で証拠データを既に収集しており、現在は詳細な調査が行われている。

イジアナ大学のダニエル・ウィットマイアー教授は、2年以内には「Tyche」の存在が証明されるのではないかと見ているそうだ。ウィットマイアー教授は、この惑星は水素とヘリウムによって構成されており、木星と同じような環境で、リングと雲を持っていると推測している。推定温度は-73度であろうとも。ちなみに命名された「テュケ」とは、ギリシア神話に出てくる女神の名前で、姉妹にネメシスを持つ。

テュケとの比較
テュケとの比較

テュケー

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テュケの想像図
テュケの想像図

テュケとの比較テュケー (Tyche) は、太陽系のオールトの雲の領域を周回していると予測された仮説上の天体で、惑星もしくは惑星質量天体である。1999年に、ルイジアナ大学のジョン・マティス (John Matese) が提唱した、仮説上の天体である。また、太陽の未発見伴星ネメシスの提唱者のダニエル・ホイットモア (Daniel Whitmore) も、この学説を強力支持し、予測を立てていた。2010年11月の科学雑誌『イカルス』掲載の論文にて、より詳しい予測が発表された。

論文では長周期彗星の軌道を計算した結果、太陽から15,000天文単位(2兆2440億km、0.24光年ほど)ぐらいのところに、木星もしくはそれ以上の質量の天体が、180万年ほどの周期で、太陽を周回していると予測された。この距離はオールトの雲の領域にあたる。褐色矮星の可能性も指摘されていたが、最新研究では大まかなところ木星の4倍ぐらいの質量で、大きさは木星と同じぐらいと想定されていた。ケルビン・ヘルムホルツ収縮の式により、表面温度は -73℃ (200K) と推定された。

過去の観測では、1983年のIRASの赤外線探査により、太陽より10,000天文単位以内に、太陽以外に、木星の5倍以上の質量の天体がないという探査結果が明らかにされていた。2009年12月14日に打ち上げられた広域赤外線探査衛星 (WISE) の探査と、2012年3月の全データ公開により、存在の有無が明らかになることについて、期待する科学者もいた。しかし後の研究では、WISEの観測データから太陽より26,000天文単位以内に新たな木星質量以上の天体は存在せず、また10,000天文単位以内では土星質量の天体も存在しないとの結果が公表されている。

テュケの遠距離軌道
テュケの遠距離軌道

テイア

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地球と火星の大きさ比較
地球と火星の大きさ比較

月が形成される模様の想像アニメーション(このアニメーションでは地球を固定している)テイア(英: Theia)は、ジャイアント・インパクト説において、およそ45億年前に原始地球に衝突し、そこから現在の地球と月が誕生したと考えられている太陽系の仮説上の原始惑星である。その名は、ギリシア神話における、月の女神セレネの母テイアに由来する。ジャイアント・インパクト説から推定として、火星(直径6794km)とほぼ同じサイズだったと考えられている。

ジャイアント・インパクト説では従来その由来については不明確であったが、近年、原始地球-太陽の系のラグランジュ点 L4またはL5で形成され、質量が増すに連れて軌道が乱れ、原始地球に接近してついに衝突したという説がとなえられている。

衝突によりテイアは破壊され、その破片の大部分は無色鉱物に富んだ地球のマントルの大量の破片とともに宇宙空間へ飛び散った。テイアの鉄のコア(中心核)の大部分はすぐに原始地球に落下してその一部となり、これで今日の地球が大きな鉄のコアを持つことになった。衝突は正面衝突ではなく斜めに衝突したためにかなりの量の破片が地球の周囲を回る軌道上に残った。軌道上の破片は一時的に土星の環のような円盤を形成したが、やがて破片同士が合体していき月が形成されたと考えられている。

月が形成される模様
月が形成される模様

ジャイアント・インパクト説

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Animation of a GIANT impact

テイアの衝突ジャイアント・インパクト説とは、地球の衛星である月がどのように形成されたかを説明する現在最も有力な説である。衝突起源説とも呼ばれる。

この説では月は原始地球と火星ほどの大きさの天体が激突した結果形成されたとされ、この衝突はジャイアント・インパクトと呼ばれる。英語ではBig Splash や Big Whack と呼ばれることもある。原始地球に激突したとされる仮想の天体はテイア(Theia)と呼ばれる。ジャイアント・インパクト説によると、地球が46億年前に形成されてから間もなく火星とほぼ同じ大きさの原始惑星が斜めに衝突したと考えられている。
月が形成される模様の想像アニメーション(このアニメーションでは地球を固定している)
原始惑星は破壊され、その天体の破片の大部分は無色鉱物に富んだ地球のマントルの大量の破片とともに宇宙空間へ飛び散った。破片の一部は再び地球へと落下したが、正面衝突ではなく斜めに衝突したためにかなりの量の破片が地球の周囲を回る軌道上に残った。軌道上の破片は一時的に土星の環のような円盤を形成したが、やがて破片同士が合体していき月が形成されたと考えられる。

現在のコンピュータシミュレーションによる推定では、このような場合では1年から100年ほどで球形の月が完成するとされている。また最近のシミュレーションでは、月が一つにまとまるまでの時間は早ければ1ヶ月ほどだとする結果が出ている。誕生したばかりの月は地球から僅か2万kmほどのところにあり、それが徐々に地球との間の潮汐力の影響で地球から角速度を得て遠ざかり、現在のように地球から平均38万km離れた軌道まで移動したと考えられている。またこの影響で、月が誕生した当初は1日5時間から8時間ほどだった地球の自転速度が現在のような1日24時間の速度になったとされる。

このような衝突があったとする証拠は、アポロ計画で採取された月の岩石の酸素同位体比が地球のマントルのものとほとんど同一だったことである。化学的な調査の結果、採取された岩石には揮発性物質や軽元素がほとんど含まれていないことが分かり、それらが気化してしまうほどの極端な高温状態で形成されたという結論が導かれた。月面に置かれた地震計(月震計)からニッケルや鉄でできた核の大きさが測定され、地球と月が同時に形成されたと考えた場合に予測される大きさに比べて実際の核の大きさが非常に小さいことが分かった。核が小さいということは衝突により月が形成されたとする説の予測と一致する。それは、この説では、月は大部分が地球のマントル、一部が衝突した天体のマントルから形成され、衝突した天体の核から形成されたわけではないと考えられるからである。ジャイアント・インパクト直後には地球は全体が高熱になりマグマの海が形成されたと考えられており、衝突した天体の核は融けた地球の深部へ沈んでいき地球の核と合体したと考えられている。

月が存在するということ自体以外のこの事件の主な痕跡は、研究者によると、地球が明るい色の無色鉱物や中間的な岩石のタイプを地球表面全体を覆うほど十分には持っていないという事実である。このために、地球には無色鉱物に富んだ花崗岩などの岩石からできている大陸と、大陸より暗い色でより金属に富んだ有色鉱物に属する玄武岩などの岩石からできている海という窪地があるのである。この構成の違いに加えて、水の存在が地球に広範囲に渡る活発なプレートテクトニクスを存在させることになった。さらに地球の自転軸の傾きと初期の自転の速さも、いわゆるジャイアント・インパクトによって決まったと考えられている。

ジャイアント・インパクトのような出来事があった場合に本当に月のような天体ができるのかどうかは、コンピュータシミュレーションにより検証されている。ジャイアント・インパクトの計算は重力多体問題と呼ばれる計算の一種で、破片が相互に重力的影響を及ぼしあうことから非常に計算量が多く、コンピュータには高い性能が要求される。しかしコンピュータの技術の進展により、1980年代後半から重力計算専用のスーパーコンピュータによりシミュレーションでのジャイアント・インパクトの実証ができるようになってきた。その結果、パラメータを上手く設定すると実際に月のような衛星の形成が起こりうることや、地球の自転軸の傾きなどを再現できることが示された。現在では扱う破片の数を増やすなどして、さらに精度の高いシミュレーションの試みが続けられている。

ジャイアント・インパクト
ジャイアント・インパクト

ディスカバー打ち上げ

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DSCOVR Launches Aboard SpaceX Falcon 9

ディスカバー軌道ディープ・スペース・クライメイト・オブザーバトリー(Deep Space Climate Observatory)、ディスカバー(DSCOVR)は、太陽フレア、プロトン現象など太陽表面の変化を観測するアメリカ海洋大気庁(NOAA)の人工衛星(太陽周回軌道)である。スペースX社のファルコン9 v1.1型ロケットによって2015年2月11日にアメリカ合衆国のフロリダ州ケープ・カナベラルから打ち上げられた。

1998年、当初は温暖化に関する地球観測の目的で当時のアル・ゴア副大統領の強い働きかけによりアメリカ航空宇宙局(NASA)で衛星が開発された。地球から太陽方向に約 150万km離れた太陽-地球 ラグランジュ点 L1をリサジュー軌道を描きながら周回する。変動する太陽風の状態をモニターすることでコロナ質量放出への早期警戒情報を提供し、オゾン、大気中微粒子、ちりと火山灰、植生と気候の変化を含む地球上の現象の観測も行っている。この観測点は、太陽と地球の日の当たる側が常に見えており、観測に都合が良い。地球から見た太陽と衛星の角度を 4から 15度の間で変化しながら、6ヶ月周期でL1点の周辺を軌道に乗って回り、同時に地球と同じ公転周期で太陽を周回する。衛星は2時間ごとに地球の全球画像を撮影して、他の地球観測衛星よりも早く調べることができるとしている。

ディスカバー(図解)
ディスカバー(図解)

月と地球の2ショット

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Deep Space Climate Observatory

月が地球の周回軌道を横切っていく米航空宇宙局(NASA)は2015年8月5日、深宇宙気候観測衛星「ディスカバー」が先月撮影した地球から160万キロ離れた宇宙から撮影した月越しに眺めた地球の写真を公開した。

地球の衛星である月は、38万キロ離れた地球の上空を約27日周期で公転しているが、月自身の自転周期も27日であるため、地球には常に同じ側しか見せていない。1959年に旧ソ連の月探査機「ルナ3号」が月の裏側の写真を撮るまで、我々地球人は月の裏の顔を見たことがなかった。

NASAの研究チームによると、地球と太陽の間を周回しているディスカバーは、年に2回、月の軌道を横切るチャンスがあり、この画像を7月16日に撮影した。NASAのホームページで公開された動画を見ると、月が北米大陸の西側の太平洋を横切っていくようすがわかる。研究者は「月に比べると、地球ははるかに明るいことに驚きます。まさに月のダークサイド(闇の部分)ですね」と話している。

地球の表面上を通過する月
地球の表面上を通過する月(2015年7月16日)

ルナー・リコネサンス・オービター

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Lunar Reconnaissance Orbiter Apollo Landing Site Images 2011 NASA Goddard

LRO打ち上げルナー・リコネサンス・オービター (Lunar Reconnaissance Orbiter, LRO) は、アメリカ合衆国の月周回無人衛星。アメリカは2004年に新宇宙政策を発表し、2020年頃の有人月探査実施、その先の有人火星探査の検討に着手すると宣言した。LROはその政策に沿ったアメリカの月への動きの具体的な第一歩となる。

LROは月面からの高度50kmの極軌道を周回。搭載されたカメラ(LROC)は最高で50cmという驚異的な解像度を誇り、科学的探査よりは、有人月探査に向けた着陸点選定のための基礎資料収集といった将来的な探査に向けた情報収集を狙う。

2009年7月11~15日にかけて、アポロ計画の着陸地点を撮影し、アポロ11号、14号、15号、16号、17号の着陸船や足跡などの写真を撮影することに成功した。この写真はまだ軌道修正中の時期に撮影したため、解像度は1mとなっている。9月30日にはサーベイヤー1号の着陸地点を撮影し、探査機の撮影に成功した。

2010年9月7日、月面において初となる「天然の橋」の確認・撮影に成功。公開された画像は、一方のくぼみから入って橋の下を通過した光が、他方のくぼみの底に映っているものである。クレーターを形成した隕石の衝突熱で岩が溶解して形成されたものと考えられている。

2011年9月6日、NASAはLROのLROC(LRO Camera)で撮影したアポロ12号、14号、17号の着陸地点の写真を公開。高度を50kmから21kmにまで下げて撮影したため、2009年7月に撮影した写真よりも解像度が高い写真が得られた。この写真には、宇宙飛行士が月面探査の際に残した足跡や、ムーンバギー(月面探査車)が残した平行な2本線の轍の軌跡、月面に残してきた観測装置ALSEP(Apollo Lunar Surface Experiments Package)が写っていた。

NASA | Peeking Into Lunar Pits

LROが捉えた満地球の出

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La Terra sorge sulla Luna: lo scatto mozzafiato della Nasa. New High-Resolution Earthrise

LRO搭載機器米航空宇宙局(NASA)は2015年12月18日、月探査「ルナー・リコネサンス・オービター」(LRO)が撮影した、美しい「満地球の出」の画像を公開した。

全面に光が当たって輝く地球(「満地球」と呼ばれる)が月の地平線から昇ってくる光景は、息を呑むほど美しい。画像には大西洋を中心に、アフリカ大陸や南米大陸などが見えている。

このような「満地球の出」は、月を周回する衛星からしか見ることができない。たとえばアポロの宇宙飛行士のように月面上に立つと、地球は絶えずほぼ同じ位置に見えることになる。

この画像は、LROに搭載されているナロー・アングル・カメラ(NAC)とワイド・アングル・カメラ(WAC)によって撮影された複数の画像を合成して作られた。NACは高い解像度の画像を撮ることができるが、白黒でしか撮影できない。一方、WACは低い解像度ではあるものの、カラー画像を撮影することができる。この両者の特性を活かし、NACで撮影された画像に、WACの色情報を付け足すことで、この美しい画像は作成されたという。

NROは2009年に打ち上げられた月探査機で、最高で50cmという高い分解能のカメラを使い、月面を詳細に探査することを目的としている。これまでに月面の地形など、詳細な地図の作成や、月の永久影の探査などで活躍し、またアポロ計画で月に着陸した宇宙船の残骸や、宇宙飛行士が月面を歩いた足跡なども撮影している。

LROが捉えた満地球の出
NASAの月探査「LRO」が捉えた美しい「満地球の出」

The Blue Marble

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The Blue Marble
The Blue Marble by LRO

Black Marbleザ・ブルー・マーブル(英:The Blue Marble)は、1972年12月7日にアポロ17号の乗組員によって、地球から45000kmの距離から撮影された地球の写真である。英語で「青いビー玉」を意味する。宇宙飛行士からは、地球がまるで子供が遊ぶガラスのビー玉のように見えたため、これが写真の題名となった。「ザ・ブルー・マーブル」は、現存する写真の中で世の中に最も広まった写真である。また、宇宙飛行士が太陽を背に撮影した、完全に輝く地球を捉えた数少ない写真でもある。

アポロ17号が打ち上げられた12月7日12時33分(東部標準時)は、宇宙船が月へ旅立ってまもない間はアフリカが昼間であることを意味していた。12月の至点の域にも達していたため、南極も明るく照らされていた。写真が撮られたのは宇宙船の発射後およそ5時間6分後の5時39分(東部標準時、協定世界時では10時39分)で、宇宙船が月の軌道に乗り始めるため地球周辺の中継軌道を離れてから、およそ1時間48分後のことであった。

撮影者は80mmのレンズを有するハッセルブラッドカメラ70mmを使用した。NASAはこの撮影の功績を称えるとして、アポロ17号全体の乗組員の名をクレジットとして挙げた。乗組員のユージン・サーナン、ロナルド・エヴァンス、ハリソン・シュミットは、全員がこのアポロ計画でハッセルブラッドカメラを使用して地球の写真を撮影した人物である。シュミットは後にこの著名なザ・ブルー・マーブルを自身が撮影したものであると訴えたが、未だに誰が撮影者であったかは正確に立証されていない。

The Blue Marble
The Blue Marble

地球の出

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地球の出 アポロ宇宙船から見た地球

地球の出の切手地球の出(Earth rise)とはアポロ8号ミッション中の1968年に宇宙飛行士ウィリアム・アンダースが撮影した地球の写真である。「史上最も影響力のあった環境写真」として知られ、様々な環境運動のアイコンとなった。

アポロ8号は人類初となる有人の月周回飛行を行った。「地球の出」とはこのミッション中の1968年12月24日に月の周回軌道上からウィリアム・アンダースがハッセルブラッド社のカメラで撮影した写真(NASA image AS8-14-2383)に与えられた名前である。直前に船長のフランク・ボーマンが白黒写真でこの光景を収めており、その後アンダースが70mmのカラーフィルムを見つけた。ボーマンの写真は地球の明暗境界線が月の地平線に接しているという違いはあるが、大陸の位置と雲の模様はカラーの「地球の出」と同じものだった。

1968年12月24日に撮影された「地球の出」
1968年12月24日に撮影された「地球の出」

YMO

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日めくりタイムトラベル-昭和55年「YMO」

YMOイエロー・マジック・オーケストラ(Yellow Magic Orchestra)は、1978年に結成された日本の音楽グループ。略してYMO。YMOはテクノポップと呼ばれるジャンルを代表するグループである。

イエロー・マジック・オーケストラという名称は、細野が70年代後半に提唱していたコンセプトである「イエローマジック」から来ている。これは白魔術(善や白人などの象徴。特に白人音楽)でも黒魔術(悪や黒人などの象徴。主に黒人音楽)のどちらでもない黄色人種独自の音楽を作り上げるとして、魔術の色を人種の色にかけて提唱したのが「黄色魔術」(イエローマジック)である。細野がYMO以外で「イエローマジック」の名前を使用しているものとしてはティン・パン・アレーの曲「イエロー・マジック・カーニヴァル」、細野のアルバム『はらいそ』の作成者名義「ハリー細野とイエローマジックバンド」が挙げられる。また坂本のアルバム『千のナイフ』のライナーノーツの細野の寄稿文でも、イエローマジックについての記述がある。

1980年代初頭に巻き起こったテクノ/ニュー・ウェイヴのムーブメントの中心にいたグループの一つであり、シンセサイザーとコンピュータを駆使した斬新な音楽で、1978年に結成されてから1983年に「散開」(解散)するまでの5年間で日本を席巻した。活動期間中には米国等でのレコードリリース、及びコンサートツアーも行っている。英語圏で著名な日本人ミュージシャンでもある。1993年に一時的に「再生」(再結成)しており、また2007年にも再々結成している。

YMO by カルトQ@TV On-Air(1993年3月14日)

YMO

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THE END OF ASIA - YMO 1979 LIVE at THEATRE LE PALACE

YMO当時、シンセサイザーやコンピュータを駆使した音楽としては既にドイツのクラフトワークが有名であったが、それらの技術を用いた音楽はまだ珍しい時代であった。そんな中で現れたYMOの音楽は、日本において当時の若い世代を中心に熱狂的に受け入れられた。そのためYMO結成、そしてクラフトワークの「人間解体」発売、同じくシンセサイザーを多用したディーヴォの「頽廃的美学論」の発売された1978年を「テクノ元年」と呼ぶ者も存在する。

また英米・英語圏の音楽界に対しても少なからぬ音楽的影響力を残しており、例えば「U・T」(アルバム『BGM』収録)はトランス・テクノ、「RIOT IN LAGOS」(厳密には坂本のソロ『B-2 UNIT』の曲だが、1980年の第2回ワールド・ツアーのオープニングで演奏された)はヒップホップのそれぞれ始祖であると、後に英米で評されている。

YMOはそのファッションも特徴的であった。特に初期のアルバムジャケットやライヴでメンバーが着用していた「赤い人民服」(高橋のデザインによる、明治時代のスキー服をイメージした衣装であったが、その形状が中華人民共和国の人民服と似ていたために、一般的に「赤い人民服」と呼ばれるようになった)、そしてすっきりとした短髪、かつもみあげの部分を剃り落とす、当時の若者の間でも流行した「テクノカット」と呼ばれる髪型(特に、初期では刈りあげ+もみあげ無し)の2つは、YMOのビジュアルイメージとして一般に広く認知されている。

YMO The End of Asia

TONG POO

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TONG POO - YMO 1979 LIVE at THE GREEK THEATRE

TONG POO東風(Tong Poo)は坂本龍一の代表作の一つ。初収録は1978年にリリースされたイエロー・マジック・オーケストラ(以下、YMO)のアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』。坂本が北京交響楽団をイメージして書いた曲である。当時文化大革命後に毛沢東の詩に曲をのせたレコードを購入し、その中に気に入った曲があり、参考にしている。

アメリカでリミックスされた『イエロー・マジック・オーケストラ (US版)』では"Yellow Magic"と改名され、吉田美奈子のヴォーカルが中間部に加えられた。このヴォーカルはアルバム制作時にすでに収録されていた模様で、日本向けプロモーション用・海外12インチシングル用の「Special DJ Copy」ヴァージョンでは吉田のヴォーカルがミックスされている。

イギリスではシングルカットされていたため、YMOのロンドンライヴでは盛り上がった。『パブリック・プレッシャー』のバージョンはロンドンでのライヴの音源であるため、盛り上がり方が確認できる。

曲のタイトルはジャン=リュック・ゴダール監督の映画「東風」から取られている。詳細は「ゴダール3部作」を参照。また、当時メンバーの行き着けの中華料理店の店名でもあった。坂本のアルバム『BTTB(通常版)』ではピアノ連弾によるセルフ・カヴァーが行われている。

TONG POO - YMO 1979 LIVE at HURRAH
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