November 25, 2015, 1:00 am
サディスティック・ミカ・バンド Big Bang Bang 2006年、加藤和彦、高中正義、小原礼、高橋幸宏の4人に木村カエラ(ボーカル)を加えて、Sadistic Mica Band Revisitedとして再々結成。このメンバーでキリンラガービールのテレビCMに出演し、CMには新しく録音された「タイムマシンにおねがい」が使用された。フルバージョンで聴きたいという希望が多かったため、着うたとインターネットで音楽配信されることが決定。iTunes Music Storeの配信ランキングで1位を獲得するなどの記録を残した。
2006年8月30日、ライブ形式の無料PV撮影会を行う。10月25日にはアルバム『NARKISSOS』を発表。この際に、バンド名のアルファベット表記を、カエラの名前を入れたSadistic
Mikaela Band(カナ表記はそのまま)としている。
2007年3月8日、NHKホールにおいて、ミカバンド名義としては18年ぶりのライブを行った。引き続き木村カエラがボーカルとして参加した他、アンコールにはカエラや小原との親交が深い奥田民生がゲストとして登場。同年秋には、このライブの映像を含むドキュメンタリー映画『サディスティック・ミカ・バンド』(監修:井筒和幸)が公開された。なお、ライブの模様が収録されたアルバム『LIVE in Tokyo』では表記がSadistic Mica Bandと、桐島かれん在籍時と同じものになっている(このアルバムでは桐島かれん在籍時の音源は無い)。また、ボーナスディスクとして75年の神田講堂でのMika Bandの音源が収録されている。
加藤和彦自殺記事以降、個々の親交はあったもののバンド活動は行われないまま、2009年10月17日に中心人物であった加藤和彦が長野県軽井沢町のホテルで遺体となって発見された。死因は首吊りによる自殺と見られている。加藤和彦の晩年は鬱病を患い、死の直前にはそれが悪化していた。死の1週間前には、神経症が持病の高橋幸宏と電話で「今、欝でね」、「どういう薬飲んでる?」と気楽に話しており、3日前には故郷の京都で旧友らと会食している。遺書には「世の中が音楽を必要としなくなり、もう創作の意欲もなくなった。死にたいというより、消えてしまいたい」と綴ってあった。
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November 25, 2015, 1:00 pm
Michael Fortunati Give Me Up マイケル・フォーチュナティ(Michael Fortunati, 1955年9月4日 - )は、1980年代ユーロビートを代表するイタリア出身のポップ・シンガー。本名は「ピーエル・ミカエル・ニグロ(Pierre Michael Nigro)」
プッリャ州ヴィッラ・カステッリ出身。1986年にベルギーで「ギヴ・ミー・アップ」でデビューし、フランス、ベルギーでNo1獲得。1987年には東京音楽祭で来日し、ディスコ&ダンス部門でグランプリを獲得、バブル景気真っただ中のディスコブームに沸く日本でも大ヒットした。「夜のヒットスタジオDX」に出演し、BaBeと共演したこともあった。 2010年1月18日には「SMAP×SMAP」に出演し、SMAPとともに「ギヴ・ミー・アップ」を歌った。
Michael Fortunati - Give Me Up
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November 26, 2015, 1:00 am
Babe "Give Me Up" BaBe(ベイブ)は、1980年代後半に活動した日本の女性デュオ、タレントである。所属事務所はエスワンカンパニー。1987年に、当時流行だったユーロビートのカバー曲「Give Me Up」でデビュー。ダンスを踊りながら歌うスタイルで、洋楽のカバーを多数リリースしてヒットしたことでも知られたが、1990年に解散。
BaBeのメンバー
近藤智子(1968年2月17日 - )
東京都狛江市出身 愛称「こんちゃん」
二階堂ゆかり(1967年8月29日 - )
東京都武蔵野市出身 愛称「にかちゃん」
BaBe 「Give Me Up」
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November 26, 2015, 1:00 pm
Babe「I Don't know」(トップテン 7位)デビュー時はアイドルとして活動し、数々の歌番組・バラエティ番組へのテレビ出演は無論のこと、その年の新人賞レースにも参戦した。翌年からアーティスト指向に方向転換し、活動のフィールドをラジオ番組やライブハウス出演に比重を移す。
後半のアルバム『Brand-new』(1989年)や『CONTRAST』(1990年)では作詞やソロにも挑戦している。1987年、「I Don't Know!」で、第29回日本レコード大賞新人賞、第14回FNS歌謡祭最優秀新人賞、銀座音楽祭最優秀新人賞、全日本歌謡音楽祭新人奨励賞、輝け! 第18回日本歌謡大賞放送音楽新人賞を獲得した。
BaBe 「I Don't Know!」
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November 27, 2015, 1:00 am
BaBe - 「Get a Chance!」 1990年、二階堂の妊娠・結婚により解散(同時に二階堂は芸能活動から引退)。ゲストとして度々出演したニッポン放送のラジオ番組『デーモン小暮のオールナイトニッポン』では、BaBe解散後の近藤の身の振り方についてリスナーが投稿する『どうするどうなる BaBeの近藤』コーナーが設けられた。
以後、近藤はしばらくソロで活動、斉藤満喜子のプロデュースやラジオ出演にも取り組んでいたが結果を得ることは出来なかった。その後、近藤も結婚を機に芸能活動を引退した。
BaBe - 「Get a Chance!」②
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November 27, 2015, 1:00 pm
資生堂書体「美と、あそびま書。」資生堂 資生堂書体は、1916年の意匠部(現在の宣伝・デザイン部)設立と共に「資生堂の美学と精神性を表現する」書体として誕生し、資生堂のポスターやパッケージを長らく彩ってきました。現在でも、同社に入社した新人デザイナーは1年かけてこの書体を体得します。
動画では書体の紹介とともに、鉛筆や墨を使って手書きで書体を仕上げていく様子を撮影。女性のしなやかさを思い起こさせる伸びやかな曲線と、キリッとした雰囲気の直線やエッジが相まって、エレガントな文字が浮かび上がってきます。
資生堂書体
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November 28, 2015, 1:00 am
ハリ・リズム♪ |資生堂 驚くべき、特殊能力を持つ人々 |資生堂
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November 28, 2015, 1:00 pm
Plastics - Copy (PV / 1979) プラスチックスは、日本のテクノポップ・バンド。1976年に結成。1979年にレコードデビュー。
イラストレーターの中西、ファッション・スタイリストの佐藤、グラフィック・デザイナーの立花が中心となって結成される。結成当初は素人による仲間内のパーティバンドに過ぎず、また音楽性もオールディーズから始まりグラムロック、パンクロックと頻繁に変化していたが、四人囃子のベーシストであった佐久間が参加した頃からその流れが変わる。
クラフトワークの『ヨーロッパ特急』に影響を受けてリズムボックスの使用を試み、テクノポップ・バンドとしての方向性が確定していく。後にリズムボックス担当として、佐久間と親交のあった作詞家の島が加入(当時流行していたスペースインベーダーが上手かった事から、「ならばボタンを押すのは上手いだろう」と思われて加入に至ったという)し、解散までの不動のメンバーが揃う。
Plastics - COPY #1
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November 29, 2015, 1:00 am
The Plastics - Top Secret Man日本でのテクノポップ黎明期にあたる1970年代末 - 1980年代初頭にかけて、彼らは日本の音楽シーンにおいては異色の存在であり、マスコミからは「ピコピコ系」と呼ばれる事もあった。しかしYMOの逆輸入ブレイク以降、言葉としての「テクノポップ」も定着し、また彼らの活動も活発化していきP-MODEL、ヒカシューと共に「テクノ御三家」の一つに数えられることもあった。立花や佐久間が海外のバンドとの親交がある縁もあって、1stアルバム発売後程なくして米国ツアーが実現、B-52'sと共演を果たし大反響を得る。その後もラモーンズやトーキング・ヘッズなど一線級のアーティストと共演。
1979年にイギリスのラフ・トレード・レコードより「Copy / Robot 」をリリースした。アイランド・レコードとの契約に成功し、3rdアルバムは海外でも発売されることになる。また自由度の高いプログラミングが可能な当時最新鋭のリズムマシンTR-808の導入により、従来はリズムボックスに付きっきりであった島がキーボードへ、それに伴って佐久間がベース/ギターへのパートチェンジも可能となり演奏の幅を広げていく。しかし、国内・海外で精力的に活動を展開しまさに「これから」と思われていた1981年に突如解散。その理由には諸説あったが、佐久間が2013年のインタビューで元々期間限定での活動を予定していたことを明かした。
Plastics - Top Secret Man
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November 29, 2015, 1:00 pm
Plastics - Good [Fighting80's Live 1980] プラスチックスの解散後は各々独自の活動を開始。1988年にはインクスティック芝浦ファクトリーにて2日間限定で再結成ライブを行うも、プラスチックスとしては長らく沈黙を守ってきたが、『サウンド&レコーディング・マガジン』2007年9月号に掲載された立花のインタビュー内において復活に向けて動いている事が明かされ、同年10月29日に恵比寿・LIQUIDROOMにてライブを行った。メンバーは立花・中西・佐久間に加え、各々とバンドを組んだ経験(THE CHILLで立花と、MELONで中西と、The d.e.pで佐久間と)のある屋敷豪太が新たに参加。リアルドラマーの参加は正式デビュー以前に参加していた大口広司以来、実に約30年振り。この時は以前の音楽性とは異なる、オルタナティブロック色の濃い演奏を披露した。その後、2010年5月には2007年再結成時のメンバーにサポートを加え、東京・大阪にてライブを行う。この頃にはリズムボックスの音色をドラムパッドで屋敷が叩く等、再び活動時の音楽性に回帰。また、同年夏にはワールド・ハピネスやライジング・サン・ロックフェスティバル等のロック・フェスティバルにも出演している。2014年1月、佐久間正英が死去。
Plastics Pate
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November 30, 2015, 1:00 am
PLASTICS - DIAMOND HEAD - LIVE中西俊夫
ギター、ヴォーカル担当。解散後は佐藤と共にMELONを結成(後に結婚、一女を儲けている)。そこから発展したプロジェクトWATER MELONやSKYLABを経て、2007年現在はPLASTIC SEXをメインに活動中。
佐藤チカ
ヴォーカル担当。解散後は中西とともにMELONを結成。MELON解散後は音楽からは身を引き再びファッションの世界へ。自らの名を冠したアパレルブランド「CHICA SATO」を立ち上げ活動中。
立花ハジメ
ギター担当。解散後はソロ活動の一方、サックス奏者としてのセッションも行う。近年は本業のデザイナーとしての仕事が中心であったが、2007年に新バンド「THE CHILL」を率いて音楽シーンへ本格復帰を果たす。
佐久間正英
キーボード担当(後期にはベース、ギターも)。解散後はミュージシャンとしての活動の一方、プロデュース業へ進出し様々なアーティストを手掛ける。2014年逝去。
島武実
リズムボックス担当(後期にはキーボードも)。解散後は引き続き作詞家として活動。またアルバム『万力の国』のプロデュースを手掛けたり、『ごっつええ感じ』や『HEY!HEY!HEY!』の番組アドバイザーを務めたりと、ダウンタウンとの関係が深い。
Plastics - PEACE
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November 30, 2015, 1:00 pm
弘前PR動画『魔法が使えるかもしれない街 弘前~HIROSAKI~』「ふらいんぐうぃっち」は、別冊少年マガジンで石塚千尋により2012年から連載されている漫画。2015年現在単行本は3巻。2015年夏にアニメ化が発表された。放送局は日本テレビや青森放送などの予定。放送時期は未定。
物語の舞台は青森県弘前市。主人公の木幡真琴15歳は横浜から黒猫のチトとともに親戚の家に引越してきた。実は彼女は魔女見習い。居候先の又いとこの圭や千夏、他の魔女などとともに青森の自然や風土を過ごしながら魔女修行に励む。
温かみのある町の日常に、魔女というスパイスを加えたようなお話です。展開の速さや、非日常的なドラマを求めている方には、お勧めできないかもしれません。漫画を読んでほっこりしたい人にはお勧めですね。
魔女という存在が既に減少傾向にあり、なんとなく日常を過ごす特別ではない存在として描かれる世界で、ヒロインと魔法との距離感も非常に良い味だと思います。
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December 1, 2015, 1:00 am
Japanese Voice Drama Demo - Flying Witch (ボイスサンプルドラマ - ふらいんぐうぃっち)黒猫のチトを連れて横浜から青森県弘前市にやってきた木幡真琴15歳。ちょっと方向音痴な普通の女の子です。これから又いとこの圭や小夏の家で一緒に暮らします。弘前の高校にも通いはじめ、愉快な友達も出来ました。畑なんかも作って魔女の修行も順調です。
日常系の漫画が大好きな私は直ぐハマってしまいました。魔女っこの女子高生が主人公で、魔女の宅急便の様な感じかな?と思っていましたがそこまで魔法要素は強くないですね。「よつばと」や「ばらかもん」好きな方には非常にオススメです。
シナリオ全体にノンビリとした感じが漂いボケとツッコミもどこかノンビリしていて、そこが非常に味があっていいです。近隣の書店では入荷数が少ないのか品切れしてるところが多かったです。まだまだ伸びしろが大きい作品だと思うので重版がかかるのも時間の問題かも?
この漫画の舞台が悪戸アイスのある弘前市西部の青柳地区です。私も何回も行ったことがる馴染みの土地です。第一話に出てくるマックスバリューは、弘前市樋の口にある店舗をモデルにしたと思います。アニメ化になるのは来年4月辺りになると思うのですが、超地元作品なので弘前を気に入っている方はアニメもお見逃しなく!
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December 1, 2015, 1:00 pm
ふらいんぐうぃっちの1コマ弘前が舞台の魔女っ子女子高校生真琴の居候スローライフストーリー。ちなみに魔法、魔術はほぼ出てこない・・・よつばとやばからもん的なのんびり田舎生活ものにプラス要素で女子高生の魔女を加えてみました的な。独特のテンポ感の気がします。
まぁまったりした作品ですのでオチもヤマもなく、ただダラダラと時間が過ぎていく。ゆるいですが好きです。悪い人出てきません。
実際に生で使われている津軽弁が出てくるので、青森県弘前市に住んだことがない方には漫画の下に説明が無いと分かりづらいかも知れません。オラは当然ながら、翻訳なしでもセリフの内容は全て理解できましたが・・・
ふらいんぐうぃっち記事
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December 2, 2015, 1:00 am
下湯口バス停前弘前市を舞台に、15歳の“見習い魔女”が周囲の人たちと触れ合い成長する日々を描く漫画「ふらいんぐうぃっち」=講談社・別冊少年マガジン連載中=が人気を集めています。
作者は弘前市在住の石塚千尋さん(24)=本名・石岡千斐(ちかい)。弘前公園や巌鬼山神社など実在の場所が登場し、ファンの間では現地を探し当てて記念撮影するなど“聖地巡礼”の動きも出てきた。同市の観光関係者も注目してるという。
主人公がバス停に降りるところからお話は始まりますが、実在するバス停なので場所も確定されています。作者の本名が石岡ですが、この地区は石岡姓が非常に多く殆どがリンゴ農家を営んでいます。中学校が同じ学区だったので、私も作者も弘前市立第四中学校出身です。まさかテレビ化されるほど全国的に有名となった漫画家を輩出するとは思わなかったです。多分、作者の実家が下湯口の近くにあるのでしょう。
下湯口バス停
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December 2, 2015, 1:00 pm
「ふらいんぐうぃっち」が、広報ひろさきの表紙に!ふらいんぐうぃっちの舞台は青森県弘前市。主人公の木幡真琴15歳は横浜から黒猫のチトとともに親戚の家に引越してきた。実は彼女は魔女見習い。居候先の又いとこの圭や千夏、他の魔女などとともに青森の自然や風土を過ごしながら魔女修行に励む。
登場人物
木幡真琴(こわたまこと)
横浜から青森に引っ越してきた主人公の少女15歳。明るく元気な性格の方向音痴。魔法には勉強熱心だが、箒で飛べるくらいであまり上手ではない。使い魔に黒猫のチトがいる。
倉本圭(くらもとけい)
真琴の又従兄弟。のんびりな性格。勉強嫌いの映画好き。
倉本千夏(くらもとちなつ)
圭の妹。好奇心旺盛な元気少女。真琴を最初は怪しむが魔女と知って懐き、魔女に憧れて茜に頼んで魔女見習いになる。
木幡茜(こわたあかね)
真琴の姉。自由奔放で世界中を旅している。魔女界隈では有名で相当の魔法の才能を持つ。使い魔は白猫のケニィ。
石渡なお(いしわたりなお)
圭の幼馴染で酒屋の娘。
犬養(いぬかい)
茜の古い友人で、占いを得意とする魔女。訳あって人ならざる姿になっている。使い魔はハムスターのアル。
椎名杏子(しいなあんず)
喫茶「コンクルシオ」の娘で魔女。大人しい女子高生で考古学者を目指している。使い魔はフクロウのオロル。
広報ひろさき記事広報ひろさきについて
市と市民をつなぐパイプ役です。市の事業の紹介や行事のお知らせなど皆さんにお届けしています。発行は、1日号と15日号の月2回で、各町会を通じて配布。町会には、発行日の2日前にはお届けしていますので、早期の配布にご協力ください。なお、まだ世帯が少なく、町会を設立できないような新興住宅地には、暫定的に代表者を決めてもらえれば配布する方法がありますので、広聴広報課広聴広報担当(電話 0172-35-1194)へご相談ください。
このほか、広報ひろさきは、市の主な施設や市内の金融機関、郵便局、スーパーマーケット(カブセンター各店、ベニーマート、マックスバリュ各店、ユニバース各店)などにも備えてあります。
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December 3, 2015, 1:00 am
厳鬼山神社入口・・・Google Earthよりキャプチャ上下の写真は、青森県弘前市で岩木山の北麓10Kmほどに鎮座し、弘前鯵ヶ沢線の十面沢あたりから南へ入り1Kmほどで津軽三十三寺社巡りの5番札所である厳鬼山(がんきさん)神社です。
厳鬼山神社は、江戸時代中期建築で、近世津軽の小仏堂(三間堂)が神社となった典型的なもの。巌鬼山神社本殿は、構造形式や細部の様式などは、この時代の特徴をよく表しています。境内には、青森県指定天然記念物の大杉があります。
場所は弘前鯵ヶ沢線の十面沢あたりから、南へ入り1Kmほどで社前に到着。境内には巨木が多く、参道の右手には沢も流れて気持ちが良いです。特に社殿左手の二本の大杉は、壮観です。
ふらいんぐうぃっち第一巻表紙は、厳鬼山神社。作者は、実に忠実に背景を描写しています。弘前公園はもとより、実在する複数個所の場所が漫画に描かれているので「せっかくだから舞台になってるっぽい場所を探してみたよ」と作中の場所を写真に撮ってブログなどで紹介する人も増えています。
厳鬼山神社
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December 3, 2015, 1:00 pm
【青森の魅力】蕪島・蕪嶋神社 - 晴れでも傘をさす島 (八戸市) 蕪島は、青森県八戸市鮫町にある島。ウミネコ繁殖地として、国の天然記念物に指定されている。2013年5月に三陸復興国立公園に指定されている。
「島」と呼ばれているが、内務省と海軍省の委託工事として1942年(昭和17年)に旧海軍により2年がかりの埋め立て工事が行われ、本土と陸続きとなった。
名称の由来には諸説あり、以下のものが知られている。
蕪の花が咲く島。この「蕪」は野生のアブラナを指す。
神を祭る場所としての「神嶋(かむしま)」、「神場島(かばしま)」
アイヌ語の「カピュー」(ウミネコ等)と「シュマ」(岩場)を合わせたもの
地名は蕪島で、島の頂上に鎮座する神社名は蕪嶋神社と表記する。
ウミネコは漁場を知らせてくれる鳥であり、弁天様の使いとして大切にされてきた。そのため人家の近くでありながら島全体がウミネコの大繁殖地になっていて、毎年2月下旬から4月中旬にかけて飛来し、ナタネの咲き乱れる5月ごろ営巣・抱卵、6月に孵化したヒナが7月には巣立ち、8月には島を離れていく。その数約4万羽。日本には10か所ほどウミネコの繁殖地があるが、ウミネコの巣を間近に観察できる唯一の場所であることから、1922年に天然記念物に指定された。島の頂上には、ウミネコ監視員の常駐所がある。 2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震によって引き起こされた津波で被害を受けた。
八戸「蕪島」のウミネコ
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December 4, 2015, 1:00 am
ウミネコの島の神社が・・・シンボル焼失に地元落胆(15/11/05) 蕪嶋神社は社伝によれば永仁4年(1269年)に厳島神社を勧進したのが始まりという。祭神は宗像三女神、多紀理毘売命、市寸嶋比売命、多岐都比売命で「蕪嶋の弁天様」として信仰を集めてきた。弁財天は商売繁盛や子授けにご利益があるとされているが、漁業の守り神でもある。2015年11月5日未明全焼した。地元小学生が卒業記念に描いた天井画なども焼失した。境内には柳原白蓮の短歌が刻まれたウミネコ供養碑がある。蕪嶋神社付近では、毎年4月の第3日曜日に蕪島まつりがある。
繁殖期には約3万羽のウミネコが乱舞する為、神社境内にも足の踏み場がないほどになる。運が悪いと、空からウミネコの糞(ふん)を浴びてしまう。ふもとには無料貸出のビニール傘が数本設置されているが、ほとんど破損している。
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December 4, 2015, 1:00 pm
冬の国道7号 矢立峠を走る 矢立峠(やたてとうげ)は、秋田県大館市と青森県平川市の県境にある峠である。標高は258m。峠の東側にある奥羽山脈と西側にある白神山地との中間に位置する。秋田県側へと流れる下内川(米代川水系)と青森県側へと流れる平川(岩木川水系)との分水嶺ともなっている。古くから林業が盛んで、特に秋田杉の名産地の1つとして知られ、高度経済成長期の頃までは樹齢200年以上・高さ40m以上の天然秋田杉が数多く自生していた。
峠の周辺は豊富な温泉に恵まれ、日景温泉や矢立温泉、相乗温泉をはじめとする1軒宿の温泉や、碇ヶ関温泉郷などの小さな温泉郷が点在する。また、秋田県側の大館市長走陣場地区には「道の駅やたて峠」、青森県側の平川市には「道の駅いかりがせき津軽関の庄」がある。いずれの道の駅も国道7号沿いにあり、「道の駅やたて峠」には、「矢立峠温泉」も湧出している。また、「道の駅いかりがせき」にも、「関の庄温泉」と呼ばれる温泉入浴施設があり、温泉の熱を利用した屋内温水プールや温泉資料館なども併設されている。
矢立峠
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