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キャシロン
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パンシロン

パンシロン01プラスは、現在のパンシロンシリーズの主力製品で2010年10月発売。粘膜修復剤・健胃剤・制酸剤・消化剤をバランスよく配合した複合胃腸薬である。「パンシロン(初代・1962年2月発売)」→「新パンシロン(1980年4月発売)」→「パンシロン新胃腸薬(1989年10月発売、「新パンシロン」にウルソデオキシコール酸を配合し、製品名並びにパッケージを変更。販売店限定品の「パンシロン新胃腸薬a」とは別物の製品)」→「パンシロン01(1996年発売)」を経て、14年ぶりにリニューアル。粒子を空洞化するなど剤型に改良を施した。
配合成分は従来どおりだが、即効性の高い3種類の制酸剤の配合バランスが見直された(炭酸水素ナトリウム:1800mg→1200mg、炭酸マグネシウム:450mg→690mg、沈降炭酸カルシウム:240mg→360mg)。また、内容量も従来の20包入りと34包入りを統合した新容量の28包入りと、従来からある小容量サイズの14包入りと大容量サイズの48包入りの3種類に整理された。
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パンシロン液
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ロート目薬

現在は胃腸薬や一般向け目薬をはじめとする一般用医薬品(OTC医薬品)やスキンケア製品を主力商品としており、医療用医薬品事業には参入していない。そのため、医薬情報担当者 (MR) も不在である。また排卵日検査薬を医療用に提供しており、自社ウェブサイト内にあり、医療従事者しか見られないものも存在する。さらにグループ企業としてアメリカ合衆国のメンソレータム社を傘下に置く。
毎日放送とは同社が制作していた『私はナンバーワン』『アップダウンクイズ』『クイズ!!ひらめきパスワード』のスポンサーをつとめた経緯もあって、今日に至るまで長い関係が続いている。同社の夏のイベントである『オーサカキング』にも協賛している(『毎日放送50年史』より)。他にも関西テレビや読売テレビがラジオ部門を持っていないこともあげられる。朝日放送では、テレビでの一社提供番組は今日に至るまで持ったことがないものの、ラジオではかつて『漫才教室』で一社提供をしていた。
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新Vロート

海外展開も盛んで、「新V・ロート」は中国・モンゴル・韓国・台湾・ミャンマー・ラオス・カンボジア・ベトナム・香港とアジアを中心とした9つの国と地域でそれぞれの現地に合わせた仕様で販売されており、香港では「V・ロート」も発売されている。
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なみだロート
涙には以下のような役割があるとされている。
目の表面(角膜・結膜)への栄養補給
瞼を円滑に動かす潤滑材
細菌・紫外線から目を守る防御壁
雑菌の消毒
涙は「油層」「水層」「ムチン層」の3層で目を保護しており、その3層の合わせた厚さは約7µm。涙の持っている抗菌成分はリゾチームという。このリゾチームは、細菌の細胞壁(ペプチドグリカン)を分解する作用を持つ。眼の使用頻度によって涙が蒸発しやすくなったり分泌量が減ったりすると、ドライアイと呼ばれる状態に陥る。
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君は天然色♫

バック・トラックのレコーディング時にはサビを全音上へ転調する予定だったが、歌録りのときに声域が合わなかったという。大滝は「音域的に出ないわけじゃないのだけど、歌詞を乗せたときにあまりに違和感があった。だからどうしたものかと少し考えて、“よし、サビだけキーを下げよう!”って」ハーモナイザーで全音下げられた。ピッチ・ダウンで若干失われた高域はパーカッションのベルをダビングすることで補完された。“日本版ウォール・オブ・サウンド”を体現したようなポップで分厚いサウンドのこの曲は大滝自身も納得している作品で、レコーディングの際に初めてイントロの演奏を聴いたとき、「やっと求めていた音が手に入った」と感動したという。
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夢で逢えたら

ガール・ポップを意識した曲だったのだから当然なのだが、「夢で逢えたら」は1976年に発表されてからの20年間で、サーカス、岩崎宏美、ELLE、桑名晴子、北原佐和子、坂上香織、香坂みゆき、森丘祥子、香西かおり、桃井かおりなど、すべて女性シンガーに歌われてきた。しかし1996年に「夢で逢えたら」のカバーを初めてヒットさせたのは、意外なことに鈴木雅之率いる男性ヴォーカル・グループ、ラッツ&スターだった。
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幸せな結末

大滝は1980年代半ばから熱狂的なファンであるフジテレビのプロデューサー、亀山千広からドラマ主題歌のオファーを何度も受けるようになった。しかし、そのオファーが「ロングバケーション的な曲」であったため、作詞の松本隆との共同作業で作った世界観を一人で作るのは無理と考え、「近鉄が優勝したら」「近鉄が連覇したら」等の適当な理由をつけて、すべてやんわりと断っていた。
大滝は1994年~95年頃にようやくオファーを受諾したが、作曲が難航。1996年に亀山は待ちきれなくなり、大滝のアルバムタイトルを当時製作していたドラマ『ロングバケーション』に拝借する。この時、亀山は大滝にきちんとした形で使用許可を取りに行ったという。
ドラマ主題歌の話は一時期流れかけるが、翌年の『ラブジェネレーション』制作時に曲が完成し、大滝がドラマ主題歌を担当する事が決定する。『ロングバケーション』でも監督を務めていた永山耕三が参加する事、同じく木村拓哉主演がする事、松たか子の事務所の社長がナイアガラ・レコードの元スタッフだった事など不思議な縁があったという。またこの時期、旧友の上原裕が復帰するなど、歌手活動再開にあたって最高の舞台が揃った。
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恋するふたり
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帰って来たヨッパライ

飲酒運転で事故死した「オラ(自分)」が天国へ登るが、その天国でも酒と女に浮かれ「神様」から「お仕置き」を受ける顛末をテープの高速回転による甲高い声と伴奏で語る歌である。語り手の「オラ」は、巻頭いきなり「自分は死んでしまった」という内容のフレーズを繰り返し、田舎言葉でみずからの行状を語る。
途中で2度挿入される「神様」の説教は通常速度で録音され、早回しの伴奏にオーバーダビングしてある。「神様」の説教は北山修によるスローな関西弁で、バックに流れる天国と地獄とギャップがある。メロディ自体はシンプルなリフを繰り返すもので、民謡「草津節」の有名な歌い出し「草津良いとこ一度はおいで」をもじった歌詞も詠み込まれる。
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あの素晴しい愛をもう一度

この曲のオリジナル録音(1971年)のきっかけは、東芝音楽工業がフォークルの再結成を図って加藤・北山の両人にはたらきかけたものであるとされる。当時フォークルの再結成はあり得ないと明言していた2人は、ジャケットでもカメラを全く無視している。これには東芝に対する抗議の意味を込めていると加藤・北山ともに当時のラジオ番組で語った。これまでにCMで替え歌が何度か歌われている。
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Sadistic Mica Band(初代)

バンド名の由来であるが、ジョン・レノンが結成していた「プラスティック・オノ・バンド」をもじったもので、ボーカルのミカの包丁使いがあまりにサディスティックだったことに由来する。

元ザ・フォーク・クルセダーズの加藤和彦(ギター、ボーカル)、加藤ミカ(ボーカル)、角田ひろ(ドラムス、現:つのだ☆ひろ)のメンバーで結成される。そこに高中正義(リードギター)が加入し、1972年にシングル「サイクリングブギ」でデビュー。その後まもなくして角田が自らのバンドを結成する為に脱退する。
ドラマーとして大口広司の一時加入を経た後、高橋幸宏が参加、高橋に誘われる形で小原礼(ベース)がメンバーとなる。1973年にファーストアルバム『サディスティック・ミカ・バンド』を発表。このアルバムは発売当初は数千枚しか売れなかったが、イギリス、特にロンドンで評判となり逆輸入という形で日本でも評価されるようになった。
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Sadistic Mica Band 『黒船』
ファーストアルバムを聴いたイギリスの音楽プロデューサー、クリス・トーマス(当時ビートルズやピンク・フロイドを手掛けたことで有名になっていた)からプロデュースの話があり、セカンドアルバム『黒船』を発表。このレコーディングには実に450時間が費やされた。
その後、小原礼が脱退し、後藤次利がベースとして参加。サードアルバム『ホット!メニュー』をリリース後、1975年には、ロキシーミュージックの全英ツアーにおいてオープニングアクトを務めた。その後、加藤和彦・ミカの離婚により、1975年11月に解散した。
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Sadistic Mica Band(二代)
1989年、加藤和彦、高中正義、小原礼、高橋幸宏の4人に桐島かれん(ボーカル)を加えて Sadistic Mica Band(ミカの表記が下線のとおり変更)として再結成。アルバム『天晴』を発表した。先行シングル「Boys and girls」はマツダ・ファミリアのCMソングにもなり、オリコン13位を記録。サディスティック・ミカ・バンドとしては唯一のオリコントップ100入りシングルとなっている。また、このメンバーでライブが行われ、後にライブアルバム『晴天』として発売された。
ミカ自身は再結成に際し、「呼ばれてもいない」ということで「ミカ・バンド」というグループ名を再結成バンドが掲げることに対し、遺憾の意をインタヴューで表明している。
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Sadistic Mica Band 『天睛』

作詞家には森雪之丞、サエキけんぞう、当時加藤和彦の妻だった安井かずみが起用されています。 坂本龍一は、ゲストミュージシャンとして参加しました。
アルバムの最初から、高中正義のうねり出すギターで始まる「Boys & Girls」で、復活の幕が開けられます。「Boys & Girls」は、マツダ・ファミリアCMソングにもなりました。
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ダシール・ハメット &ポップコーン

ここで言う「あざとい」は、その人物によるファンの嗜好を見透かしたような言動・行動が、見透かされていることを自覚しているファンの心を的確に捕えて、萌えた感情を強く喚起させ好意的に受け入れられる状態のこと。
ダシール・ハメット & ポップコーンは、1989年4月8日に初版がリリースされたオリジナル・アルバム『天睛』のB面にある曲だが、25年以上経った今でもまるで古さを感じさせない実に洗練された作品である。
サディスティック・ミカ・バンドの二代目ボーカルになった桐島かれんの歌唱力も去ることながら、作詞:安井かずみ、作曲:加藤和彦の夫婦がタッグを組んで作品に華麗な幅を利かしているのも見ものである。
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タイムマシンにお願い

作詞:松山猛
作曲:加藤和彦
さあ不思議な夢と遠い昔が好きなら
さあそのスヰッチを遠い昔に廻せば
ジュラ期の世界が拡がり
そこははるかな化石の時代よ
アンモナイトはお昼ね
ティラノザウルスお散歩アハハン
タイムマシンにお願いは、1974年10月5日に初版のシングルがリリースされた曲だが、40年以上経った今でもまるで古さを感じさせない作品である。
恐らく初代ボーカルだった加藤ミカも歌ったのだろうが、サディスティック・ミカ・バンドの二代目ボーカルになった桐島かれんの歌唱力が秀でている。
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PR: 安心してください!まだ間に合います。
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桐島かれん

父親がアメリカ人で母親が日本人のハーフ。母は作家の桐島洋子。弟は写真家の桐島ローランド。妹はエッセイストの桐島ノエル。子供の頃は横浜中華街に住んでいたこともある。
1983年、上智大学に帰国子女枠で入学するが中退。
1984年、エスモード・ジャポンに入学するが中退。在学中に学生モデルを経験する。
1985年、セツ・モードセミナーに入学するが中退。
1986年、資生堂のキャンペーンガールとしてモデルデビュー。
1989年、サディスティック・ミカ・バンド(再結成/第二期)でボーカルデビュー。同年の高橋幸宏のツアーにもゲストとして参加。
1993年、写真家の上田義彦と結婚し、その後、3女1男の子供をもうけた。
2013年、インテリア雑貨、オリジナルウエア等を扱うライフスタイルショップ House of Lotusを広尾にオープン。
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