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ミクロネシアの地理

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National Anthem of FS Micronesia

ミクロネシア連邦の国旗ミクロネシア連邦の地理
ミクロネシア連邦は、太平洋のミクロネシア地域にあるオセアニアの国家。地理的には、カロリン諸島と呼ばれます。首都は、ポンペイ島のパリキール。ミクロネシア連邦は、カロリン諸島に属する607の島があります。島の範囲は東西に約3200km、南北に約1,200kmに渡って広がります。熱帯雨林気候(Af)で年平均気温は26~28℃。テルナテ港年降水量は3,000mmを越え、夏に多く雨が降ります。

ミクロネシア連邦の国旗は4個の星があしらわれた旗で1979年11月10日に制定されました。水色の地は太平洋を象徴し、4個の白い星はこの国の主要な諸島、チューク、ヤップ、ポンペイ、コスラエを象徴しています。住民はミクロネシア系が多く、ポリネシア系の住民もいます。日系ミクロネシア連邦人もおり、人口の2割を占めているとも言われます。現在の大統領であるマニー・モリは日系4世です。言語は英語が公用語であり、共通語として使われています。日本統治時代(1914年 - 1945年)には、日本語教育が行われました。現在では減少していますが、高齢者の中には日本語を話せる人もいます。日本語由来の単語も多く、日本人の姓を使っている人もいます。

宗派宗教としてはキリスト教が有力で、ローマ・カトリックとプロテスタントが半分程度。土着の精霊信仰も色濃く残っており、近年はキリスト教によって抑圧されていた儀式の復活も行われています。

漁業と農業(ココナッツやキャッサバ)が主産業で、魚介類を主に日本へ輸出し、生活必需品を主にアメリカ合衆国から輸入していますが、貿易額は赤字を記録しています。IMFに加盟しており、歳入の約5割がアメリカからの援助額で2003年から20年間で13億ドルを援助する予定。漁業・農業・観光による自立経済を目指しています。
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ヤップ州の地理

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ヤップ州の地理

ヤップ州の州旗今回通過する皆既帯は、ヤップ州の離れ小島や環礁がほとんどなので、ヤップ州について記述します。この州旗は、石貨とカヌーを表します。ヤップ州はミクロネシア連邦に属する4州の一つで、西太平洋カロリン諸島にある島々。石の貨幣で有名なヤップ島本島と、周辺の環礁・無人島群からなります。州都はヤップ島のコロニア(Colonia)。人口は約1万人。ヤップ島のカヌー制作現場ヤップ州の時間は、日本標準時+1時間(UTC+10)です。

紀元前3500年以上前、インドネシア、フィリピン、ニューギニア、ソロモン諸島方面より木のカヌーで人類が航海し定住したとされています。古代ヤップ帝国の最盛期には、人口5万人にもなったとも言われます。州都があるコロニアではパンノキを船体にした縫合船のシングル・アウトリガーカヌーが作られ、広く用いられています。小さいものはラグーン内での漁労用ですが、ヤップ島北部海岸のヤシの実大きなものは十名近い乗員を乗せて数日間以上の外洋航海を行うことが可能な航海カヌーです。カロリン諸島からヤップ島への貿易には、このような航海カヌーが欠かせないものでした。またヤップ島の石貨の中でも古い時期のものは、航海カヌーによってパラオから運んで来たものと考えられています。

ヤップ島はグアム島南西約800kmに位置し、約160,000km²に広がる4島と約130の環礁からなります。そのうち22島以外は、すべて無人島です。サタワル島をはじめとする州の西側では伝統的な遠洋航海術が現代まで継承されています。ヤップ島本島は79.5km²。州全体では約102km²。

11月 - 5月は北東から吹く貿易風の影響で雨が少なくなります。6月 - 10月は風が弱まり、湿度が上昇します。 年平均気温は28℃程度、年降水量は3000mm。住民のほとんどが農業と漁業の自給自足で、タロイモの栽培も行われています。コプラの生産や、衣服、バスケット、絵画・彫刻などの製造などの手工業が主産業。近年では観光産業も発展し、スキューバダイビングなどを目当てに来る外国人対象のツアーが人気です。

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ヤップ国際空港

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Yap Landing Air Micronesia Boeing B727-200

ヤップ国際空港

ヤップ国際空港(Yap International Airport)とは、ミクロネシア連邦、ヤップ州ヤップ島にある国際空港。国際定期便のほか観光飛行の小型機も発着します。ボーイング737などの中小型ジェット機の発着に対応する1800mの滑走路と旅客ターミナルが整備されています。グアム島とパラオからユナイテッド航空がヤップ国際空港に就航しています。

ヤップ島以外のヤップ州の島々・離島へのアクセスは、全てヤップ島経由になります。太平洋戦争中に日本軍や米軍が飛行場を建設したユリシー環礁、ファイス島には9人乗りのビーチクラフト機が運航していますが便数も少なく(週2便から隔週1便)、天候や諸条件によってフライト・キャンセルになります。

ヤップ国際空港※皆既日食継続時間が長いウォレアイ環礁と皆既帯北限界線から僅かに外れるフララップ島は、滑走路の老朽化により2009年から運行が停止しています。復旧の目途は全く経っていません。

このようにヤップ州の離島を訪れるには多くの日数を要し、運行スケジュールも不確定要素が高いです。またユリシー環礁とフララップ島以外にはホテルなどの宿泊施設がなく、全てホームステイになります。どの島も物見遊山のツーリストを受け入れる態勢はありません。このような事情から、いきなりヤップ州離島への渡航を計画するよりも、先にヤップ島を訪れてヤップ島と離島の様子を把握されることをお薦めします。

離島を訪れる際、前もって入島許可証の取得が必要です。必ず事前に現地エイジェントを通して時間の余裕を持って万全の準備をして下さい。

ミクロネシア連邦ヤップ州の皆既帯
ミクロネシア連邦ヤップ州の皆既帯…画像をクリックすると拡大されます

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ヤップ州の連絡船

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ヤップ州政府の連絡船ヤップ州政府の連絡船

ヤップ州の離島をまわる州政府の連絡船は、月に1~2回の割合で運航します。
これも諸条件で運航日程は直前まで変わります。
航海日程は、乗客、積荷、行事、船の状態、海況など様々な都合で変わります。
予定されていた出航日が、2週間遅れで出航することは良くあるそうです。

参考までにネットで検索した運行日程を書くと大変長くなりますが・・・

 1日目 午後6時 ヤップ出航
 2日目 午前5時 ユリシー環礁フララップ到着、環礁内の島々をまわる
 3日目 干潮の時間を見計らってファイス島へ
ヤップ州の地図 4日目 ソロール環礁
 5日目 エアウリピク環礁
 6日目 ウォレアイ環礁、環礁の島々をまわる
 7日目 イファリク環礁
 8日目 フチャイラップ環礁
 9日目 エラート環礁~ラモトレック環礁
10日目 サタワル島、数時間で折り返し出航
11日目 ラモトレック環礁~エラート環礁
12日目 イファリク環礁
13日目 ウォレアイ環礁、環礁の島々をまわる
14日目 エアウリピク環礁
15日目 ソロール環礁~干潮の時間を見計らってファイス島へ
16日目 ユリシー環礁着、環礁内の島々をまわり夕方、ヤップに出航
17日目 ヤップ帰着

青字で書かれた島は、2016.3.9の皆既帯が通過する島々です。
自力で観測地を巡るなら、一ヶ月以上は日本から離れなければなりません。
グアム島かヤップ島からチャーター船を借りて離島へ行った方が良いでしょう。
ミクロネシア連邦ヤップ州の皆既帯
2016.3.9に通過する皆既帯の雲量予報グラフ…東へ行けば行くほどコロナが見られる確率が上がります。  出典:Jay Anderson

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手続きと出入国情報

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離島に行くための手続きと出入国情報

ウォレアイ環礁の浜辺ヤップ州の離島には、Council of Tamol (COT) という離島の自治体が構成する協議会から許可を得る必要があります。宿泊先としてホテルがある島を選択する場合、往復の飛行機による交通の予約が取れていればCOTの許可を得られます。

COTの許可を得るためには事前に申請して審査を受けることになるので、現地の旅行手配業者を通じて手配をした方が良いでしょう。事前に自分で手配することも可能ですが、この場合はCOTの入島許可証を受け取るため離島に渡る前はヤップ島で数日間滞在しなければなりません。

このような離島で滞在するには、いくつか気をつける点がありますので、経験のない普通の旅行者は、事前に現地が良く分かるヤップの旅行業者と相談し、準備を進めてから現地に入るようにしたほうが無難でしょう。

ウォレアイ環礁の漁ヤップ州の公用語は英語です。ヤップ州ではヤップ語、チューク州ではチューク語、ポンペイ州ではポンペイ語、コスラエ州ではコスラエ語が話されているほか、多数の離島の言語が利用されています。通貨は米ドルです。

気候は海洋性熱帯気候で、気温は年間を通じて平均気温27度と一定しています。ポンペイ州の年間平均降雨日は304日、平均湿度も70%と高くなっています。気候は日本の梅雨と似ています。

ウォレアイ環礁のカヌー置き場日本国籍の旅行者は、出国用航空券とパスポートが必要です。パスポートの残日数は、入国日から滞在日数+3ヶ月の有効期間必要です。ビザは、30日以内の観光訪問であれば必要ありません。航空便は日本からの直行便がありません。ミクロネシア各州へは、コンチネンタル航空がグアムから就航しています。到着時にミクロネシア連邦の入局許可証(Entry Permit)を持たない人は、入国管理局発行の出入国記録用紙に必要事項を記入し、提出しなければなりません。この用紙は、入国地への到着前に機内で配られます。30日以上の滞在を希望する渡航者は、入国許可証 (Entry Permit)が必要となります。30日以下の滞在者に入国許可証は必要ありません。

旅行者は必ず、入国時にミクロネシアを出国する方法を提示しなければなりません。帰国便のチケット、または次の目的地の入国許可証などを提示してください。入国管理局の責任者の裁量で、チケットの代わりに滞在期間終了後に出国することを証明できる書類を提示することも可能です。

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エアウリピク環礁

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Yap Tribal Life, Micronesia by Asiatravel.com

NASAによるエアウリピク環礁の写真
NASAによるエアウリピク環礁の写真 Xavier JubierよりDATAを抜粋

エアウリピク環礁の地理とDATA

ユリシー環礁で船から降ろされた荷物エアウリピク環礁は、ミクロネシア連邦のカロリン諸島西部の環礁。環礁には3つの島があります。陸地の合計面積は 0.236km²ですが、環礁全体では5.921km²の深い礁湖があります。南西の風によって、環礁は両側から常に破壊されています。島の標高は、最大でも2mしかありません。

かつて5つの島があったものの、1970年代終わりには2つの小島が台風時の波によって流されました。これらの小島にはココヤシが生えています。
エアウリピク環礁の風景
エアウリピクの人口は2000年時点で113人。多くの島民は通常、ヤップ島本島に一時労働者として居住しています。第一次世界大戦後には大日本帝国が南洋諸島として委任統治しました。

第二次世界大戦後、アメリカ合衆国の施政権下に入り、1947年からは太平洋諸島信託統治領の一部として管理され、1979年からミクロネシア連邦の一部となっています。
Eauripik Atoll (エアウリピク環礁の小島)
6° 42´ 05.0" N  △T=68.2s
143° 01´ 52.7" E
Magnitude at maximum : 1.01829%
Moon/Sun size ratio : 1.04454
total solar eclipse : 4m 00.4s

Event Date Time (WIT) Alt Partial
(C1) : 2016/03/09 10:07:15.5 +50.7° 0.00%
(C2) : 2016/03/09 11:34:49.5 +70.6° 100.00%
(MAX) : 2016/03/09 11:36:49.5 +71.1° 101.82%
(C3) : 2016/03/09 11:38:50.0 +71.5° 100.00%

(C4) : 2016/03/09 13:11:23.1 +76.2° 0.00%
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ウォレアイ環礁の歴史

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USS Enterprise (CV-6) TF Planes Raid Yap & Woleai Islands, 3/30/1944 (full)

ウォレアイ環礁の歴史

1944年のウォレアイ環礁ウォレアイ環礁はカロリン諸島、ミクロネシア連邦のヤップ州にある22の小島の一群。太平洋戦争中は日本軍の基地が置かれ、兵員は飢餓に苦しんだ。現在の人口は800名ほど。右の写真は1944年のウォレアイ環礁のファラロップ島です。日本軍の建設した滑走路はくっきり見えていますが、米軍の爆撃跡が痛々しいです。

第二次世界大戦中はメレヨン島と呼ばれ日本軍の基地となり、1944年(昭和19年)2月に海軍第四四警備隊(宮田喜信海軍大佐)と第二百十六設営隊が上陸して滑走路を建設し、4月12日に陸軍独立混成第五〇旅団(北村勝三陸軍少将)が合流。陸海軍合わせて6426名。上陸直後に米軍の激しい爆撃と艦砲射撃に晒され、折角作った飛行場も殆ど使われず食料を揚陸直後に喪失してしまい、以後の日本軍は終戦まで極度の飢餓に苦しんだ。

島全体が標高の殆どない珊瑚礁のため農耕には向かず(2m掘ると水が湧く)、火薬を用いた漁による成果も部隊全体に行き渡る量はなかったそうです。ラグーンから採れる小魚、ネズミ、ヤドカリ、トカゲ、ヤシガニは貴重な蛋白源でした。潜水艦による4度の補給はあったものの、深刻な飢餓が発生し、終戦までに全体の7割に当たる4493名の餓死病死者を出しました。自殺して戦病扱いになった兵もいます。米軍も本島を放置して、たまにB-24リベーレーター爆撃機の爆撃があるのみで、日本軍の高角砲は体力不足から1発を発射するのがやっとでした。

ウォレアイ環礁 戦争の残骸1945年(昭和20年)3月11日、ウルシー環礁への特攻作戦「丹作戦」で特攻隊を誘導した第五航空艦隊(宇垣纏海軍中将)所属の二式飛行艇1機が着水、修理も燃料補給も出来ず水没処理されました。宮田海軍守備隊司令は搭乗員に対し、内地との連絡が遮断されて1年が過ぎ、暗号も更新されていないと伝えました。基地の兵は「毎日10名が餓死する生き地獄の島」とも紹介しました。北村陸軍少将が搭乗員に賜った黒塗りの箱にはサツマイモが入っていましたが、これが最大級の褒章でした。飛行艇搭乗員は5月7日に伊号第三六九潜水艦に救助され、設営隊員50名と共に島を離れました。

結果的に、日本軍守備隊は飢餓により事実上全滅し、戦わずして玉砕した悲劇の島と言われています。終戦後、草鹿任一海軍中将を団長とした第二次南方方面遺骨収集派遣団がメレヨン島を訪れました。島民は水深8mに沈んだ二式大艇を特攻機と説明していますが、これは3月12日に水没処理された機体であり、搭乗員は潜水艦で帰還しています。1966年(昭和41年)4月、全国メレヨン会員によって慰霊碑が建設されました。
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ウォレアイ環礁

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Local dance, Woleaian style

ウォレアイ環礁のDATAウォレアイ環礁の地理とDATA

ウォレアイ環礁ファラロップ島は、かつて交通の要所でした。日本軍が建設した滑走路も2009年までは9人乗りのビーチクラフト機が運航していましたが、老朽化によって使用禁止されています。州政府の連絡船で島々を巡るか、グアム島かヤップ島からチャーター船を借りて離島へ行った方が良いでしょう。

典型的な村社会なので、人口が多いファラロップ島の要人には最初に御挨拶をした方が良いです。ヤップ島では前もって入島許可証の取得をしても村の住民や要人には挨拶を欠かせません。

旅の目的も最初からお話しした方が良いです。一旦村人に受け入れてもらえたら、素晴らしい環礁の島々で連絡船が来るまで過ごせるかも知れません。

もちろん売店などは無いので、事前に物資と水や食料が必要です。蚊の心配があるので、蚊取り線香と出来れば蚊帳があった方が安心です。水着とビーチサンダルもお忘れなく。島で出たゴミも持ち帰りましょう。

撮影などで電源を使う場合は、ヤップ島のホテルで充電を済ませた方が良いでしょう。無人島へ行く感覚で準備を進めると良いと思います。
Woleai Atoll (ウォレアイ環礁ファラロップ島南部)
7° 21´ 51.0" N  △T=68.2s
143° 54´ 37.2" E
Magnitude at maximum : 1.012112%
Moon/Sun size ratio : 1.04465
total solar eclipse : 4m 05.4s

Event Date Time (WIT) Alt Partial
(C1) : 2016/03/09 10:09:58.5 +52.0° 0.00%
(C2) : 2016/03/09 11:38:04.8 +71.6° 100.00%
(MAX) : 2016/03/09 11:40:07.3 +72.0° 101.21%
(C3) : 2016/03/09 11:42:10.2 +72.4° 100.00%

(C4) : 2016/03/09 13:14:36.9 +74.6° 0.00%
ウォレアイ環礁の暮らし

ウォレアイ環礁 戦争の残骸島民は基本的にふんどし姿で、女性は腰に花柄の布を巻いているだけ。男性はカヌーを使ってラグーンの沖で漁業を行っています。 ヤシの葉が織られたわらぶき屋根の家は、かなり伝統的。男女が住む家は、それぞれ別々になります。島内の学校で女子がバスケット作りや織り物を学び、男子は伝統文化やカヌー作りをします。

ウォレアイではWiFi通信でインターネットが出来るそうです。費用は5ドル程度と手頃な料金で使えます。島の住民は家屋のほとんどに発電機を持っています。島にはビーチから物資を輸送するための車があります。人々の多くはVHF無線機を所有し、そのチャンネルでTVを楽しみます。 コンセントは、日本と同じ型の差し込みプラグが使えます。電圧が不安定なので、110V/60HZ~120V/60HZまで上がります。電化製品の電圧を確認の上、利用して下さい。

島にはキリスト教会がありますが、椅子はなく地べたに座ります。イースターのお祭りでは、土曜日に飼っている豚を2頭ほど食肉にします。タロイモ、パンノキ、ココナッツ、パパイヤ、バナナ、ドーナツとパンは、島の女性が準備していました。お祭りでは、水中でのリレーレースもあります。西洋のポップ音楽とハワイアンミュージックに、伝統的な歌と踊りがありました。

旧日本軍がこの地を占領していた経緯から、島のお年寄りや長老に日本語の話せる方がいます。集落の外れに行くと、日本軍が残した戦車や砲台など戦争の残骸が放置されたまま残っています。

Cruising with Soggy Pawsより一部抜粋して翻訳しました。

ウォレアイ環礁の衛星写真…青線が皆既中心線
ウォレアイ環礁の衛星写真…青線が皆既中心線  画像をクリックすると拡大されます

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イファリク環礁

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Ifalik Atoll.m4v

イファリク環礁の地理とDATA

イファリク環礁イファリク環礁 (Ifalik Atoll) は、太平洋西部カロリン諸島の珊瑚環礁。ミクロネシア連邦のヤップ州での議員選挙区を構成しています。ウォレアイ環礁の東40km、ヤップ島から南東700kmの位置にあります。人口は2000年時点で561人、島の面積は1.5km²。環礁を構成する主な島はそれぞれElla、Elangelap、Rawaii、Falalopと呼ばれています。陸地全体での合計の面積は1.47km²ですが、環礁は深さ最大20m、面積2.43km²の礁湖があります。環礁全体の面積は6km²。

イファリク環礁の漁具欧州人の到来以前にイファリク環礁は戦士の島として知られ、ヤップ州の島やチューク州の島に侵攻しました。攻撃を受けた島はラモトレック、ファラウレップ、ウォレアイ、エラート、サタワル、ウルシー、プルワット等。

服装は男性も女性も伝統的な腰巻だけで、人々は島に着く前に着ているTシャツとかを脱ぎます。車やバイクやモーターボートなども、島に持ち込むことは許されていません。ラジカセ、発電機、電話といった電化製品がなくて、イファリク環礁のアウトリガーカヌー例外は学校にある太陽電池で動くビデオセットです。

コンクリートの建物は、学校や教会に限られています。ヤップの社会というのは、首長制でチーフの権力が強いです。チーフの意向でなかなか開発が進まないという側面がありました。住民の中には、もっと便利な生活をしたいという人たちもいます。チーフがかなり高齢ですので、そういう人たちが亡くなったら、急激に開発が進むと言われています。

イファリク環礁のラグーンでカヌーに乗って遊ぶ子供たちイファリク環礁も男女別々に暮らしています。女性はタロイモ園で食物を準備しているか、幼児を気にかけているか、家でヤシの葉で編んだバスケット織っています。男性は干潟で釣りをするか、カヌーを製造するか、ものを修繕するか、子供たちを見ています。女性は男性のカヌー・ハウスに決して入らないし、男性は女性の家に決して入らないような生活です。
Ifalik Atoll (イファリク環礁北部)
7° 15´ 37.1" N  △T=68.2s
144° 26´ 52.7" E
Magnitude at maximum : 1.01243%
Moon/Sun size ratio : 1.04472
total solar eclipse : 3m 40.9s

Event Date Time (WIT) Alt Partial
(C1) : 2016/03/09 10:10:56.1 +52.7° 0.00%
(C2) : 2016/03/09 11:39:31.4 +72.3° 100.00%
(MAX) : 2016/03/09 11:41:21.7 +72.7° 101.24%
(C3) : 2016/03/09 11:43:12.3 +72.4° 100.00%

(C4) : 2016/03/09 13:15:49.8 +74.6° 0.00%
イファリク環礁の衛星写真とDATA
イファリク環礁の衛星写真とDATA

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オリマラオ環礁

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オリマラオ環礁のラグーン
オリマラオ環礁のラグーン

オリマラオ環礁の地理とDATA

オリマラオ環礁で獲れたイセエビオリマラオ環礁 (Olimarao Atoll) は、は太平洋北西部カロリン諸島の環礁。ミクロネシア連邦のヤップ州に属する無人の環礁で、島の陸地面積は0.2km²。エラート環礁の北西35km程の位置にあり、ヤップ島の南東860km程の位置にあります。礁湖も含めた環礁の面積は11km²ほどで、長さは5km、幅は3kmほど。礁湖は6km²ほどの面積で、南部に2箇所の外部と接続する水道があります。

2個の小島があり、合計の面積は0.2km²ほど。オリマラオ島が環礁北東端にあり、大きめの島です。もう一島は、環礁南西端のファリピ島(Falipi Island)で面積は2.4haと小さめの島です。両方の島にココヤシが生えているほか、クサトベラなどの低木植物も生育します。

環礁全体がオリマラオ保全地区の一部となっていて、地域は海亀やヤシガニ、海鳥などの繁殖地として保護されています。

イファリク環礁の漁具皆既帯が通過する環礁のうち、オリマラオ環礁だけが無人島です。なので、ここにはヤップ州の離島をまわる州政府の連絡船が着岸しません。しかしながらオリマラオ環礁は無人島なので長老や村長に挨拶する必要もなく、Council of Tamol (COT) という離島の自治体が構成する協議会から許可を得られればそのまま滞在できます。但し電源などはなく、夜間は沖に泊めてある船で寝泊まりした方が良いでしょう。この船もヤップ島からチャーター出来れば良いのですが、このサイトではチャーター船の情報がありません。

ここは皆既帯の南限界線に近いので、皆既時の太陽高度が74度と高くても皆既日食継続時間は短いのが難点です。それでも環礁南西端のファリピ島よりは、皆既日食継続時間が2秒ほど長くなります。

ミクロネシア連邦で見られる皆既日食のうち、島の陸地で見られるところはオリマラオ環礁が最後になります。皆既帯の陸地で見ても、最後の陸地となります。ちなみに正午中心食へ最も地理的に近いのがオリマラオ環礁です。この環礁の近くに無人島のウェストファユ環礁がありますが、惜しくも皆既帯から外れています。ウェストファユ環礁の島からだと、最大食分は99.959%の部分日食となります。
Olimarao Atoll (オリマラオ環礁北部)
7° 42´ 21.0" N  △T=68.2s
145° 52´ 57.6" E
Magnitude at maximum : 1.00251%
Moon/Sun size ratio : 1.04472
total solar eclipse : 1m 54.0s

Event Date Time (WIT) Alt Partial
(C1) : 2016/03/09 10:14:36.8 +54.8° 0.00%
(C2) : 2016/03/09 11:44:51.3 +74.0° 100.00%
(MAX) : 2016/03/09 11:45:48.2 +74.1° 100.25%
(C3) : 2016/03/09 11:46:45.3 +74.3° 100.00%

(C4) : 2016/03/09 13:20:03.8 +72.1° 0.00%
オリマラオ環礁全体の衛星写真とDATA
オリマラオ環礁全体の衛星写真とDATA  Xavier Jubierより抜粋

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正午中心食の概要

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正午中心食の概要 (UTC+10)

太平洋を通過する皆既帯
太平洋を通過する皆既帯…画像をクリックすると拡大されます

正午中心食の情報とDATA

正午中心食の皆既帯皆既日食は、太陽に月が隠された本影が円錐となって本影錐を形成します。この本影錐が地球上を通過する時に、必ず明け方から通過が始まって夕方に終わります。地球は球体なので、皆既帯の中心点である正午が中心食となります。この二つの言葉をつなげた言葉が正午中心食です。

正午中心食が、皆既帯の中で最も継続時間が長いです。本影錐が地上に接する面も明け方と夕方に起こる皆既日食より大きくなります。ちなみに明け方で見られるインドネシアのムンタワイ諸島北パガイ島では、本影錐の幅が107.6kmです。正午中心食では、本影錐の幅が155.0kmとなります。地球の端から本影錐の接する幅が正午中心食から観測すると、47.4kmも広くなります。

正午中心食では3月の平均雲量は50%と低くなり、皆既中の太陽高度も74度もあるので陸地なら観測地の最適な候補地です。

Silversea Silver DiscovererXavier Jubierさんのサイトで正午中心食に表示されたDATAをよく見ると、Silver Discovererと言うクルーズ船に乗って正午中心食で観測するような表示があります。それでこの船舶を良く調べると Silver Discoverer と言うサイトが見つかりました。そのサイトの上部に会社情報のリンクがあったのでクリックすると、インターナショナル・クルーズ・マーケティング株式会社(ICM)と言う日本の会社が運営していた船舶なのだそうです。

船の中では日本人コーディネーターが乗船し、皆さまの船内生活を日本語でサポートいたします。皆さまの船内生活を日本語でサポートいたしますのでクルーズが初めてのお客様、個人でご参加のお客様にも安心してご乗船いただけます。

● 一部の寄港地観光が無料でご参加いただけます。
● 船内でのWi-Fiが無料でご利用いただけます。
※ Wi-Fiはおひとり様1日2時間までになります。

…と、2015年 日本人コーディネーター乗船クルーズに書かれていました。右写真が実際に観測で使われる予定の客船です。見るからに豪華客船で、クルーズ費用もどこまで高額になるか分かりません。Silver Discovererのサイトを見ても皆既日食クルーズ船の旅は、募集もしていないそうです。まだまだ企画段階と言うことでしょうか?出航地と寄港地や帰港地がどこになるか不明です。

Silver Discoverer DeckSilver Discovererの甲板は、デッキ7と言う船の一番上にあります。ここの甲板が狭く猫の額のようなサンデッキしかありませんので、船員しか入れない特別なデッキに入れるものと思います。2009.7.22の皆既日食は、ふじ丸の船員しか入れない特別なデッキで観測しました。他にプールがあるデッキ5からも観測が可能です。眼視観測の方は、このデッキで観測されるかも知れません。

Silver Discovererは五層構造になっていて、客室はデッキ3~デッキ6まで各階にあります。船員や従業員の生活エリアがデッキ1~2になっているかも知れません。右の画像は、デッキ7にあるオープンカフェテラスです。この机と椅子を除いて観測場所が確保されるでしょう。
Central Total Solar Eclipse (皆既帯の正午中心食)
10° 07´ 23.1" N  △T=68.2s
148° 47´ 53.6" E
Magnitude at maximum : 1.02246%
Moon/Sun size ratio : 1.04499
total solar eclipse : 4m 09.4s

Event Date Time (+10) Alt Partial
(C1) : 2016/03/09 10:24:42.3 +58.9° 0.00%
(C2) : 2016/03/09 11:55:07.4 +74.6° 100.00%
(MAX) : 2016/03/09 11:57:12.0 +74.8° 102.24%
(C3) : 2016/03/09 11:59:16.8 +75.0° 100.00%

(C4) : 2016/03/09 13:30:25.7 +66.3° 0.00%
デッキ7の甲板
Silver Discoverer Deck7の見取図…デッキプランより抜粋

NASAによる南鳥島の衛星写真
NASAによる南鳥島の衛星写真…72%の部分日食しか見られません

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ウェーク島

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ウェーク島の地理

ウェーク島の領旗ウェーク島は、北太平洋で南鳥島の東に位置するアメリカ合衆国領の環礁です。水没した死火山の縁に発達したサンゴ礁で出来た環礁で、3つの島があります。19世紀中盤以降の殆どをアメリカが統治していますが、第二次世界大戦中は日本軍が占領し、名前も大鳥島に変わりました。1945年9月4日に2日前の日本の連合国への降伏文書への調印を受け、ウェーク島の日本軍も連合国軍に降伏しました。

戦後はアメリカ軍の軍事的戦略上の重要な拠点地でしたが、1975年のベトナム戦争の終結と1989年の冷戦終結以来、戦略上の重要性は薄れました。現在は軍事施設の殆どを撤収し、住人は空港と港湾施設の保守点検のため、軍人と民間人の約200人となっています。

ウェーク島の地図ウェーク島はグアムや日本とハワイを結ぶ航空路上にあるため、民間の貨物機や太平洋を横断して引き渡される小型機などの中継地・軍用機・旅客機の緊急着陸飛行場として使われています。2本の滑走路の長さは2,438mと3,047m、現在は施設の建設が行われ滑走路は1本のみ。港湾施設もありませんが、避難のための大型船の泊地が設定されています。基本的には空港施設だけの島で、戦争時の遺構は存在するものの観光施設の類は全くなく定期航空路線もありません。

ウェーク島のDATA

ウェーク島は、今回の皆既帯から僅かに外れています。世界標準時から、ちょうど半日の12時間進んだ時差があります。ウェーク島の西北にあるピール島の先端から、99.62%の部分日食が見られます。ちょうど付近の皆既帯で皆既日食が見られる時間帯に、ダイヤモンドリング状態の太陽が見られるでしょう。

ウェーク島のDATAウェーク島は、一般人が訪れることは出来ません。ここから約100km西北の海上では、3分35秒の皆既日食が見られます。この海域では3月の平均雲量が42%と低くなり、最大接触時の太陽高度も55度あるので、陸地なら観測地の最適な候補地です。

対流圏の循環によると、地球の赤道付近で上昇した空気が緯度30度付近まで北上した後、下降し地表付近を南下して赤道に戻るハドレー循環により赤道付近は低圧部となって雨が多いです。逆に緯度30度付近は常に下降気流があって亜熱帯高圧帯となり、雨が少なく乾燥気候となっています。なので、この地域は晴れやすくなります。

Peale Island Cape (ピール島の西北にある岬)
19° 19´ 5.9" N  △T=68.2s
166° 36´ 55.6" E
Magnitude at maximum : 0.99366%
Moon/Sun size ratio : 1.04247

Partial solar eclipse
Event Date Time (+12) Alt Partial
(C1) : 2016/03/09 13:22:25.1 +65.9° 0.00%
(MAX) : 2016/03/09 14:51:23.9 +54.5° 99.36%

(C4) : 2016/03/09 16:12:05.8 +38.1° 0.00%
ピール島の西北にある岬が映った空撮写真
ピール島の西北にある岬が映った空撮写真…99.36%の部分日食しか見られません

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ミッドウェー島

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Midway island VDO - Street view.

ミッドウェー島の地理

ミッドウェー島の領旗ミッドウェー島は、ハワイ-天皇海山列に属する元火山島。火山島が沈降し、珊瑚礁が発達しました。約2,800万年前にハワイのホットスポットで形成された火山島が沈降しつつ、プレートとともに現在の位置に移動しました。面積は6.2km²。アメリカ領太平洋諸島に属します。地域の標準時間は、UTC-11を採用しています。主な島はサンド島とイースタン島で、環礁の南部・東側にイースタン島、南部西側にサンド島があり、両島とも平地です。
ミッドウェー諸島の地図
ミッドウェーは軍事的に重要な位置にあり、太平洋を横断する航空機の給油地となりました。1940年にハワイ防衛の拠点として、軍事基地化が進みました。第二次世界大戦中の1942年6月4日にはこの環礁を巡り、近海で日本海軍とアメリカ軍との海戦が行われアメリカ軍が勝利。日本が海戦に勝利した場合、ミッドウェー島を『水無月島』と改名し領土化することを予定。直ちに占領体制を敷けるよう郵便局長など多数の文官を艦隊に帯同させましたが、敗戦によってその試みは潰えました。

冷戦期もアメリカ海軍の基地が置かれましたが、冷戦終結後に島はミッドウェー環礁国立自然保護区となることが決定され、軍事基地は1996年に閉鎖されました。その後、エコツーリズムの場として観光客の受け入れが行われましたが、2002年に中止。

ミッドウェー諸島には数々の海鳥が生息します。クロアシアホウドリの世界最大の繁殖地で、ミッドウェーの旗になっているコアホウドリも非常に多いです。特にカモメ科の海鳥ではセグロアジサシ、クロアジサシ、ナンヨウマミジロアジサシ等のアジサシ類が多数生息しています。その他にレイサンガモやレイサンヨシキリ等の固有種もいましたが、外来種の侵入や狩猟によって多くが絶滅したり、絶滅危惧種になっています。2011年、2012年、2014年にはイースタン島でアホウドリの繁殖が確認されています。

ちなみにミッドウェー諸島には皆既帯が通過していません。その南東にパール・アンド・ハーミーズ環礁と言う、日本人には殆ど知られていない陸地があります。皆既帯の北限界線から北西へ僅か10kmしか離れていないのですが、ギリギリ皆既帯から外れていました。

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Midway Atoll - More Scenes

Pearl and Hermes Atoll

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For The Sea - Pearl and Hermes Atoll

Pearl and Hermes Atollパール・アンド・ハーミーズ環礁の地理

パール・アンド・ハーミーズ環礁は、北西ハワイ諸島の北部に位置する環礁です。1822年にイギリスの捕鯨船パール号とハーミーズ号の2隻が難破したことから、この名前が付きました。砂でできた島がいくつかあり、その外側には大規模な珊瑚礁が発達しています。島の面積は、すべて合計すると359,975m²です。

パール・アンド・ハーミーズ環礁の皆既帯1899年(明治32年)5月20日、日本の帆船龍睡丸が時化に遭い、パールアンドハーミーズ環礁で座礁・難破しました。乗組員16名は近くの無人島に上陸して3カ月以上生活した後、全員生還しました。この話は後に、大道寺謙吉『龍睡丸漂流記』(明治36年刊)や須川邦彦『無人島に生きる十六人』(少年誌「少年倶楽部」昭和16年~昭和17年連載、昭和18年単行本化)に描かれました。生還者が語った島の形状から、この島はSoutheast Islandと推測されます。

このSoutheast Islandが、最も皆既帯に近いです。最大接触の食分は0.99795%と100%に近く、日付変更線を超えているのでダイヤモンドリング状態の太陽が2016.3.8の夕方に見られます。

最大接触の食分で比較すると、ウェーク島より皆既帯の近くに島があります。ここから70km南の海上に皆既中心線が通過するので、2分36秒の皆既日食が見られます。この海域は3月の平均雲量が50%となり、最大接触時の太陽高度も30度あるので、陸地なら最適な観測地です。これより東側は、皆既帯にかかりそうな島も環礁もありません。
Southeast Island (パール・アンド・ハーミーズ環礁南部)

27° 47´ 18.1" N  △T=68.2s
175° 49´ 07.2" W
Magnitude at maximum : 0.99795%
Moon/Sun size ratio : 1.03695

Partial solar eclipse
Event Date Time (-11) Alt Partial
(C1) : 2016/03/08 15:06:27.4 +44.7° 0.00%
(MAX) : 2016/03/08 16:22:24.3 +30.4° 99.79%

(C4) : 2016/03/08 17:30:09.9 +16.2° 0.00%
パールアンドハーミーズ環礁の航空写真
パールアンドハーミーズ環礁 Southeast Islandの航空写真…東南方向から撮影されました

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陸上観測ツアー

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国際航空旅行サービス株式会社 2016年皆既日食観測ツアー | インドネシア

2016年3月5日(土)~3月10日(木)6日間 他
募集開始日は未定とのこと。リピーター優先募集のようです。

「土日を使って最大限に旅行が出来るよう企画した6日間」「皆既日食を中心に考え、観光を後半とした8日間」「せっかく行くなら全部廻りたいというアクティブな方向けの9日間」「関西発着の8日間(現地Bコースと同一)」に加え「弾丸ツアー」もあるようです。


代官山 蔦屋書店特別旅企画  2016年皆既日食ツアー(in インドネシア)参加者募集中

2016年3月6日(日)~3月10日(木)3泊5日
観測場所:インドネシア スラウェシ島 パル
定員:羽田発 30名 関西発 40名
旅行代金:羽田発 238,000円 関西発 232,000円

*別途、空港諸税及び燃油チャージが必要


2016年 インドネシア・グアム皆既日食ツアー|海外旅行|阪急交通社

インドネシア皆既日食ツアー(関西発)
「阪急交通社で行く2016年インドネシア・グアム皆既日食ツアーの関西発インドネシアでの観測紹介です。和歌山大学・尾久土正己教授同行で、日食について詳しくご説明!」

3/7(月)発4~6日間
観測地:バブルー、バリクパパン
旅行代金:268,000円~

インドネシア皆既日食ツアー(関東発)
3/7(月)発 4~6日間
3/6(日)発 7日間
観測地:バブル-
旅行代金:268,000円~
4日間コース:羽田発、他:成田発


インドネシアの皆既日食ツアー2016 | Malalaツアーインドネシア

インドネシア・スラウェシ島皆既日食とタンココ自然保護区訪問8日間 | 道祖神アドベンチャーワールド

2016年3月7日(月)出発 8日間
観測場所:インドネシア・スラウェシ島
旅行代金:399,000円
月刊天文ガイド協賛 皆既日食に絞ったBコースもあり


インドネシア皆既日食ツアー・旅行 | 海外旅行 | クラブツーリズム

2016年3月7日(月)or 8日(火)出発 3~5日間
観測場所:インドネシア スマトラ島パレンバン または カリマンタン島パランカラヤ
旅行代金:羽田発 250,000円~
パレンバン、パランカラヤの2か所でそれぞれツアーが用意されています。


2016年 インドネシア 皆既日食観測ツアー │ セブン旅ネット

2016年3月7日(月)出発 5日間
観測場所:インドネシア テルテナ島
旅行代金:羽田発 258,000円~
カリマンタンコースも追加される模様です。
星ナビ協賛


【特別企画】皆既日食観測ツアー、インドネシア・スラウェシ島の旅 日本橋トラベラーズクラブ/海外旅行

2016年3月5日(土)出発 7日間
観測場所:インドネシア スラウェシ島 パル
旅行代金:298,000円~


西鉄旅行 天文ジャーナリスト大野裕明先生と行く 皆既日食観測ツアー IN パレンバン

2016年3月6日(日)出発 5日間
観測場所:インドネシア パレンバン
旅行代金:218,000円~248,000円
羽田発


インドネシア 2016年 ツアー テルナテ島 皆既日食 と サンゴの海 ブナケン島 8日間 | ワイルド・ナビゲーション

タイトルのみ確認できます。詳細は問い合わせが必要です。


感動のインドネシア皆既日食観測の旅インドネシア6日間|H.I.S.スタディツアー


2016年3月6日(日)出発 6日間
観測場所:インドネシア ブリトゥン島
旅行代金:338,000円
羽田発・成田着


これらのツアーはほぼ満席になっていますので、掲載されたサイトから募集状況を確認してください。

洋上観測ツアー

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JTBクルーズバリュー 【MSフォーレンダム】2016年 皆既日食観測とインドネシアクルーズ15日間

2016年2月29日(月)~3月14日(月)
観測場所:マカッサル海峡付近
航空会社:シンガポール航空(成田-シンガポール間)
成田空港発着
旅行代金:498,000円~


ベストワンクルーズ MSフォーレンダム号で行く  2016年 皆既日食観測とインドネシアクルーズ15日間 -成田発着-

上記JTB主催のものと同じです
2016年2月29日(月)~3月14日(月)
観測場所:マカッサル海峡付近
航空会社:シンガポール航空(成田-シンガポール間)
成田空港発着
旅行代金:498,000円~


Cruise Planet 皆既日食観測とインドネシア周遊クルーズ19日間

2016年2月29日(月)~3月18日(月)
観測場所:マカッサル海峡付近
航空会社:日本航空(羽田-シンガポール間)
羽田空港発着
旅行代金:398,000円~


郵船トラベル 皆既日食・グアム・小笠原クルーズ

2015年3月3日(木)~3月17日(木) or 2016年3月4日(金)~3月16日(水)
観測場所:-
神戸発着15日間 or 横浜発着13日間
旅行代金:未発表~6月中旬完成のパンフレットにて発表予定
ぱしふぃっくびーなすによる洋上観測ツアーです。
クルーズを扱う各社ページにも掲載があります。

ナゲット割って父ちゃん

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また ジャンパー出た‼︎ “ナゲット割って父ちゃん”【空耳アワー】

ナゲット割って父ちゃん母親がせんべいを食べている居間に、父親と息子がナゲットの紙袋を持って帰ってきて、音楽に合わせて息子が1つずつナゲットを父親に渡し、父親が2つに割って皿に乗せていってましたが、音楽の盛り上がりとともに父親の表情やリアクションも大げさになっていき、最後は母親がナゲットを指さしてツッコんでました。

結局ジャンパーレベルだけど、どうするかという話になりタモさんが「新しく作ろうか」と検討していましたが、スタッフさんの「昔のいっぱい余ってるんで」の一言で変更前のペラペラのものが進呈されることになりました。こちらの方が貴重なジャンパーですね。

昔の空耳ジャンパー
昔の空耳ジャンパー

Rage Against The Machine

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Rage Against The Machine - Killing In The Name - 1993

Rage Against The Machineレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン(Rage Against the Machine)はアメリカ合衆国のラップメタルバンド。 1990年にカリフォルニア州ロサンゼルスで結成された。英語圏ではRATM、日本においてはレイジという略称で呼ばれる。

「レッド・ツェッペリンとパブリック・エナミーの融合」と呼ばれる特徴的なサウンドと、マルコムX、チェ・ゲバラ、マーチン・ルーサー・キング・ジュニアなどから思想的影響を受けた政治メッセージを持つ歌詞が特徴。彼らのライヴにおいてはしばしばゲバラの肖像画が掲げられ、アンプの前などに星条旗が逆さまに吊るされた。また、ムミア・アブ=ジャマールの釈放を求めたり、無料の反戦コンサートを開いたりするなど、音楽の枠にとどまらず実際に政治活動も行っている。2000年に解散したが、2007年に再結成し、2011年のライブ以降は再び活動を休止している(2015年現在)。

Rage Against The Machine - Killing In The Name (Live At Finsbury Park)

アップダウンクイズ

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アップダウンクイズ

1978年のアップダウンクイズアップダウンクイズ(Up-Down Quiz)は、1963年10月6日から1985年10月6日までの毎週日曜日19:00 - 19:30(JST)に毎日放送制作、ロート製薬の一社提供、日本航空の協賛で放送されていたクイズ番組である。現在でも語り継がれる、日本のテレビ史に残る伝説のクイズ番組として知られている。

放送開始から1975年3月30日放送分まではNETテレビ(現:テレビ朝日)系列の一部で放送されていたが、同年4月6日放送分以降はネットチェンジに伴い、TBSテレビ系列で放送された。

解答者6名が解答席であるゴンドラに乗り、次々読み上げられるクイズを早押し・対抗形式で競い、10問正解(10段まで上り詰める)でハワイ旅行と賞金(初期は20万円、後に10万円)獲得になる。

クイズに正解すると解答者の乗ったゴンドラが1段上昇(アップ)、誤答すると位置に関わらず最初まで下降(ダウン)するルールだった。

アップダウンクイズ(後半の部)

「ハワイへのご招待。10問正解して、夢のハワイへ行きましょう!」  

司会者の小池清さんこれはこの番組を表す、そのものずばりのコピーだった。後に海外旅行が大衆化して「夢」で無くなった1970年代前半からは、「ハワイへのご招待。10問正解して、さあ、ハワイへ行きましょう!」に改められた。10問正解の賞品が海外旅行であることから、日航が協賛していた。

シルエットクイズは、1967年2月26日放送分から登場。番組の目玉コーナーといわれ、最終回まで続いた。これはかつてNHKで放送された『私の秘密』、『それは私です』のコンセプトを取り入れたものといえる。ゲストをシルエットで見てもらい、3つのヒントから当てるもので、正解すると第1ヒントなら3段、第2ヒントなら2段、第3ヒントなら1段ゴンドラが上がった。第1ヒントはゲストの性別と職業、第2ヒントは簡単な経歴、第3ヒントは具体的なことだったが、後に第1ヒントはシルエットのみに改められた。第3ヒントではシルエットが横向きになった。ヒント後のシンキングタイム時にBGMが入った。

ラッキークイズは、シルエットクイズと同時期に登場。ボーナスクイズの一つで、毎回ゲスト本人から出題された。正解するとゴンドラが2段上がった。当初はシルエットクイズに続きゲストに関係する問題を3問、そしてゲストへのインタビュー後にこのクイズという流れだったが、ゴンドラが色分けされてからは最終問題となった。

ロート製薬

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ロート製薬オープニングCM

ロート製薬ロート製薬の一社提供テレビ番組では、番組開始時にロート製薬社屋の白いタワーに鳩が舞い、社屋全景が映し出されるオープニングキャッチ(16秒間)が放送されていた。これは1962年の『私はナンバーワン』から2010年の『SMAP×SMAP』まで、約48年間に亘って放映された。その間に幾度かの変更が行われ、全部で8パターン製作された。

初代版(1962年1月から1993年3月まで)は、本社社屋前で撮影。社屋ロゴは「ロート」の片仮名表記のみ。撮影の為に本社屋上に鳩を飼い、撮影条件の好い雨上がりや台風一過を待つため、撮影に半年を要した。1962年から白黒で放送され、1965年からカラーで放送された。BGMは変ホ長調。『クイズダービー』『アップダウンクイズ』で放送されていたのは、このヴァージョン。

最後に登場する社屋全景の映像は初代から不変で、本社社屋の手前に写っていた池は駐車場に変わり、後方にも高層建造物が林立しているなど、かつての風景とは大きく様変わりしている。

ロート製薬(解説&クイズにしてみた)
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