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モルディブのホテル
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イギリス領インド洋地域
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ディエゴガルシア島

1966年にイギリスはアメリカ合衆国との間に同島を50年間貸与する旨の協定を結び、同時にイギリス政府は巧妙な方法で同島および他の2つの島から島民の追い出しを図り、1973年頃に、最終的に残った者たちをモーリシャスへ強制移住させた。移住を余儀なくされた島民が、イギリス政府を相手に同島への帰還と補償等を求めて訴訟を起こし、2004年現在も係争中である。

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チャゴス諸島


モルディブでは古くからチャゴス諸島の存在は知られていたが、モルディブからは遠いことから人の居住はなかった。16世紀にポルトガルによって発見された後、1814年よりイギリス領となった。モーリシャスの管轄として統治されていたが、1965年にモーリシャスから分離された。1968年にモーリシャスが独立した後も、イギリス領として残されている。
諸島には18世紀から住民が定住し、20世紀半ばには2,000人ほどとなっていた。住民は1967年から1971年にかけてモーリシャスへ移住させられている。1971年からはアメリカ合衆国との条約が締結され、ディエゴガルシア島に軍事基地が建設された。2007年現在、ディエゴガルシア島以外は無人島。

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エグモント諸島
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MINOLTA

ミノルタというブランドはMachinery and Instruments Optical by Tashimaという英語の文字からとってMINOLTAとしたもので、創業者の田嶋一雄によって名づけられた。この名称は『稔る田(みのるた)』の意味も含んでおり、創業者の生母が『稔るほど頭を垂れる稲穂のように、常に謙虚でありなさい』と言っていたことを肝に銘じておきたかったからとも言われている。
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MINOLTA X-7

ミノルタX-7(1980年発売)は、普及型一眼レフカメラ。XG系フレームを使用した上で撮影モードは絞り優先式AEのみに特化、価格もミノルタXDの半値程度とし、初心者にも扱い易い仕上がりとなっている。宮崎美子のCMで大ヒットした。また、この時期ニコンEMやオリンパスOM10など「AE専用・4万円」という同コンセプトのカメラが発売されており、各社エントリーモデルとして販売競争を繰り広げた。
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MINOLTA α-7000

一眼レフカメラで劣勢だったミノルタは、レンズ駆動用のモーターや電源をカメラボディに内蔵することで交換レンズの外径や価格をマニュアルフォーカスレンズと遜色ないものにし、1985年オートフォーカスの速度や精度も一般的ユーザーのマニュアルフォーカスを上回るレベルのミノルタα-7000を発売した。このことでミノルタαシリーズは実質的に世界初のオートフォーカス一眼レフシステムカメラとなった。同時に発売されたαレンズは当初より13本を数え、全レンズがオートフォーカス対応である他、ROMの搭載によりズームレンズの画角によって露出のプログラムを変更したりフラッシュの照射範囲を変更させたりと、システム全体での緻密な情報交換によってより高度な自動撮影が可能になっている。
このカメラの出現により一眼レフカメラのオートフォーカス化が大きく進むなど、当時の業界に与えた影響は極めて大きく、「αショック」という言葉さえ生まれた。カメラグランプリ'85、インターカメラ国際賞、ヨーロピアン・カメラ・オブ・ザ・イヤー'85受賞。CMソングには、野田幹子の「太陽・神様・少年」が使われており、郵便応募によるキャンペーンで野田幹子の非売品ミニアルバムの抽選があった。
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MINOLTA α-5700i
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MINOLTA α-7700i

機能面ではαシリーズの第一世代モデルで採用されたタッチセンサーは廃止、オートフォーカス補助光発光機能を本体に内蔵、6分割測光機構の採用などでオートフォーカス/自動露出ともに他メーカーを圧倒した。ミノルタ独自のカードシステムも採用され、主に露出制御関連の機能追加などをカードで行うことができた。当時はカメラに積めるメモリ搭載量の上限が低かったため、あると便利な機能をカードで提供し、ユーザーは必要な機能だけを後付で買うことができた。この世代からペンタ部上部のアクセサリーシューをオートロックアクセサリーシューに変更した。
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MINOLTA α-8700i

ミノルタα-8700iミール(1990年10月発売)は、ソビエト連邦の宇宙ステーションミールに搭載されたことを記念したパールホワイトの限定バージョン。同色の標準ズームレンズ、フラッシュおよび記念テレホンカードが付属。機能面や性能面での違いは皆無。

MINOLTA α-8700iを1990年~1999年まで愛機として使っていました。
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MINOLTA α-7xi


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MINOLTA α-xi CM
ミノルタα-3xi(1991年8月発売)
xiシリーズの末弟で、フラッシュのオートポップアップなどが装備された。徹底した入門機。
ミノルタα-5xi(1992年3月発売)
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MINOLTA α-707si

第三世代型αシリーズで採用された「アイスタートシステム」は切り替えスイッチが増設されて残され、第二世代型αシリーズで採用された「カードシステム」もそのまま残されている。カードシステムはこの機種への採用を持って終了した。カメラグランプリ'94受賞、ヨーロピアン・カメラ・オブ・ザ・イヤー'94-95受賞、'94-'95オーストラリアン・SLRカメラ・オブ・ザ・イヤー受賞。ミノルタα-707si japan(1995年2月発売)は、総漆塗り限定バージョンとして発売された。

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MINOLTA α-807si

内蔵されたフラッシュはポップアップ式にも関わらず、ズーム機構によって照射角が変化する。ガイドナンバーは20に達し、それまで発表されたカメラ内蔵型フラッシュとしては最大のものである。カードシステムは廃止され多くの機能は標準装備となったが、カードにより実現されていたミノルタ独自の特殊効果である多重露出のフェードイン&アウト機能、ファンタジーカード系、フィルムのラチチュードを読み取ってH/S基準を補正する等の機能は割愛された。
弘前ねぷたや青森ねぶたなど、このブログで使われる著作権マークの付いた殆どの写真がこの愛機で撮ったものである。

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AF REFLEX 500mm F8


500mm F8 Reflexの小型・軽量さは、機動性が求められるスポーツの撮影にも最適。絞りはF8とやや暗めながら、ISO感度を800程度に上げればシャッター速度が高速にできるため、被写体ブレも抑えられる。反射望遠レンズは、構造上の特徴から光源のボケが独特のリング状の形になる。この独特のボケの形を生かした表現も魅力的である。
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SONY α-99

ソニーに旧コニカ・旧ミノルタの技術者もその多くが吸収雇用されており、それぞれが培ってきた一眼レフカメラの技術や光学テクノロジーをベースにCCDイメージセンサの開発やサイバーショットの画像エンジンなどのソニーの技術を活かしたシステムとなる。コニカミノルタ時代には自社技術として持ち得なかった半導体技術をソニーから大幅に取り入れられたことで、デジタルカメラとして大きく進歩した。
ソニーα99(2012年10月26日発売)は、ソニーα900の後継機種だが、Aマウントである事・イメージセンサーのサイズ以外共通点は無い。最大毎秒6コマの高速連写が可能。新開発の超高感度有効約2430万画素「Exmor」35mmフルサイズ HD CMOSセンサー、有機ELを採用したファインダー「XGA OLED Tru-Finder(トゥルーファインダー)」を搭載。AVCHD形式の1920x1080/60p・24pのフルハイビジョン動画撮影も可能。本機は35mmフルサイズセンサーを搭載したサイバーショットRX1およびハンディカムNEX-VG900と同時に発表された。アクセサリーシューにハンディカムと共通のマルチインターフェースシューを採用。MINOLTA AF REFLEX 500mm F8と2倍テレコンバーターと併せ長焦点で皆既日食を撮影したい。
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サクラカラー


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コニカカラー

2013年4月1日にグループ内の再編に伴ってコニカミノルタエムジーとコニカミノルタビジネステクノロジーズを含む事業子会社7社をコニカミノルタホールディングスへ合併。事業会社となった同社はコニカミノルタ株式会社に商号変更した。
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Kodak

コダックという社名は、力強くシャープな感じがすると同時に、創業者のお気に入りでもあった「K」をはさんだ単語をいく通りも考えた結果として生まれたものであって、単語そのものに特別な意味はない。2012年(平成24年)1月19日に連邦倒産法第11章の適用をニューヨークの裁判所に申請した。
Kodakも愛用していましたが、メインフイルムは次のネタに出てくるメーカーでした。Kodakはあくまでメインフイルムの補助で、例えば海外の撮影でフィルムを切らしてしまった時に現地で何度か購入しました。
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