※天守閣一階展示物
弘前藩初代藩主である津軽為信が、主家である南部氏からの独立を果たし津軽地方を統一したのが1588年(天正16年)のことでした。その後、為信は津軽地方を治めるために新たな城を築くことを決意し、現在の弘前の地を選定しました。これが1603年(慶長8年)のこととされています。当時、この地は旧名の高岡(鷹丘)と呼ばれていました。築城計画はなかなか進まず、為信は完成を見ることなく1607年(慶長12年)京都にて客死します。
父の遺志を継いだ第2代藩主信枚が高岡城を完成させたのは、1611年(慶長16年)でした。完成当初、高岡城には5層の天守がそびえていました。現在、本丸未申櫓跡となっている石垣が当時の天守台でした。
しかし1627年(寛永4年)、この5層の天守は火事により失われてしまいました。土地の旧名である高岡が、現在の弘前に改められたのはその翌年のことで、これには魔除けの意味がこめられていたと言います。
弘前の意味を調べたところ、弘(ひろ)は広いどこまでも無限に広がっていくと言う意味で、前(さき)は邪を切ると言う意味があります。つまり「悪いところは切り落として無限に街が広がってゆく」と言う大変縁起のいい名前なのです。本来なら大都市になってもおかしくないはずなのですが…!?
弘前城天守閣入館案内
※駐車場/なし ※ライトアップ有 ※開館時間/AM9:00~PM5:00
※入場料/大人310円 子供100円 団体10名以上は2割引
※毎年4月~11月の第二日曜日のみ館内無料
※見学時間/館内9:00~17:00(入園は16:30まで)/外観・内観撮影自由
※本丸・植物園以外は無料公開
※住所 〒036-8356 弘前市下白銀町1 ℡ 0172-33-8739
※有料期間/4月1日~11月23日