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Channel: スチャラカでスーダラな日々
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スワヤンブナート

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teardrop

Massive Attackの代表曲“teardrop”を聞くと、どうしてもネパールのカトマンズ盆地にあるスワヤンブナート寺院に描かれているブッダの知恵の目が思い浮かばれます。一度本物を撮影しに行きたくなります。

スワヤンブナートスワヤンブナートは、ネパールのカトマンズ盆地にあるネパール仏教寺院。カトマンズの中心部から西に3kmほどいった丘の上にたっている。400段弱の急な石階段を上ったところが寺院の中心になっている。 寺院中央には仏塔がそびえる。大きさではボウダナートの仏塔よりも小さいが、ネパール仏教にとっては最も重要な仏塔である。仏塔には、仏陀の知恵の目が四面に描かれている。また、この仏塔の周囲には、チベット仏教の特徴を示すマニ車が並んでいる。

この仏塔は正確にはストゥーパではなく、マハ・チャイテャ(大チャイテャ)と呼ばれる。また仏塔の西北隅にある堂が、その形状からヒンドゥー教の寺と勘違いされ、仏教とヒンドゥー教が共存している象徴として紹介されることがあるが、実は鬼子母神堂でありヒンドゥー寺院ではない。

スワヤンブナート全景

タルチョー

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ラダックの峠にある典型的なタルチョーとストゥーパ
ラダックの峠にある典型的なタルチョーとストゥーパ

エベレストの位置タルチョー(チベット語:དར་ལྕོག་)は、チベットの五色の祈祷旗である。寺院や峠、端に見られる。

五色の順番は青・白・赤・緑・黄の順に決まっており、それぞれが天・風・火・水・地すなわち五大を表現する。タルチョ、タルチョク、マニ旗、ルンタ(རླུང་རཏ་ rlung rta)すなわち風馬旗とも言う。風の馬が描かれている場合にルンタと特に呼ばれ、仏法が風に乗って拡がるよう願いが込められている。

他に願い事や六字大明呪、四神(虎、麒麟、鳳凰、龍)などが描かれている場合もある。経文が書かれている場合は風に靡くたびに読経したことになる。

タルチョーは、チベットにおける仏教伝来以前のボン教の時代からの伝統の祈祷旗である。伝統的には木版印刷によって柄は作られている。

ネパールのタルチョー
ネパールのタルチョー

マニ車

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チベット仏教寺院雍和宮 マニ車

サムイェ寺のマニ車マニ車とは、主にチベット仏教で用いられる仏具である。転経器とも訳す。チベット語ではマニコロ(チベット語: མ་ཎི་འཁོར་ལོ་)と呼ぶ。「マニ」は如意宝珠(サンスクリット: चिन्तामणि)の略で、単独では「宝珠」の意味。「コロ」はチャクラの意味。

マニ車は円筒形で、側面にはマントラが刻まれており、内部にはロール状の経文が納められている。大きさは様々で、手に持てる大きさのものがあれば、寺院などでは数十cm、大きいものでは数mにも及ぶマニ車が設置されている。

チベット仏教とボン教の混在地区などでは、仏具店でマニ車を購入しようとすると、どちらの宗教かを聞いてから内部にその宗教の経文をセットしてくれる。チベット仏教の場合はマニ車を右回り(時計回り)に、ボン教の場合はマシモ車を左回りに回転させると、回転させた数だけ経を唱えるのと同じ功徳があるとされている。

巨大マニ車

ブータン

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ブータン-1

ブータンの位置ブータン王国は南アジア、インドと中国の間にある友邦国。世界で唯一チベット仏教(ドゥク・カギュ派)を国教とする国家である。民族はチベット系8割、ネパール系2割。公用語はゾンカ語。首都はティンプー。

この国名の起源については様々な説がある。例えば、サンスクリット語で「高地」を意味する「ブーウッタン」説があるが、インドの側からの呼称で、インドからみればブータンは標高の高いところに位置していることによる。ブータンの人々は自国を「ドゥック・ユル」と呼ぶ。これは13世紀以降、仏教のカギュ派に属するドゥック派を国教としてきたので、自分たちをドゥクパ(カギュ派の中のドゥク派)、自国を「ドゥクパの国」(雷龍の国)と呼んでいる。

ブータンー2

ブータンの国土内陸国ブータンは、インドと中華人民共和国(チベット)という二大国に囲まれた地政学上非常に微妙な位置にある。インドとは東をアルナーチャル・プラデーシュ州、西をシッキム州、南を西ベンガル州及びアッサム州で接しており、その国境線は605kmに達する。また北の国境線470kmは中華人民共和国のチベット自治区と接している。中華人民共和国との国境の大部分はヒマラヤ山脈の上を走っている。従って国境線が確定していない部分も多く、国境画定交渉が現在も進められている。

国土は標高差が非常に大きく、南部の標高100mから北部の7,550mにわたっている。気候の多様性もはっきりとしている。ブータン南部は一般に暑く、湿気が多い気候であり、北部では万年雪が残る高山気候である。谷の多いブータンでは標高によって谷ごとに気候が変化することも多い。降雨量はレインシャドウ効果により短い距離で変化する。年間降水量はほとんどが雨期(モンスーン期:6月半ばから9月)に集中している。年平均降水量は、南部国境地帯で3,000-5,000mm、南部ヒマラヤ斜面地帯では1,200-2,000mm、内陸中央峡谷地帯で500-1,000mm、4,000m以上の高山地帯では500mm以下となっている。

ブータンー3

ブータン国旗

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Druk tsendhen Bhutan National anthem Vocal

ブータンの国旗ブータンの国旗は、19世紀の頃から現在のものと似たものがあったが、現在の形になったのは1969年頃である。

龍はドゥルック(Druk、雷龍の意)と呼ばれるものであり、それはブータンがチベット語の方言で「龍の地」として知られていることを暗示している。龍の爪についているのは宝石で、富を象徴している。背景は二つの色に分けられており、それぞれ世俗の君主政治(黄色)と仏教(オレンジ)を象徴している。ブータンのドゥルク航空では、垂直尾翼に国旗のデザインを描いている。

Bhutan National Anthem

パロ国際空港

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ブータン・パロ空港に到着する飛行機から見た風景(ドゥルック航空)

ドゥルク航空パロ空港(英: Paro Airport)は、ブータンの首都ティンプーの西に位置するパロにある空港である。パロ市街から3.7マイル (6.0 km)に位置するブータン唯一の国際空港であり、ドゥルク航空の本拠地である。この空港は高い山々に囲まれており、離着陸の際はパイロットに高度な技術が要求される。有視界飛行方式で日出から日没までのみ飛行可能である。

ドゥルク航空は、ブータンの航空会社。ブータン唯一の国際空港・パロ空港を本拠地としている国営航空会社で、ブータンのフラッグキャリアである。「ドゥルックエアー」のドゥルック(ドゥク)はブータンを指す言葉で、ブータン国旗に描かれる「雷竜」のことでもある。

ブータンのパロ国際空港の様子

ブータンの文化

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Bhutan - The happiest place on Earth - One Life

民族衣装でのチベット系のブータン人の女性ブータンは、気候・植生が日本とよく似ている上に、仏教文化の背景も持ち合わせており、日本人の郷愁を誘う場合も多い。これはモンスーン気候に代表される照葉樹林地帯(ヒマラヤ山麓-雲南-江南-台湾-日本)に属しているためで、一帯では類似の文化的特徴をみいだすことができる。

食文化においては、ブータンの主食は米。トウガラシの常食と乳製品の多用という独自の面を有しつつ、赤米を中心に、パロ米(日本米)、プタ(蕎麦)の栽培、リビイッパ(ブータン納豆)、酒文化(どぶろくに似た醸造酒「シンチャン」や焼酎に似た蒸留酒「アラ」)などの日本人の琴線に触れる習慣も多い。また、伝統工芸においては漆器や織物などの類似点もある。

伝統的な競技としては国技の弓術が代表的である。子供はダーツのような「クル」、石投げなどで遊ぶ。武器の扱えない僧侶は石投げに興じることが多いが、近年では聖俗問わずサッカー人気も高い。特に、サッカーや格闘技は、ケーブルテレビの普及以降、爆発的に人気を獲得した。

近代化の進むなか、チベット仏教は現在でも深くブータンの生活に根差している。ブータン暦の10日に各地で行われるツェチュという祭は今でも交際の場として機能している。その他、宗教的意匠が身近なところにあふれ、男根信仰も一般的である。宗教観や古い身分制度に基づく伝統的礼儀作法(ディクラム・ナムザ)は厳格で、国家公務員の研修や学校教育に取り入れられている。公的な場所に出るときは正装が義務付けられる。

Happiness from Bhutan

ブータンの衣装

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National Dress of Bhutan Gho's & Kira's!

ゴ (Gho)チベット系住民の民族衣装が「ブータンの民族衣装」と規定されている。男性用は「ゴ」、女性用は「キラ」と呼ばれる。ブータンは、1989年より日常着として公の場での民族衣装の着用を国民に義務付けた国としても有名である。公の場とは、公的機関(ゾンや役所など)、寺院、学校、公式集会、公式行事をその範囲としているが、近年その解釈が厳格になり、現在は自宅以外の場所として認識されている。違反した場合の罰則規定もある。警察・軍などの制服職、外国人、ネパール系住民、固有の衣装を持つ少数民族はその限りではないが、無用のトラブルを避けるため着用せざるを得ない人も多い。公務員は職務中、いずれの民族であれ民族衣装着用が義務付けられる。

「ゴ」はチベットの民族衣装チュバ、日本の丹前やどてらなどとも形状が類似している。このため、日本では呉服(もしくは和服)と「ゴ」の起源を言葉の類似から同一視する俗説があるが、「ゴ」の起源は中央アジアだとされること、呉服の名称は「くれはとり」からできた言葉であることなどを鑑みた場合、両者は名称の偶然の類似でしかない。着用時は体の正面で布を合わせ、。キラ (Kira)たくし上げた状態で帯をきつく締めるため、胴回りに空間ができる。携帯品をこの空間に収める正装の場合、「ゴ」の上にカムニと呼ばれるスカーフをまとう。スカーフの色は身分によって分かれており、一般市民は白、大臣クラスで濃いオレンジ、国王はサフラン色と決められている。

「キラ」は3枚の布を繋ぎ合わせた大きな布を巻衣の状態で、肩の部分をコマという留め具で固定する形で着用する。ブータン人は着道楽とも言われ、余裕のある人々は衣装や装飾品に糸目をつけないことでも知られる。 近年日常着としての機械織りも普及してきたが、伝統的な手織りの織物は現在でも珍重されている。「ゴ」や「キラ」は織物で有名なクルテ地方、タシガン地方、カリンなどの東部で生産されるキシュタラ、メンチマタ、ルンセルマなどの絹織物を使って作られる。野生絹(ブラ)を使った織物も有名。祭の晴れ着などを有名産地や織り子にこだわって個人的にオーダーする人も多い。寒冷なブムタン地方では、ヤタと呼ばれる毛織物も有名である。

北西部のラヤ・ルナナの遊牧民や南部のロプといった少数民族は固有の民族衣装を持っている。民族衣装着用規定はこれらの民族衣装の着用を認めているが、自身の民族衣装を恥ずかしく感じる場合も多く、町に出てくる際は「ゴ」や「キラ」の着用を好む。

National Dress: The Kira

ブータンの現実

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ブータン、テレビがもたらした影響

ブータンのパスポートIMFの統計によると、ブータンの2011年のGDPは14億ドルであり、日本の人口5万人程度の市町村に相当する経済規模である。一人当たりのGDPは2121ドルであり、世界平均と比較すると大幅に低い水準である。2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル未満で暮らす貧困層は17万人と推定されており、国民のおよそ25%を占めている。国際連合による基準に基づき、後発開発途上国(最貧国)に分類される。

1985年に公民権法(国籍法)が制定されたが、その際、定住歴の浅い住民に対する国籍付与条件が厳しくなり、国籍を実質的に剥奪された住民が、特に、南部在住のネパール系住民の間に発生した。そもそも、ブータン政府は彼らを不法滞在者と認識しており、これはシッキムのような事態を避けたいと考えていたための措置だったといわれる。

そのシッキム王国はもともとチベット系民族が主導権を握る国家であったが、ネパール系の移民が急増した結果として両者の人口比率が逆転し、それが王国の崩壊とインドへの併合の遠因となったとみなされている。

ブータンの国家的アイデンティティを模索していた政府は、1989年「ブータン北部の伝統と文化に基づく国家統合政策」を施行し、チベット系住民の民族衣装着用の強制(ネパール系住民は免除)、ゾンカ語の国語化、伝統的礼儀作法の順守などが実施された。1988年以降、ネパール系住民の多いブータン南部において上記「国家統合政策」に反対する大規模なデモが繰り広げられた。この件を政府に報告し、ネパール系住民への対応を進言した王立諮問委員会のテクナト・リザル(ネパール系)は反政府活動に関与していると看做され追放される。

ネパール系ブータン人が居住するベルダンギ難民キャンプの位置この際、デモを弾圧するためネパール系住民への取り締まりが強化され、取り締まりに際し拷問など人権侵害行為があったと主張される一方、過激化したネパール系住民によるチベット系住民への暴力も報告されている。混乱から逃れるため、ネパール系住民の国外脱出(難民の発生)が始まった。後に拷問などの人権侵害は減ったとされる。国王は、国外への脱出を行わないように呼びかけ現地を訪問したが、難民の数は一向に減らなかった。この一連の事件を「南部問題」と呼ぶ。後に、ネパール政府などの要請によりブータンからの難民問題を国連で取り扱うに至り、ブータンとネパールを含む難民の流出先国、国連 (UNHCR) により話し合いが続けられていたが、2008年3月に難民がブータンへの帰国を拒んだため、欧米諸国が難民受け入れを表明し逐次移住が始まる予定である。

「幸福の王国」ブータンの理想と現実

タクツァン僧院

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Paro Taktsang "The Tiger's Nest"

タクツァン僧院タクツァン僧院はブータン王国の西部にあるパロ市の10km北にあり、岩盤斜面がほぼ垂直となったパロ渓谷の崖の上に沿って建てられている。現在の建物は1998年4月19日に火災によって全焼し、その後2005年に再建された。タクツァンとは、虎の隠れ家を意味する。

パロから車で20分ほどでタクツァン僧院の登り口まで行くことが出来る。そこから歩いて登るしかない。登り口からタクツァン僧院までの道は、舗装のない坂道となる。坂道がきつく普通の人でも歩いて3時間ほどかかるため、所々に休憩所やカフェテリアが用意されている。第一展望台と第二展望台があり、体力に自信のない人はここで帰途に着くことも多い。

タクツァン僧院に入る前にカメラを預ける場所がある。カメラの持ち込みは厳禁になっているので、タクツァン僧院内部を撮影することはできない。僧院内部は意外に広く、全体に坂を利用した造りとなっている。

Tiger's Nest Monastery

ブータン皆既日食

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Total Solar eclipse from Bhutan

20090722北硫黄島沖皆既日食2009年7月22日にはブータンでも皆既日食が見られました。下のブータン皆既日食地図では、ブータン北部を除く全土がすっぽりと皆既日食に伴う月の影に覆われています。しかし早朝であったことと、雲が多くて観測できても雲越しでダイヤモンドリングが見られたことなどで観測条件はあまり良くなかったそうです。

ブータン皆既日食地図では、国土の南方に青い線が見えます。これが皆既帯中央線なので、これより北側のパロやティンプーでは皆既継続時間が3分~2分半と短かったです。右側の写真は同じ日に自ら北硫黄島沖で撮影した皆既日食ですが、正午中心食に近かったので6分40秒も継続して観測出来ました。

ブータン皆既日食地図
ブータン皆既日食地図

だるま太陽

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海岸からの朝日「ダルマ太陽」 瀬戸内市 2013 3月15日 撮影

だるま太陽だるま太陽は太陽の蜃気楼現象の一種で、水平線に朝日や夕日が「だるま」のように歪んで見える現象。達磨太陽、オメガサン、だるま朝日、だるま夕日、達磨朝日、達磨夕日、とも言われる。

高知県東部地域は、室戸岬を挟んで東側ではだるま朝日が、西側ではだるま夕日が見られるという珍しい地域です。この「だるま太陽」を通じて、高知県東部地域の魅力を広く発信していくことを目的に始まった高知東海岸だるま太陽フォトコンテストも今回で12回目を迎えました。室戸市でコンテストが開催されていましたが、コンテストの開催期間は2/21(金)までで終わりました。

海からの朝日 玉野市 2013 1月6日 撮影

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夕焼け

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宍道湖夕景 7.Feb.2010

夕焼け夕焼けは、日没の頃、西の地平線に近い空が赤く見える現象のこと。日の出の頃に東の空が同様に見えるのは“朝焼け”という。夕焼けの状態の空を夕焼け空、夕焼けで赤く染まった雲を“夕焼け雲”と称する。

光の固有波長が障害物よりも大きければ通過しやすい傾向にあり、この現象はレイリー散乱と呼ばれる。日中は長波長(約700nm)の赤色光などは大気中を直線的に通過し、観察者の視野には光源である太陽の見た目の大きさの範囲に収まってしまう。一方短波長(約470nm)の青色光は大気の熱的ゆらぎにより散乱するため空は青く見える。しかし夕方になると光線の入射角が浅くなり、大気層を通過する距離が伸びる。すると青色光は障害物に衝突する頻度が増し、かえって吸収されるなどの要因から地表に到達しにくくなる。代わって黄(約580nm)、橙(約610nm)、赤などの長波長光線が散乱され、太陽が沈む方向の空が赤く見えることになる。

宍道湖夕景 21-Aug-2009

四角い太陽

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四角い太陽 Green flash グリーンフラッシュ 緑色閃光

四角い太陽温度の低い海面等によって下方の空気が冷やされ密度が高くなると、元となる物体の上方に蜃気楼が出現する。水平線(地平線)の下に隠れて見えない風景や船などが見える場合があり、通常ニュースなどで取り上げられる蜃気楼は、この上位蜃気楼を意味する。

北海道別海町の野付半島付近や紋別市などでは、この対応の蜃気楼の一種として四角い太陽が観測されることがある。四角い太陽は気温が氷点下20度以下になった早朝、日の出直後の時間帯に通常は丸く見える太陽が四角く見える現象である。極地域では他にもこれが観測される場所がある。16世紀末ウィレム・バレンツらの北極海探検時にノヴァヤゼムリャで発見されたので、ノヴァヤゼムリャ現象という別名もある。

四角い太陽 The square sun 2012

グリーンフラッシュ

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動画 宙に浮かぶ船? 名護湾で蜃気楼 6日、小宮さん撮影

グリーンフラッシュグリーンフラッシュは、太陽が完全に沈む直前または昇った直後に緑色の光が一瞬輝いたようにまたたく非常に稀な現象。緑閃光ともいわれる。

地球の大気に斜めに入射することによって、太陽光は、プリズムによって光が曲げられるのと同じように屈折する。一方、太陽光は、大気によるレイリー散乱のため短い波長から散乱されて、波長の長い赤に近い光だけが地表に届くことになる。これが夕日の赤い理由であるが、空気が非常に澄んだ条件では、より波長の短い緑の光まで散乱されずに届く。

このとき、赤から緑の色に分離した太陽が上下に少しずれながら重なり合って見えていることになるが、赤色の方がはるかに強いため太陽は赤く見える。しかし、日没や日の出の際に赤色の太陽が地平線(もしくは水平線)で隠されたとき、最頂部の緑色の太陽のみが見えることになる。この光が、大気のゆらぎによってまたたくものと考えられる。

高い山、離島など、地平線や水平線で日没や日の出が見られ、空気の非常に澄んだ場所であることが観測の最低条件となるが、その他の気象条件にも左右されるので、その発生確率は非常に小さい。小笠原諸島の父島にあるウエザーステーションは、日没時に比較的グリーンフラッシュが見えやすい所として有名である。

2014年1月 名護湾蜃気楼及びグリーンフラッシュ貴重映像

レイリー散乱

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日没1時間後に高度500mから見た日没方向の水平線
日没1時間後に高度500mから見た日没方向の水平線

レイリー散乱は、昼間の空の青の色合いと日没の太陽の発赤を引き起こすレイリー散乱は、光の波長よりも小さいサイズの粒子による光の散乱である。透明な液体や固体中でも起きるが、太陽光が大気で散乱されて空が青くみえるのはレイリー散乱による。散乱の量は粒子の大きさと光の波長による。

これから波長の短い青は赤よりも多く散乱される。夕焼け・朝焼けは、太陽と観測者の間に大気の存在する距離が日中と比べて長くなり散乱を受けにくい赤色が届くことによる。その一方で、日中には波長が短い青が観測者の方に散乱されることにより空全体が青く見える。

レイリー散乱は、光学計測にも用いられる。特徴としては信号強度が分子数密度に比例し、分光法より高強度であることが挙げられる。トレーサとしては、散乱断面積の大きい物質が用いられる。

赤色光に対する大気の相対によって散乱された青色光のより多くの割合を示す図
赤色光に対する大気の相対によって散乱された青色光のより多くの割合を示す図

ミー散乱

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主にミー散乱によって起こるチンダル現象
主にミー散乱によって起こるチンダル現象

日没空の色の変化は、可視光の波長よりもはるかに小さい、雰囲気ガス粒子によるレイリー散乱によるものである。雲のグレー/ホワイト色は、可視光の波長に匹敵する大きさである水滴によるミー散乱によって引き起こされるミー散乱は、光の波長程度以上の大きさの球形の粒子による光の散乱現象である。粒子のサイズが非常に大きくなると、ミー散乱と幾何光学の二つの手法による計算結果が類似するようになる。波長に対して粒子(散乱体)が大きい場合は回折散乱が、光の波長の1/10以下になるとレイリー散乱が適用される。

グスタフ・ミーにより厳密解が導かれたとされているが、同時期にローレンツやデバイなども厳密解を得ていた。散乱の特徴として、粒子のサイズが大きくなるにつれて前方への指向性が強くなる。その際には、側方および後方へはあまり散乱しなくなる。

ミー散乱は、雲が白く見える一因である。これは雲を構成する雲粒の半径が数~数10μmの大きさで可視光線の波長に対してミー散乱の領域となり、可視域の太陽放射がどの波長域でも同程度に散乱される。

チンダル現象は、光の特性によって起こる物理化学的現象の一つ。分散系に光を通したときに、光が主にミー散乱によって散乱され、光の通路がその斜めや横からでも光って見える現象を言う。19世紀イギリスの物理学者ジョン・ティンダルによって発見された。

太陽が雲に隠れているときに雲の切れ間あるいは端から光が漏れ、光線の柱が放射状に地上へ降り注いで見える薄明光線はチンダル現象の一種と考えられている。

ミー散乱の強度は粒子径と波長がほぼ等しいときに最大となり、光の入射方向より特に前方側に多く散乱する特徴がある。ミー散乱の強度は波長に特に依存しないので、太陽光の場合は白っぽく見えることになる。

チンダル現象の例
チンダル現象の例

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ブルーアワー

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ブルーアワーの海の風景
ブルーアワーの海の風景

パリのブルーアワーブルーアワー(blue hour)は、日の出前と日の入り後の、空が濃い青色に染まる時間帯のことである。元々はフランス語のl'heure bleueに由来する。しばしば日の出前に限るとされる。

この空の色は、日中の明るい青(空色)や明け方・夕方の赤とは異なり、大気によるレイリー散乱だけでは説明できない。レイリー散乱のみを考慮した場合、薄明における空の色は淡緑ないし淡黄になると考えられる。実際には高層大気にオゾン層が存在しており、オゾンの吸収スペクトルのうちシャピュ帯(450nm-850nm)の影響が大きくなることで、濃い青色の光のみが空を照らすことになる。

空の明るさが室内照明や街灯などと同程度まで減衰しているため、とくに写真や映画を撮影する際に独特の雰囲気を表現できる時間帯として知られている。

ブルーアワー丘の風景
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