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Channel: スチャラカでスーダラな日々
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パーリンノイズ

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Procedural landscape using Perlin Noise

Perlin noiseパーリンノイズとは、コンピュータグラフィックスのリアリティを増すために使われるテクスチャ作成技法。擬似乱数的な見た目であるが、同時に細部のスケール感が一定である。このため制御が容易であり、各種スケールのパーリンノイズを数式に入力することで多彩なテクスチャを表現できる。パーリンノイズによるテクスチャは、CGIで自然な外観を物に与えるためによく使われる。

パーリンノイズは (x,y,z) または (x,y,z,time) の関数として実装され、事前に計算された勾配に従って内挿を行い、時間的/空間的に擬似乱数的に変化する値を生成する。Ken Perlin は2002年に実装を改善し、より自然に見えるようにした。

パーリンノイズは、コンピュータグラフィックスで炎や煙や雲を表現するのによく使われている。また、メモリ使用量が少ないため、メモリ容量が小さい場面でのテクスチャ生成にも使われ、パソコンゲームでのリアルタイムCG生成時にGPU上で使われることが増えている。

Solid noise
Gimpで作成出来るSolid noise

バーニングシップ

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Burning Ship Fractal Nebulatrot (Buddhabrot) overview

バーニングシップバーニングシップ・フラクタルとは、1992年、Michael Michelitsch と Otto E. Rössler が生み出したフラクタルである。以下の関数を複素c-平面で繰り返して(初期値は z = 0)、この計算が収束するか発散するかを調べる。

バーニングシップ・フラクタル計算式

この計算とマンデルブロ集合との違いは、繰り返しの度に実数部と虚数部の二乗を計算する前にそれらの絶対値をとっている点である。この実部と虚部はコーシー・リーマン方程式に従わないので、この写像は非解析的である。

Burning Ship Fractal Sinks

ブッダブロ

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Buddhabrot HD

ブッダブロブッダブロとはマンデルブロ集合に関する図形。ガウス平面から点cをランダムに選び、そのcについて数列z_{{n+1}}={z_{n}}^{2}+cを計算し、|z_{{n+1}}|>2となった場合にz_{1}からz_{n}までの位置に点を描くという作業を、指定した回数だけ反復して行ったもの。形がブッダに似ていることから名付けられた。色毎に計算回数を変えてカラー化することもある。

1988年、ライナス・ヴェスタス(Linas Vepstas)がマンデルブロ集合を変形して得られるより芸術性の高い図形を発見し、サイエンスライタークリフ・ピックオーバーに送っており、これがきっかけで、ピックオーバー軸と呼ばれる図形が発見された。ピックオーバーの著書Computers, Pattern, Chaos, and Beautyに収録されている。

Buddhabrot

गणेश

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गणेश वंदना (Ganesh Vandana)

ガネーシャ前述のブッダブロを計算する手法を始めて提案したのはメリンダ・グリーン(Melinda Green)であり、1993年のネットニュース、sci.fractalsに投稿された。グリーンにはインド出身の同僚がおり、そのアドバイスをヒントにこの図形を初めガネーシャと名付けた。ガネーシャは首から上が象の形をしたインドの神である。この図形にブッダブロの名をつけたのは、ロリ・ガルディ(Lori Gardi)である。

ガネーシャ(गणेश, gaNeza)は、ヒンドゥー教の神の一柱。その名はサンスクリットで「群衆(ガナ)の主(イーシャ)」を意味する。同じ意味でガナパティ(गणपति, gaNapati)とも呼ばれる。また現代ヒンディー語では短母音の/a/が落ち、同じデーヴァナーガリー綴りでもガネーシュ、ガンパティなどと発音される。

太鼓腹の人間の身体に 片方の牙の折れた象の頭をもった神で、4本の腕をもつ。障害を取り去り、また財産をもたらすと言われ、商業の神・学問の神とされる。インドのマハラシュトラ州を中心にデカン高原一帯で多く信仰されている。ガネーシャの像の中には杖を持っているものもおり、この杖は「アンクーシャ」と呼ばれている。

World Ganesh Chaturthi Festivals ( गणेश चतुर्थी उत्सव ) 2013

ラーガ

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祈りの音律~ラーガ(Raga)

ラーガを歌う女性祈りの音律~ラーガ YouTube投稿者の説明

2012年7月7日にインド古典音楽【祈りの音律】コンサートが秋田市久城寺で開催された。当寺では4回目­となるコンサートで、回を重ねる毎に素晴らしい演奏に磨きがかかり、鑑賞者はシタール­、タブラの独特の音色に時の経つのを忘れインドの音律に浸っていた。 出演:シタール 相場勝也 ノレンドロ・ナーラ/タブラ 黒坂昇 タブラ/パカワージ 佐伯モリヤス、他

ラーガ(रागा,raga)は、インドで使用される非常にきめの細かい旋法であり、音階と混同してはならない。音階はあくまでもラーガの1要素に過ぎない。

バイノーラルビート 7.83Hz α波 インドの音楽

YouTube投稿者の説明・・・7.83Hzは地球の振動数とされています。低α波帯なのでリラックスに良い周波数です。ヘッドホンで聞いてください

raga

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MERU Concert live - Kaushiki Chakrabarty with Soumik Datta and Vijay Ghate

ラーガを歌う女性ラーガ(रागा)は、インドで使用される非常にきめの細かい旋法であり、音階と混同してはならない。音階はあくまでもラーガの1要素に過ぎない。

ラーガは基本的に旋律を構築するための規則で、音列と同時に、メロディーの上行・下降の動きを定めるものである。つまり、音列上の特定の音をより強調する、より控え目にする、装飾音をつける、ビブラート等の規則があり、さらに使用すべき旋律形および避けるべき旋律形等の規則が存在する。それらの規則の枠組みの中で作曲や即興演奏がなされることにより、そのメロディーがどのラーガであるかが判別することが可能となり、その規則のなかでの無限の変奏が可能となる。また1日の朝、午後、夕方および夜ごとに、特定のラーガが存在する。

Kaushiki Chakrabarty - Singer Par Excellence - Raga Multani

インド文化はざっと北と南に分割することができ、ラーガ:北インドは1つのセットを持っている。また、南インドは別のものを持っている。ラーガ名が重複していてもラーガ形式は重複しない。北インドではラーガが10のタート(thaats)または親の音階へ最近分類され、南インドは72の親ラーガを誇示してメーラカルタ(melakarta)分類と呼ばれるより古くより系統的な分類スキームを使用する。

ラーガはこれまでに成文化されたことがなく教師から生徒へ口頭で伝えられたために、中には地域、伝統および様式に応じて非常に異なる変種が存在する。インドの古典音楽は常にラーガで編曲されるが、すべてのラーガ音楽は必ずしも古典であるとは限らない。

インド亜大陸

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Earth 100 Million Years From Now

インド亜大陸の大陸移動インド亜大陸はインド半島とも言い、南アジアのインド・バングラデシュ・パキスタン・ネパール・ブータンなどの国々を含む亜大陸・半島。かつては独立したインド大陸であった。アルフレート・ヴェーゲナーの大陸移動説やプレートテクトニクスによると、パンゲア大陸から分離・移動してユーラシア大陸に衝突し、ヒマラヤ山脈が隆起したとされる。現在もインド亜大陸は北上し続けている。

ヒマラヤ山脈は地球上で最も若い山脈の一つである。現代のプレートテクトニクス理論によると、ヒマラヤ山脈はインド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートの間の沈み込みで起きた大陸同士の衝突による造山運動から生じた。衝突は7,000万年前後期白亜紀に始った。そのころインド・オーストラリアプレートは15cm/ 年の速度で北上し、ユーラシアプレートと衝突した。

約5,000万年前、このインド・オーストラリアプレートの速い動きによって海底の堆積層が隆起し、周縁部には火山が発生してインド亜大陸とユーラシア大陸の間にあったテチス海を完全に閉ざした。 これらの堆積岩は軽かったので、プレートの下には沈まずにヒマラヤ山脈を形成した。 今もインド・オーストラリアプレートはチベット高地の下で水平に動いており、その動きは高地に更に押し上げている。 ミャンマーのアラカン山脈とベンガル湾のアンダマン・ニコバル諸島もこの衝突の結果として形成された。かつて海だった証拠として、高山地帯で貝などの化石が発見される。

今もインド・オーストラリアプレートは67 mm/年の速度で北上しており、今後1,000万年の間でアジア大陸に向って1,500 km移動するだろうと考えられている。この動きのうち約20 mm/年の分は、ヒマラヤの南の正面を圧縮することによって吸収される。結果として約5mm/年の造山運動が発生し、ヒマラヤ山脈を地質学的に活発にしている。 このインド亜大陸の動きにより、この地域は地震の多発地帯となっている。

120億年前の地図
120億年前のインド亜大陸

ヒマラヤ山脈

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The Himalayas HD

ヒマラヤ山脈ヒマラヤ山脈は、アジアの山脈で地球上で最も標高の高い地域である。単にヒマラヤとも言う。

ヒマラヤは、インド亜大陸とチベット高原を隔てている無数の山脈から構成される巨大な山脈である。西はパキスタン北部インダス川上流域から、東はブラマプトラ川大屈曲部まで続き、ブータン、中国、インド、ネパール、パキスタンの5つの国にまたがる。いずれも最大級の大河であるインダス川、ガンジス川、ブラマプトラ川、長江の水源となっており、このヒマラヤ水系には約7億5千万人の人々が生活している(これにはバングラデシュの全人口が含まれる)。ヒマラヤは、広義の意味ではユーラシアプレートとインド・オーストラリアプレートの衝突によって形成された周辺の山脈である、カラコルム山脈、ヒンドゥークシュ山脈、天山山脈、崑崙山脈などを含む。

広義のヒマラヤには、最高峰エベレストを含む、地球上で最も高い14の8,000 m級ピークがあり、7,200 m以上の山が100峰以上存在する。一方で、アジアのこの地域以外には7,000 m以上の山は存在せず、アンデス山脈アコンカグアの6,961 mが最高標高である。

Mount Everest Animation

ヒマラヤ氷河

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Flight over Himalayas

航空機から見たヒマラヤ山脈ヒマラヤ山脈には非常に多くの氷河が存在し、面積は極地を除く地球上では最大である。他に主な氷河としては、ウッタラーンチャル山系のガンゴートリー氷河、ヤムノートリー氷河、シッキム山系のゼム氷河、エベレスト山系のクーンブ氷河などがある。またカラコルム山脈にはシアチェン氷河、ヌブラ氷河、ビアフォー氷河、バルトロ氷河がある。

ヒマラヤ山脈の麓は熱帯気候や亜熱帯気候に属するが、頂上部は万年雪に閉ざされている。これらの万年雪は、巨大な2つの河川の水源となる。

近年、ヒマラヤ山脈の全域で顕著な氷河後退現象が観測されているが、世界的な気候変動の結果であると考えられている。この現象の長期的な影響は未知であるが、乾季の生活を氷河を水源とする北インドの河川に頼る数億の人々に甚大な影響を与えると見られている。

Emirates A380 over Himalaya / Tibet

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ヒマラヤの湖

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Pangong Tso (Lake), Ladakh

パンゴン湖ヒマラヤ山脈には何百もの湖が点在している。大部分の湖は5,000 m未満の高度に存在し、高度が上がるとともに湖の規模は小さくなっていく。 最大の湖はインドとチベットの境界に横たわるパンゴン湖で、高度4,600 mに位置し、幅8 km、長さは134 kmに及ぶ。

パンゴン湖は中華人民共和国チベット自治区ルトク県とインドジャンムー・カシミール州ラダック県との中印国境に位置するアジア最大級の汽水湖である。

全長は150キロ余り、面積は604㎢、南北の平均幅は2-5kmだけ、最も狭い所は5mだけ。水深は最深部で約300m。標高4250mの位置にあり、塩湖(インド側)としては世界でもっとも高い場所にある。塩湖にもかかわらず、冬は1mに及ぶ厚い氷が張る。

東側の三分の二は中国に属して、西側の三分の一(約50km)はインドに属する。中国の境界内にあるパンゴン湖は淡水湖で、清らかで甘美で、水色は青緑であると中国側では発表されている。一方、インド境界内にあるのは塩湖で、水は臭くて飲まない。周囲を4000~6000m級のヒマラヤの山々で囲まれた内湖で、以前はインダス川の支流と繋がっていたが、現在は自然の積載によって閉じている。小さな甲殻類がいるのみで、魚は棲息していない。

パンゴン湖の眺め
パンゴン湖の眺め

気候への影響

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ヒマラヤ山脈は日本の気候に大きく影響している

国際宇宙ステーションから撮影したヒマラヤ山脈。チベット高原から南方を見た時の図。エベレストが中央付近に見えるヒマラヤ山脈はインド亜大陸とチベット高原の気候に重大な影響を及ぼしている。 ヒマラヤ山脈は非常に冷たく乾燥した北極風がインド亜大陸に南に吹きつけるのを防ぎ、南アジアを他の大陸の同じ緯度の地域より温暖にしている。

ヒマラヤ山脈は北上するモンスーンを遮断し、テライ・ベルトで大量の降雨を発生させる原因となっている。この降雨はヒマラヤ南面のほとんどの地域にあり、雨季の大量の降雨はヒンドスタン平原に豊富な水をもたらしている。またこれによって中央アジアは降雨量が少なくなり、タクラマカン砂漠やゴビ砂漠を形成する原因となっている。

冬季になるとイランの方から激しい気流が発生するが、ヒマラヤ山脈はその気流を遮断、カシミール地方に降雪ともバンジャブ州と北インドに降雨をもたらす。

ヒマラヤ山脈は冬季の冷たい北風を遮るが、一部がブラマプトラ川流域に流れ込み、インド北東部とバングラデシュの温度を下げる。この風が原因となり、これらの地方に冬季の間、北東モンスーンが起きる。

Indian Monsoon Mechanism

ヒマラヤの障壁

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ヒマラヤ 機内から眺めるこの世で一番うつくしい景色

ヒマラヤ山脈東部巨大なヒマラヤ山脈は、何万年もの間、人々の交流を妨げる障壁となった。 特にインド亜大陸の民族と中国・モンゴルの民族が混ざり合うのを妨げ、これらの地域が文化的、民族的、言語的に非常に異なっている直接の原因となった。 ヒマラヤ山脈は軍の進撃や通商の妨げともなった。たとえば、チンギス・カンはヒマラヤ山脈のためにモンゴル帝国をインド亜大陸に拡大することができなかった。

急峻な地形と厳しい気候によって、孤立した地域が生まれ、独特の文化が育まれた。これらの地域では、現代でも交通の便が悪いため古い文化・習慣が根強く残っている。

ヒマラヤに大きな影響を与えているのは、北のチベット系民族と南のインド系民族である。山脈の大部分はチベット系民族の居住地であるが、南からやってきたインド系民族も低地を中心に南麓には多くすむ。チベット系民族の多くは山岳地域に住み都市文明を持たなかったが、ネパールのカトマンズ盆地に住んでいるネワール人は例外的に肥沃な盆地に根を下ろし、カトマンズ、パタン、バクタプルの3都市を中心とした都市文明を築いた。カトマンズ盆地は18世紀にインド系民族のシャー王朝によって制圧されたが、ネワールは力を失うことなく、カトマンズなどではネワールとインド系の文化が重層的に展開した姿が見られる。カトマンズ以外のネパールはインドと文化的なつながりが強く、チベットともややつながりがあるが、中国文化圏との共通性はほとんど無い。宗教的にも仏教徒は少なく、ヒンドゥー教徒が多く住む。これに対し、その東隣にあたるシッキムやブータンはチベット文化圏であり、住民は仏教徒がほとんどである。しかし19世紀以降、地理的条件の似ているネパールからの移民が両国に大量に流入し、シッキムにおいてはネパール系が多数派となり、ブータンにおいても一定の勢力を持つようになった。これは両者の対立を引き起こし、この対立が原因でシッキムは独立を失い、ブータンでも深刻な民族紛争が勃発することとなった。 ヒマラヤ地域に広く分布するチベット民族は顔つきこそモンゴロイドだが中国文化圏との共通性は低く、インド文化圏とも共通性は少ない。チベットは古くからその孤立した地形によって独立を保ち、独自のチベット文化圏を形成している。

ヒマラヤ上空、飛んでみました

エベレスト

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Mt Everest Southeast ridge climbing route

エベレストの位置エベレスト、またはチョモランマは、ヒマラヤ山脈にある世界最高峰の山。英称“エベレスト”はインド測量局長官を務めたジョージ・エベレスト (George Everest) から取り命名された。

1920年代から長きにわたる挑戦の末、1953年に英国探検隊のメンバーでニュージーランド出身の登山家エドモンド・ヒラリーとチベット出身のシェルパテンジン・ノルゲイによって初登頂がなされた。

エベレストの標高については諸説あり、1954年にインド測量局が周辺12ヶ所で測定しその結果を平均して得られた8,848 mという数値が長年一般に認められてきた。1975年には中国政府が雪面を含む標高を8,849.05 m(8,848.13 m+積雪0.92 m)と測定した。1999年、全米地理学協会はGPSによる測定値が8,850mだったと発表した。2005年10月9日、中国国家測量局が2005年5月時点での標高は8,844.43 m(3.5mの氷雪は標高に含まず)と発表した。ネパール政府は現在もこれらの測定結果を認定せず、公式には8,848 mとしている。地殻変動、地球温暖化による影響などもあり、標高は年々変動していると考えられる。

MOUNT EVEREST The Best Video Ever

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エベレストの呼称

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Flight to Mount Everest

エベレスト1865年、英国インド測量局長官だったアンドリュー・ウォー(Andrew Waugh)によって、前長官ジョージ・エベレストにちなんだ英語名がつけられた。ウォーは地元民の呼び名がわからないとした上で、手記に以下のように記している。当時、ネパールもチベットも外国人の立ち入りを認めていなかった。

尊敬する前長官のサー・ジョージ・エベレスト大佐 (Colonel Sir George Everest) は、すべての地形に現地での呼称を採用するよう、私に教えてきた。しかしこの山には、おそらく世界最高峰であろうこの山には、現地での呼称を見いだすことができなかった。もし仮にそれがあったとしても、私たちがネパールへの立ち入りを許可される前に、それが見つかることはないだろう。今のところ、この高峰を名付ける特権と責任とは、同等に私に委譲されているものと思う。この山の存在が、市民と地理学者に広く知られ、文明国家に深く浸透するかは、この高峰の名称いかんにかかっている。

1960年代、ネパール政府はエベレストには元々現地での呼び名が存在していたことを発見した。これまでこの存在が知られていなかったのは、エベレストがカトマンズ盆地とその周辺地域の民族に知られておらず名づけられていなかったからで、政府はエベレストの名称を探し出すことに着手した。しかし、シェルパ族の間での名称・チョモランマはネパール統一国家の考えに反するとして採用されなかった。現在のネパール名・サガルマータはネパールの著名な歴史学者、バブラム・アチャリャ (Baburam Acharya) によって考案されたものである。しかしその後もしばらくの間は、カトマンズから東方に高く見えるガウリ・シャンカルがサガルマータだと思っている人が多かった。

2002年、中国の人民日報は西洋でも英語名エベレストの使用をやめて、チベット名のチョモランマを採用すべきと主張する記事を掲載した。人民日報はチョモランマというチベット名は280年以上前の地図にも記載されており、英語名よりも歴史が長いと主張している。

エベレストを中心に捉えたパノラマ写真
エベレストを中心に捉えたパノラマ写真

ネパール

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Our trip to Nepal

首都カトマンズのストリートネパール連邦民主共和国、通称ネパールは、南アジアの共和制国家。2008年に王制廃止。

東、西、南の三方をインドに、北方を中国チベット自治区に接する西北から東南方向に細長い内陸国である。国土は世界最高地点エベレスト(サガルマータ)を含むヒマラヤ山脈および中央部丘陵地帯と、南部のタライ平原から成る。ヒマラヤ登山の玄関口としての役割を果たしている。

多民族・多言語国家(インド・アーリア系の民族と、チベット・ミャンマー系民族)であり、民族とカーストが複雑に関係し合っている。また、宗教もヒンドゥー教(元国教)、仏教、アニミズム等とその習合が混在する。経済的には後発開発途上国である。農業を主たる産業とする。ヒマラヤ観光などの観光業も盛んである。

中国国境地帯にはサガルマタ(英国呼称エベレスト)を始めとする8000m級の高峰を含むヒマラヤ山脈が存在する。そのため高山気候となっている。一方、インドとの国境地帯は「タライ」「テライ」または「マデス」といわれる高温多湿の平原地帯で肥沃である。その中間には丘陵地帯が広がる。最高所はエベレストで標高8850m。最低所は標高70mである。面積は140,800km²。本州を除いた日本(北海道+九州+四国)に等しい。

ネパールの位置
ネパールの位置

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ネパール国旗

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Flag of Nepal

ネパール国旗ネパールの国旗は、世界で唯一矩形ではない国旗である。特徴的な形は、ネパール王国の王家と宰相家が使用していた2つの三角旗を組み合わせて簡略化したことに由来している。

国旗の真紅は、ネパールの国花であるシャクナゲの色であり、ネパールのナショナルカラーでもある。また、赤は国民の勇敢さを、縁取りの青は平和を、それぞれ意味している。2つの三角形はヒマラヤの山並みを象るとともに二大宗教であるヒンドゥー教と仏教を意味しており、月と太陽はこの国が月や太陽と同じように持続し発展するようにという願いが込められている。

三角旗という形状や、三日月や太陽のデザインは、ヒンドゥー教の旗としてはよく見られるものである。かつて月と太陽の中には人の顔が描かれていた。

ネパール王国(シャー王朝)は、1768年に全国を統一したシャー家が王位を継承したが、19世紀半ば以降20世紀半ばまでラナ家が宰相職を世襲し、実質的にネパールを支配した。もともと三日月はシャー家(王家)を、太陽はラナ家(宰相家)を意味しており、単独の三角旗としてはそれぞれ約200年にわたって使用されていた。ラナ家が実権を握った19世紀以来、ネパール王国の旗として両家の旗を重ねた二重三角旗が使われるようになった。

Nepal Tourism Naturally

カトマンズ

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ネパール 首都 カトマンズの街

カトマンズの朝市カトマンズは、ネパールの首都で最大の都市である。首都という場合、通常カトマンズ市をさすが、単にカトマンズという場合、カトマンズ盆地全体、カトマンズ郡、あるいはカトマンズ首都圏を指す場合もある。

カトマンズ旧王宮広場(ダルバール広場)の南西の隅に、一本の木からできたという伝説をもつ祭場がある。この建造物の名称、カスタマンダプがカトマンズの名の由来だと言われる。建立年は不明だが12世紀頃ではないかと考えられている。

観光業はカトマンズの主要な収入源の一つである。 王宮やヒンドゥー教や仏教の寺院などがあり、代表的な建造物としてスワヤンブナート寺院、国立博物館、ダルバール広場、バラジュ庭園などが知られる。17世紀の歴史的な建造物が多く残るカトマンズ盆地全体が、カトマンズの渓谷として1979年、ユネスコの世界遺産に登録されている。

市内のタメル地区には、ホテルやゲストハウスが多く集まり、バックパッカー、登山者、長期滞在者などで賑わっている。 ヒマラヤ登山を志す者はほぼここで旅の支度をする。中国のチベット自治区側からは規制が厳しく、ネパール側から登る人が多い。そのためネパールの最大都市であるカトマンズで必要なものを取り揃える。

カトマンズの朝ごはんの様子
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