東京銀座資生堂ビルは、東京都中央区銀座八丁目にある建築物である。資生堂銀座ビル、SHISEIDO THE GINZA(FUKUHARA GINZAビル内)と並ぶ資生堂グループの銀座地区3か所の拠点の一つであり、資生堂パーラーや資生堂ギャラリーが入る。
1872年に福原有信がこの地で調剤薬局を開業、1902年には資生堂パーラーの前身となる「ソーダファウンテン」を開設した。関東大震災後、前田健二郎の設計により資生堂パーラー再開。1962年に、谷口吉郎の設計による地下1階・地上9階建の資生堂会館竣工。1973年に資生堂パーラービルに改称するとともに全面リニューアルされたが、1997年には建替えのため解体された。現在の東京銀座資生堂ビルは2000年12月に竣工、2001年3月にオープンした。
1919年に制定された市街地建築物法により、建築物の高さは31mに制限されていた。1963年の建築基準法改正により、容積率による規制に変更されたが、この規制より大きな容積率をもつ多くの建物が既存不適格となり、老朽化しても従前より容積率の低い建物にしか建替えることが出来なくなった。1998年、中央区と銀座通連合会との協議により、中央通りをはじめとする主要道路沿いの建築物最高高さを56mとすることを決定した。東京銀座資生堂ビルは、この「地区計画銀座ルール」の適用第一号となった。
設計はスペイン出身の建築家リカルド・ボフィルが担当。1階と11階の天井は高くとられ、4階から5階にかけては吹き抜けとなっている。工期短縮などを目的とし、地下部分には旧ビルの躯体が再利用された。2種類の制震システムが導入され、第28回東京建築賞優秀賞を受賞した。外壁の赤レンガ色は、当初のリカルドのプレゼンテーションとは異なる色彩案が採用された。