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この中央停車場が計画されたのは皇居の前にあたる丸の内、当時の町名で永楽町でした。江戸時代には武家屋敷の建ち並んでいた一帯で、明治維新後には陸軍の兵営や練兵場、警視庁や裁判所などの政府関連施設が並びました。しかし繁華街に近いとはいえ監獄も置かれているなど、東京の場末でした。
明治政府が安定して皇居の目前で警備を行う必要性も薄れてきたことから、兵営を郊外に移転させてこれらの土地の再開発が検討されることになり、丸の内の広大な敷地が三菱財閥に払い下げられて欧米様式のオフィス街の建設が開始されました。馬場先門通りの部分だけは明治末までに煉瓦造りのオフィスビルが出来上がっていましたが、それ以外の部分は依然として未開発で、荒涼たる野原は「三菱ヶ原」と呼ばれていました。この原野に中央停車場が建設されることになり、丸の内は初めて日本のビジネスセンターとしての道を歩み始めることになりました。
ちなみに東京駅開業当時は八重洲口が無く、丸の内口から遠回りして八重洲口に行かなければなりませんでした。東京駅の開業から15年後に八重洲口が設置されたそうです。