

1年に及ぶ噴火が収束すると、新島は南側からの波で強い侵食を受け、最初の数年は年間 60~80mの速さで海岸が後退した。新島は波で削られて失われ、火孔や標高52mの丘も消失したが、削られた土砂が波で運ばれて湾内に堆積した。堆積の速さが侵食を上回ったため、侵食されながらも面積が増加した。1982年には湾の一部が海から切り離されて湖になり、1980年代を通して堆積を続け、1990年頃には湾口は無くなり完全に一体化、旧島北端を頂点とした、釣り鐘のような四角形状の島になった。形状が安定すると面積は減少に転じ、1999年時点での新島部分の面積は0.25㎢、最高標高は15.2mである。また、旧島部分を含めた西之島全体の面積は0.29㎢、最高標高は25mであった。
