大光寺城(だいこうじじょう)は、青森県平川市の小高い丘の上にあった平城で、大光寺新城とも呼びます。大光寺城はかつての遺構も失われていますが、歴史は古く鎌倉時代の建保5年(1217年)に、相模・曾我氏の一族である平広忠が、平賀郡岩館の地頭代として入って津軽・曾我氏を称したのが始まりとされます。
正慶2年・元弘3年(1333年)曾我道性によって築かれたのが大光寺古館です。大光寺古館の場所は、大光寺地区北にある観音堂と保食神社がある付近とされます。こちらの遺構も失われています。
大光寺五日市館は、1338年に十三湊が大津波に襲われ藤崎城の安東秀光(安東次郎左衛門秀光)が、大光寺にやってきて五日市館に築城したとの説があり、以後、大光寺氏を称しました。
その後、大崎城の奥州・葛西氏の分流である葛西頼清が大光寺氏の娘を娶って婿養子となり、応永年間(1394年~1428年)に葛西頼清が大光寺城主(大光寺古館)となっています。・・・続く