滅びかけた人生を生きる江原正三(ミッキー・カーチス)は恍惚の朝を迎える。
江原「あああ…だれ?知らないあんた」
典夫は、モノリスを作動させる。
活性化および増幅修正により精神機能のボルテージが一時的に上昇し、恍惚の人から典夫の忠実な下僕となる。
江原「失礼しました・・・」
典夫「大丈夫か」
江原「昨夜はいささか、はしゃぎすぎました」
典夫「すまない。お前の命は尽きかけている」
江原「お気になさりますな、涅槃には亡き妻が待っております」
典夫「・・・そうか」
モノリスには持続的な効果はないようだ。効果範囲も限定されているしい。典夫は学校に向かった。
理事長の寺岡(斉木しげる)に呼び出された大谷先生(京野ことみ)は典夫の転入に驚く。
しかし何事にも前向きな大谷先生は、なぞの転校生をただちに受け入れた。
登校中の幼馴染同志である岩田広一(中村蒼)と香川みどり(桜井美南)は、クラスメートの大森健次郎(宮里駿)と春日愛(宇野愛海)がカップルになっていることを発見する。
みどり「二人、付き合ってるみたいね」
広一「そういえば、昨日も一緒だったな」
みどり「向こうも私たちを見て同じようなこと言ってるかもよ」
広一「え・・・」
みどり「私たちはどうなのかしらね」
広一「え?なんだよそれ」
みどり「・・・」
精神的に幼い。体は高校生だが心は中学生の広一は戸惑う。
一足早く大人になりかけているみどりは、そんな広一にものたりなさを感じるのだった。
その気持ちは、教室に転校生の典夫が入って来た時に一気に加速するのだった。
みどりは、既になぞの転校生に心を奪われていた。
その変化に鈍いはずの広一も即座に反応する。しかしその気持ちをもてあます広一。
大谷「ハイ、今日は新しく入った転校生を紹介します。山沢くん入って。」
典夫「初めまして、山沢典夫と申します。この世界のことを色々と教えて下さい」
広一(世界か・・・やはりとても変わった人だ)
みどりは、心に新鮮な空気が入り込むのを感じる。
みどり(花を心から愛している人)
みどりには、奇妙な典夫の言動が美しい調べとなって感じられる。
一方で、広一は理由のない胸騒ぎを感じるのだった。
広一(何か、おかしなことがおこりそうだ・・・)
あらかじめ準備された空席は広一の背後。みどりの隣の席だった。
典夫に教科書を見せるため、机を並べるみどりと典夫に心がざわめく広一。
そして授業で「波」について質問された典夫は、恐るべき知識量を披露するのだった。
渡辺「東日本大震災で東北は、大きな被害を被り、多くの犠牲者が出た。今も、避難所で暮らしている方々が、数多くおられる。被害を、あそこまで大きくしたのは、みんなも知ってるとおり、津波だった。…と僕が今しゃべっているこの声も、空気を伝わってキミらの鼓膜まで届く、振動の波だ。波。波とは何だ? 何だと思う? はい、春日愛。」
春日「えっと…海でこう、バシャーンって。」
渡辺「そのバシャーンって何だ? はい、転校生。」
典夫「はい?」
渡辺「波とは何だ?」
典夫「波…。」
渡辺「わからんか。」
典夫「物理学においては、波動という言い方が正確かもしれません。何らかの物理量の周期的変化が、空間方向へと伝わる現象です。」
渡辺「おお、詳しいなあ。後は何知ってる?」
典夫「波動には、振動数、周期、振幅、波長、波数などの物理量が定義されます。音波や水面の波、あるいは地震波のように、物質の振動が媒質を通して伝わる現象の他に、電磁波のように、媒質がない空間を伝わるものもあります。そもそも、宇宙そのものが波であり、渦のようにうねった時空が、複雑な波動で、いくつもの平行世界を形成しています。」
渡辺「ん? 最後の話は何だ?」
典夫「平行世界についてです。」
渡辺「平行世界?」
典夫「ご存じないんですか?D-12世界はご存じですか?」
渡辺「D-12世界?」
典夫「…いえ、何でもないです。」
休憩時間。たちまちみどりと広一、健次郎と愛のグループに合流する典夫。
広一「なあ、さっきのD-12世界って何だよ。」
典夫「何でもない。先生をからかったフィクションさ。SF小説で読んだ話だ。世界はここだけじゃない。よく似た世界がレイヤー状に重なって幾つも存在し、D-8とか、D-12とか、それぞれにナンバーがつけられている。まあ、そんな話さ。D-1世界の人類はある日、知的物質モノリスを発見し、時限移動に成功する。そんな話さ。」
広一「へぇ~。それ、何て小説?」
典夫「何だったかな。忘れてしまったよ。」
広一「アーサー・C・クラークじゃない?2001年 宇宙の旅。」
典夫「アーサー・C・クラークは物理学者だろ?」
広一「小説家だよ。」
典夫「そうだっけ?」
広一「そうだよ。」
みどり「ムー君はSFおたくだから間違いない。」
春日「SF研究会の部長だしね。」
広一「何かバカにしてない?」
春日「してないよ。褒めてんじゃん。」
典夫「そうか。アーサー・C・クラークは物理学者じゃないのか。」
春日「何かさ、変な人だよね。」
健次郎「ストレートすぎるだろ、それは。」
みどりは、幼馴染の広一と話す典夫を興味深く見つめるのだった。
次の授業中、典夫は教室から姿を消していた。理事長と校舎の屋上で密会する典夫。
寺岡「あちらの世界は、どうでしたか?」
典夫「僕の口からは何も言えないが、まぁ、ひどい世界だったよ。それに比べて、ここはとてもいい世界だ。」
寺岡「こちらはこちらでおかしなところは、たくさんありますよ。政治家はバカなヤツらばかりですし、金の亡者がウロウロしている。汚い世界です。」
典夫「それはD-8世界も…いや、どこの世界もそう変わらんな。」
寺岡「そうですか。世界は違えど同じ人間ですからね。根底にある思考回路は、同じようなものなんでしょう。」
典夫「そうだな。」
寺岡「ところで我々は何をお手伝いすれば良いのでしょう?」
典夫「王妃が、危険な状態にあるそうだ。」
寺岡「ご病気でいらっしゃる?」
典夫「ああ、それを助けなければならない。ガラテアのテロで負傷された。至急治療が必要だ。DNAの損傷もひどい。」
寺岡「我々に出来ることなら、何なりとお申しつけ下さい。」
典夫「ありがとう。では今すぐDRSのスペシャリストを集めてほしい。スペシャリストで医療チームを編成したい。」
寺岡「DRS? DRSとは?」
典夫「知らないのか? DNAの書きかえ手術だ。」
寺岡「DNAの書きかえ…。私自身、DNAの専門家ではないので存じ上げないんですが。DNAをどのようにして書きかえるんでしょうか?」
典夫「人間には約60兆の細胞があるだろう? 原理的にそれを一つ一つ検証し、修復していくのだが…。まさか…ないのか?この世界には。」
寺岡「あぁ…DNAの研究は盛んですが、生きた人間の60兆もある細胞を書きかえるなんて…。そんな技術は、今までに聞いたこともありません。」
典夫「ない?…それは本当か?」
寺岡「はい。残念ながら…。お役に立てず、申し訳ありません。」
典夫「ならせめて、人工臓器を作る技術は?それぐらいならあるだろう?」
寺岡「そんな技術もそちらの世界にはあるんですか?」
典夫「しかしもう…何もないんだ。こちらには…。何ということだ…。こういう時、人は泣くんだろうな。」
その時、不意に紙飛行機が理事長室の窓の前を通過した。
典夫「なんだ…ただの紙飛行機か。マイクロリコンかと思った。」
寺岡「マイクロリコン?」
典夫「超小型偵察爆撃機のことだ。ちょうどあんな形をしたものだった。王妃はそれで、わき腹に穴を開けられたのだ。」
寺岡「それは、恐ろしいことでございますね」
典夫「ああ、本当に恐ろしかったよ」
典夫は、絶望を胸に屋上を去った。
モノリスの効力を失った理事長は我に帰る。
寺岡「あれ、私はここで何を?」
昼食の席に戻った典夫。
みどり「どこに行ってたの」
典夫「少し手続きが残っていたんだ」
みどり「昼飯は?」
典夫「・・・外ですましてきた」
みどり「ねえあなた。人物についての自由研究で同じ班になったんだけど、いま意見が分かれているのよ」
典夫「・・・?」
みどり「女子たちは麻酔の人体実験で母親を殺して妻を失明させた華岡青州がいいっていうんだけど」
典夫「かなりハードな人物だね」
広一「だろう?女子って基本、残酷なものが好きだよな。男子としてはH・G・ウエルズを推したいんだ」
典夫「SFの父だね」
広一「そうそう、やはり君は僕の仲間なんだな。このクラスの皆ときたらヴェルヌとウエルズの区別もつかないんだ」
典夫「まさか世界一周をしたり、海底を探査したり、初めて月旅行をした冒険家とSF作家を間違えたりしないだろう」
広一「君のジョークは、まったく通じないと思うよ」
典夫「ジョーク」
広一「だろ?」
典夫「そうか、こちらの世界では二人とも小説家なのか・・・」
広一「そうだよ。海底二万里のジュール・ヴェルヌ。タイムマシンや宇宙戦争のH・G・ウエルズさ」
典夫「つまり、この世界にはSFの父は二人いるんだね」
広一「うんそうそうこの世界ではね・・・ということで多数決でウエルズだ」
広一は、みどりに微笑みかけた。しかし、みどりの視線は典夫に注がれているのだった。
放課後。
みどりは、自分が所属する吹奏楽部に広一を勧誘する。
典夫「音楽か・・・」
みどり「楽器できるんでしょう」
典夫「とにかく、様子を見せてもらいたい」
吹奏楽部の顧問、大谷先生は典夫を歓迎する。
しかし、典夫は・・・
典夫「どうやら、僕には向いていないようです」
大谷「まあ、どうして」
典夫「僕の肺活量には、問題があるのです」
みどり「病気なの?」
典夫「いいえ、生まれつき肺がないのです」
大谷「肺がないって?ああ、先天性なものなのね」
典夫「同情には、およびませんよ。生活には支障がないですから・・・」
しかし、大谷先生もみどりも麗しげに典夫を見つめるのだった。
典夫「では、僕はこれで・・・」
みどり「どこに行くの」
典夫「もう少し校内を偵察したいと思います」
みどり「偵察・・・?」
典夫は、SF研究会部を訪問する。
広一「やあ・・・」
広一は、鈴木(戸塚純貴)や太田(椎名琴音)と自主制作映画の撮影中だった。
ミニチュアの都市を襲う、火星人の戦闘機械のシーン。
典夫「これは面白いな」
広一「ウエルズの宇宙戦争だよ・・・」
典夫「君はH・G・ウェルズが好きなのかい?」
広一「好きっていうか、彼はSFの父って呼ばれてるからね。SF好きの初級編さ。」
典夫「彼は世界で最初に、平和憲法を考案した人物だ。」
広一「よく知ってるね。日本国憲法は、彼の平和憲法をモデルにしてるって説がある。」
典夫「国際連盟も彼のアイディアだ。」
広一「そうそう、詳しいね。」
典夫「しかし、その反面、核兵器を最初に思いついた人物でもある。」
広一「解放された世界。彼はそういう世界になってほしくないから、それを書いたんだ。」
典夫「だが、物理学者のレオ・シラードは、解放された世界を読んで、実際に核兵器を作ってみようと考えた。それがマンハッタン計画に発展し、広島と長崎に原爆が投下された。皮肉な話だが、そういう意味では、H・G・ウェルズは核兵器の生みの親と呼べるかもしれないな。」
広一「でも、解放された世界に出てくる核兵器は、まだ誰も作ってない。H・G・ウェルズの考えた核爆弾は、一度爆発したら爆発し続けるんだ。そう、まるで太陽のようにね。それは知ってた?」
典夫「そうなんだ。まだ誰も作ったことがないのか。」
広一「そんなの作ったら大変だよ。地球が滅んじゃう。」
典夫「だからH・G・ウェルズは、平和憲法を考えたんだ。世界から戦争がなくなれば、核兵器そのものが必要なくなる。それが唯一の手段だと考えた。だが、世界はそうはならなかった。世界は常に、彼の考えた最悪のシナリオどおりに進んだ。そして…滅んだ。」
広一「いや、まだ滅んじゃいないよ。」
典夫「あ、そうだな。悪かった。君の部は面白そうだ。」
広一「入るか?」
典夫「いや。けど、時々また遊びに来てもいいか?」
広一「うん。ぜひ。」
典夫「じゃあ、また来るよ。」
広一「うん。」
拓郎「何者ですか? 部長。」
広一「転校生。」
くみ「何か、怪しい人ですね。」
広一「ちょっと変わった奴なんだよ。」
拓郎「何か、エイリアンみたいですね。」
そして典夫は再び音楽室に向かう。しかしそこは無人だった。
典夫はピアノに向かい・・・「前奏曲第15番変ニ長調・雨だれ/フレデリック・フランソワ・ショパン」を奏で始める。
そこへ大谷先生がやってくる。
大谷「何て曲? あっ…ごめんなさい。驚かしちゃった。」
典夫「この曲、知らないんですか? そうか…ここにはショパンの「雨だれ」がないのか。」
大谷「でも素敵な曲。どうぞ続けて私が用を片付けて教室を閉めにくるまで。・・・でも本当にいい曲だわ知らなかったのが嘘みたい」
大谷が去って間もなく、血相を変えてみどりがやってくる。
典夫「どうしたんだい?」
みどり「財布がないの」
どうやら、みどりは財布を失くしやすいらしい・・・。
典夫「お金・・・」
みどり「お金はどうでもいいの。母の形見の指輪が入っているの」
典夫「カバンは捜したの?」
みどり「最初に見たわよ」
典夫「この辺りにありそうだ・・・」
典夫は、モノリスを使って魔法のように財布の在り処を探り当てる。
みどり「うそ、ありがとう」
典夫「失いたくないという思いが強すぎて、失いそうになるのかもしれないね」
みどり「・・・ねえ。今、ピアノ弾いていたでしょう。もう一度弾いて。凄くいい曲だった」
典夫「いいよ・・・」
みどり「何て曲?」
典夫「ショパンの「雨だれ」。」
みどり「ショパンの「雨だれ」。モーツァルト?」
典夫「いや、ショパン。」
みどり「ショパン…ショパン…。知らない。でもいい曲ね。」
みどりのいる世界にショパンの「雨だれ」は奏でられない。広一やみどりのいる世界は、我々の世界とは別世界なのである。
【用語解説】
ガラテアのテロ・・・旧政府を支持する過激派によって企てられ、ガラテアで勃発したテロ。D-8世界における日本=JPでは、旧政府軍と王家を奉じた革命軍による新政府が戦闘を繰り返していた。紙飛行機サイズの 超小型偵察爆撃機マイクロリコンによって王妃は重傷を負う。
平行世界・・・典夫が物理の授業で語った言葉。典夫曰く、宇宙そのものが波であり、渦のようにうねった時空が複雑な波動でいくつもの平行世界を形成し、そのそれぞれの世界にD-8やD-12などとナンバーがつけられているという。フィクションか、それとも…?
DRS・・・DNA Reproduce Systemの略
D-12・・・平行世界の中で、存在が確認されている次元のひとつ。広一やみどりが住んでいる世界であり、ショパンがいない。
第三話終わり