信玄、謙信と続いた兜(かぶと)型を引き継ぐように1869年に米屋町が造った。源頼光に斬られた鬼(酒呑童子)の首が飛んで来て、頼光の兜に食らいついたという伝説を踏まえている。独立した二つの部分から成る曳山は、ほかに三番の「亀と浦島太郎」がある。
酒呑童子の血走った眼球が印象的。「どこよりも恐ろしい曳山というのが子ども時代から自慢だった」と米屋町正取締の松浦明さん(49)。「走る、ぐっと曲がる、止まる時の迫力、がうちの自慢」
米屋町は唐津築城時の総町12カ町の一つで町人の町。文化年間(1804~ 1817年)の町内は戸数36戸、人数88人、引合五人組み22人(御勝手御用達1、御 酒屋兼持2、町年寄2、組頭2)、本勝寺、行因寺がある。