1869年、信玄の兜(かぶと)に対抗するかのように平野町が造った。総高6・7m、幅2・4m、奥行き3・6mと「信玄」とほぼ同じで金色の獅子頭が特徴。7年前に小豆色から塗り替えたが、1960年以前は実際に金だったという。兜の庇の文様など他町と同じく細部は幾多の変遷を経た。
平野町は静かな商人町。正取締の島田大嗣さん(52)の子どもの頃、曳子は70~80人。今は町外の人も入った「謙信会」とともに約400人で曳(ひ)く。「感謝の祭りだから浮かれすぎちゃいかん。まず安全を保ち神様に喜んで頂きたい」
平野町が曳山に「上杉謙信の兜」を選んだ理由としては、木綿町が「武田信玄の兜」を選んだことと関連していると考えられる。