国内外の注目を集めた青森県の弘前城天守の曳屋工事が24日、実質終了した。世紀の大工事を支えたのは「西村組」(弘前市)と「我妻組」(山形県米沢市)の職人たち。現場責任者の對馬悟さん(61)=西村組常務=と、曳屋を主導した石川憲太郎さん(40)=我妻組取締役工事部長=は「皆さんの応援や思いを感じた。工事をやって本当に良かった」と強調。6年後とされる天守の曳き戻し作業へ「また同じメンバーでできたら」と思いをめぐらせた。24日の「着座式」終了後も、感慨深げに現場に立ち尽くしていた石川さん。歩み寄ってきた對馬さんから握手を求められると、こらえていたものが頬を伝った。労をねぎらう對馬さんの目も潤んでいた。
工程は決して平たんではなかった。工事発注者の弘前市の方針で、作業は基本的に全て公開。曳屋体験「曳屋ウィーク」などのイベントも組み込まれ、日程は常にタイトだった。それでも職人たちは弱音を吐かず、天守のジャッキダウンといった難作業をこなし、市民・観光客らへの説明や写真撮影にも笑顔で応じた。文化財の保存、修理関係の工事は、一般的に他の工事と比べ利益率が低いとされる中「みんなの大事な宝をしっかりとした形で将来に残したい」と言い続けてきた對馬さん。曳屋完了後の取材には「文化財の工事は過程が大事。もっと公開して、みんなで宝を守ろう-という気持ちになれば、われわれの励みにもなるし、みんなも豊かになる」と語った。
その對馬さんに「同じにおいがする」と言わしめたのが、専門業者の幹部として、全国の寺院や学校などの曳家(屋)を手掛けてきた石川さんだ。「弘前城を何が何でも着座させる」との思いを胸に、同僚らと7月から単身赴任生活を続けてきた。工事中は、家族にほとんど会えず。天守の回転作業が行われた9月、祖母が亡くなった際も姿は現場にあった。
曳屋完了後の取材には「所長(對馬常務)はじめ、皆さん温かく、この環境でしか工事ができなかった」と声を詰まらせた。来年3月まで天守の耐震補強工事を行う西村組を残し、役目を終えた我妻組の職人は11月上旬にも弘前を離れるが、石川さんは家族と共に来春、満開の桜に包まれた、曳屋後の天守を見に、再び弘前を訪れるつもりだ。