1534年にはローマ教会の大司教座が設置され、ローマ教会において全アジアを管轄する中心となり、これを機にサンタ・カタリナ大聖堂が建設された(1562年~1619年)。17世紀初頭のゴアはモザンビークから長崎に広がるポルトガル海上帝国の首府として「東洋のローマ」と呼ばれる黄金時代を迎えた。当時ゴアの人口は20万人に達し、市内には壮麗な教会や修道院、総督府などの建物が立ち並びヨーロッパの都市にも引けを取らなかったとされる。
17世紀にアジアへ進出したオランダ共和国がポルトガル船を拿捕したり、マラッカなどポルトガル植民地を奪取すると、ポルトガルの海上覇権は次第に衰えていった。オランダはゴアを何度も包囲したが、ゴアを陥落させることはできなかった。第二次世界大戦においてポルトガルは中立国の立場をとったため、ゴアは東アフリカのモザンビーク植民地のロレンソ・マルケスとともに、抑留されていた交戦国民の交換船による交換地となった。
1947年にインドがイギリスから独立するとインド政府はポルトガルにも領土の返還を求めたが、当時のアントニオ・サラザール独裁政権は応じなかった。1955年、非暴力で領土返還を求めるデモ隊にポルトガルの警察が発砲。死者20人以上、負傷者500人近くを出す惨事が起き、ポルトガル統治に対する反感が高まり、この事態を重く見たインド政府が1961年にポルトガル領に武力侵攻し、インドにおけるポルトガルの植民地支配はようやく終結した。