ゴア州は、インド西海岸の州。16世紀から20世紀半ばまでポルトガル領インドの一部で、ポルトガルのアジア拠点だった。ゴアはインド西海岸中部のマンドウィー河の河口にある島に位置し、天然の良港を有する。16世紀初め、イスラーム王朝のビジャープル王国の重要都市であった。
1510年2月、ポルトガル王国のインド総督アフォンソ・デ・アルブケルケが1,000人のポルトガル兵を率いて来航し、この都市を降伏させた。しかしゴアの要塞が老巧化しており使えなかったため、同年5月にビジャープル王国のスルタンが50,000の兵を率いて攻撃してくると一旦引き上げた。アフォンソ・デ・アルブケルケはポルトガル本国からの増援が到着すると、同年11月2,000のポルトガル兵によってゴアを再び陥落させた。ビジャープルのスルタンは何度もゴアを攻撃したが、奪回できなかった。1512年にはゴア要塞へ通じる水路を制するベナステリム要塞を奪取し、ゴアに病院といくつかの教会を建設した。
1530年、ポルトガル領インドの首府はコーチンからゴアに移され、アジアの全植民地を統治するポルトガルのインド総督とインド副王が駐在した。ゴアとリスボンの間には喜望峰経由の定期航路が開かれ、多くのポルトガル人をアジアに送り出しアジアの富をポルトガルに持ち帰った。