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Channel: スチャラカでスーダラな日々
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カーネル・サンダース

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カーネルサンダースの秘密

Colonel Sanders1930年にカーネルサンダースはケンタッキー州のノースコービンへ移り住み、ガソリンスタンドの経営を始めた。1930年6月、ガソリンスタンドの一角に物置を改造した6席のレストラン・コーナー「サンダース・カフェ」を始める。サンダースは、ガソリンスタンドの支配人と調理師とレジ係を兼ねた。州の南北を貫く幹線道路である国道25号線に面した店は繁盛し、規模を拡大した。1935年には「州の料理への貢献」が評価されて、ケンタッキー州のルビー・ラフーン知事から「ケンタッキー・カーネル」の名誉称号を与えられた。

「サンダース・カフェ」は、1937年にはモーテルを併設した142席のレストランに成長した。1939年には店舗が火災に見舞われるなどの災難もあったが、1941年にはコービンに147人収容のレストランを再建した。この店舗は博物館となり、アメリカ合衆国国家歴史登録財となった。

「サンダース・カフェ」の目玉商品がフライドチキンであった。1939年に導入された圧力釜を用いた「オリジナル・フライドチキン」の製法は、以後70年以上にわたって「オリジナル・レシピ」として引き継がれている。

1964年に74歳のサンダースは、KFCの権利をジョン・Y・ブラウン・ジュニアに売却して経営の第一線から退いたが、以後も「会社の広告塔」として働いた。サンダースは製法が守られているかを確認するために世界各国に広がった店舗を見て回った。

1970年にKFCが進出した日本には、1972年10月、1978年6月、1980年5月の3度訪れている。KFC日本法人によれば「日本のKFCが一番気に入っている」と述べていたといい、「日本びいき」であったと紹介している。1980年5月に訪れた日本はサンダースにとって最後の訪問国となった。1980年6月に急性白血病を発症し、肺炎を併発して12月16日に逝去。90歳だった。

サンダースはロータリークラブとフリーメイソンのメンバーでもあり、多くの慈善活動も行った。孤児院の子供のために毎日アイスクリームを提供したり、肢体不自由児のための基金をつくったりしているほか、病院や医学研究、教育、ボーイスカウトなどの活動に資金を提供している。来日した際には、交通遺児との交流を行っている。

カーネル・サンダースCM

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