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Channel: スチャラカでスーダラな日々
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Koxbox

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Koxbox - Life Is

Koxboxトランスシーンに多大な影響を与えてきた伝説的アーティスト Koxbox (コックスボックス)は、1990年にデンマークでピーターキャンディとフランクÉマドセンによって結成された。現在、数多く活躍するスカンジナビアンアーティストのパイオニアとして、90年代前半から数々の名曲を発表。

今回はニューアルバムU-TURNから硬質でクリアーな音色とトリッピーなメロディー、溢れる疾走感を基調とし、聴く者に至福のサイケデリックエクスペリエンスをもたらすKOXBOXサウンドを提供してくれるだろう。果たしてどのように進化しているのか、その全容が間もなく明らかとなる。

Koxbox - Birdy (1993)

Astral Projection

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Astral Projection - One ( FUJI FESTIVAL 2012)

Astral Projectionトランスシーン創世期より活躍する、元祖イスラエル発のGOAトランスマスターAstral Projection(アストラルプロジェクション)。1989年にSFX名義でアシッドテクノのバンドとして活動。結成当初は3名でのユニットであったが、メンバーの一人であるYANIV HAVIVが宗教家としての道を歩むために脱退。現在の2名(Avi NissimとLior Perlmutter)での活動となり、1993年からASTRAL PROJECTIONとして本格的に始動する。

彼等の曲の特徴は、催眠状態の茫然とした魂を揺さぶるようなアッパー寄りのトランス・サウンドを展開する。彼等の曲は、一定のリズムが空中に舞い上がっていくような高揚感と民族的なヴォイス・サンプリングでスピリチュアルなサイケデリック空間を形成している。フロア向けというよりGOA本来の姿である広大なレイヴ・パーティーで映える荘厳な音楽だと言える。

ASTRAL PROJECTION - Mahadeva (version original 95)

ここ数年活動が停止していたが、近年になりまた活動を再開。2009年のDJ MAGで世界ランキング67位を獲得。今も全世界に根強いファンを多く持つ。

Total Eclipse (band)

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Total Eclipse - Space Clinic

Total Eclipse (band)皆既日食バンド(Total Eclipse (band))は、フランスのボルドーで1992年に設立されたサイケデリックトランス・ゴアトランス・アンビエントハウスのバンド。

ステファン·ホルベック (Stéphane Holweck),セルジュ·ソーキュ (Serge Souque) と ロイック·ヴァン(Loïc Van Pouckein)の3名からなる。非常にメロディアスな曲を作るバンドとして欧州では有名である。トランスのバンド以外に、同じ名前のバンドが多いので注意が必要。

TOTAL ECLIPSE - Blue Galaxie

サイケデリックトランス

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psychedelic trance

サイケデリックトランスサイケデリックトランス(Psychedelic trance)は、ゴアトランスから派生したよりサイケ色が強まった145bpm前後ビートのトランス。1990年代初頭からこのジャンルに属する音楽が出始めた。イギリス、イスラエル、ゴア、ブラジル、日本で盛んな音楽である。サイケデリックトランスミュージックは、「フルオン」、「ミニマル」、「ダーク」および「ダークフルオン」、「プログレッシヴ」、「モーニング」、「アンビエント」などに分類される。

1980年代後半にドイツで誕生したトランスが、1990年代にヒッピーの聖地インドのゴア州のビーチでアレンジされてゴアトランスとなり、さらにそれが発展したのがサイケデリックトランスである。ゴアトランスが民族的な音階やパーカッションを多用し、曲名やアーティスト名、ジャケットなどにも曼荼羅やシヴァ神などのいかにもインド的、ヒッピー的なテーマを用いていたのに対し、サイケデリックトランスでは催眠的な高揚感・トランス感が重視され、必ずしもこうしたテーマは用いられない。

Talamasca - Psychedelic

Psychedelic trance

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Psychedelic trance

サイケデリックトランスゴアトランス、サイケデリックトランスと野外パーティ(日本ではレイブとも呼ばれる)は切っても切り離せない。それは単なるダンスミュージックのための集会という枠を超え、参加者たちにとってはひとつの祝祭であり、シーンにおいて最重要視される場である。

ゴアでは入植した西洋人により古くから野外でパーティが催されていた。その流れから、1960年代にヒッピーたちが集まるようになってからは彼らによって野外でサイケデリックロックなどのセッションが行われ、パーティ・フェスが常時行われる「聖地」となった。

Psychedelic trance

ヒッピーたちの関心

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psychedelic trance

psychedelic当時のヒッピーたちは自然回帰や東洋宗教への関心を強く持っており、彼らにとってはこうしたパーティはシャーマニズムや、ヒンドゥー教の秘教的な祝祭のオマージュであった。そのため、参加者たちは高揚感やシャーマン的なトランス状態を求めてLSDなどの薬物や大麻などを使用した。

ゴアトランスは、ヒッピー・ムーブメント以後もゴアで続いていた野外パーティにテクノ、トランスが持ち込まれていく中で生まれ、多くの面でその性質を継承することとなった。ただし、ゴアトランスのアーティストの多くはヒッピー・ムーヴメントを知らないテクノ世代であり、彼らがそのままヒッピー的な思想を継承していたというよりは、失われたヒッピーたちやインドのゴアという土地へのオマージュであったと推測される。

現代のサイケデリックトランスのシーンにおいてはヒッピー的な色はかなり薄まっているが、パーティは依然として参加者にとって一種の呪術的な祝祭である。このパーティを重要視するがゆえに、サイケデリックトランスでは、催眠的な状態を誘発するような刺激的な音が追求され続けている。

psychedelic trance

サイケデリック

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psychedelic trance

絞り染めのTシャツサイケデリック (psychedelia) は、LSDなどの幻覚剤によってもたらされる心理的感覚や様々な幻覚、極彩色のぐるぐる渦巻くイメージ(ペイズリー模様)によって特徴づけられる視覚・聴覚の感覚の形容表現である。精神科医のハンフリー・オズモンドが「psycology」+「delicious」(別説ではギリシャ語のpsyche/精神+delos/出現)を組み合わせた造語に由来する。翌年の1957年に、精神分析学会で言葉を紹介した。

幻覚剤の影響下にあるときに出現する幾何学的な視覚パターンは、フラクタルとしてコンピュータで再現でき、ジャック・コーヘンとバード・アーメントロウトが、サイケデリックな幻覚の数学に基づく幾何学的形態に関する理論を提唱している。

psychedelic trance

サイケデリック音楽

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psychedelic trance Movie

Smoking cloverサイケデリックは、1966年ごろにヒッピーを中心としてアメリカ西海岸に始まり、1967年にムーブメントのピークを迎えた(「サマー・オブ・ラブ」)。そのスタイルはアメリカ全土、イギリスやそのほかの先進国を中心として、世界の多くの国を席巻したが徐々に縮小し、1970年代半ばに衰退期に入った。しかしドラッグ・カルチャーとも連動している部分があり、その後もネオ・サイケなど新しい動きとして復活している。

ヒンドゥーやインディアン、様々なアジアのモチーフにも影響も受けている。海外ではピーター・マックス、日本人アーティストは横尾忠則が代表的。

音楽ジャンルにおいては、独特の浮遊感と超現実的な音作りを基調としたサイケデリック・ロックがある。中期のビートルズも『リボルバー』、『イエロー・サブマリン』、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』にその影響が色濃く反映している。ほかにもフランク・ザッパやグレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレインなど、数多くのミュージシャンがサイケの影響を受けたロック・アルバムを制作してきた。また初期のピンク・フロイドなども、サイケに分類されている。

lo mejor del psychedelic trance full on the best music

ヒッピー

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Hippie Beach in Arambol (Goa)

ヒッピースタイルのミュージシャンヒッピー(英:Hippie)とは、伝統・制度などの既成の価値観に縛られた人間生活を否定することを信条とし、文明以前の野生生活への回帰を提唱する人々の総称。1960年代後半に、アメリカ(発祥地はサンフランシスコのヘイト・アシュベリー地区の説)の若者の間で生まれたムーブメントで、のちに世界中に広まった。彼らの多くは、自然と愛と平和とセックスと自由を愛していると主張した。日本では、フーテンと呼称された時期もある。

「正義無きベトナム戦争」への反対運動を発端とし、愛と平和を訴え徴兵や派兵に反発した若者達がヒッピーの中心である。戦争に反対し、徴兵を拒否し、自然と平和と歌を愛し人間として自由に生きるというスタイルで、戦時下にあった全米で一大ムーブメントが起こった。

彼らは伝統的な社会や制度を否定し、個人の魂の解放を訴えた。伝統的キリスト教的価値観を否定し、欧米においては東洋の思想・宗教が広く紹介され、その系統を引くカルト宗教が多数創設され社会問題化した。

モットーが "Back to nature" であったためヒッピーの中には文明を否定して自然に回帰する者も現れ、現在の自然保護活動家の中にはこの系統を引く者も少なくない。しかしベトナム戦争の終結と薬物に対する取り締まりにより、1970年代前半頃から、徐々に衰えていく。

やがて1980年代後半~1990年代初期)に入って1960年代回帰の風潮とともに、再びヒッピー的な傾向を持った新しい世代の若者が現れるに至って、ネオ・ヒッピーやトラヴェラーなどの呼称も生まれた。これらの新しい傾向のヒッピーは、レイヴ・パーティやアンダーグラウンドのクラブ、サイケデリックトランス、グランジロック等の文化とリンクした形で誕生し、1960年代ほどの思想性を伴った大きなムーブメントとはならなかったが静かに広がりを見せて現在に至っている。

Sexy Zap training on Arambol beach (Goa)

ゆっくり走ろう青森県

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ゆっくり走ろう青森県

ゆっくり走ろう青森県青森県金木町(五所川原市に合併)出身の吉幾三が作詞作曲した「ゆっくり走ろう青森県」という交通安全キャンペーンの歌がある。吉幾三が「俺は田舎のプレスリー」を歌った頃のもの。当時青森県弘前市の実家にいたオラは、しょっちゅう流れてくるCMを見ていた。

「ゆっくり走ろう青森県♪、速ぐはけても秋田県~、急いではけでも岩手県、のめくってまるど地獄行ぎ?」
「そんなに急いで何になる?そんなに急げば事故になる」「ゆっくり走ろう青森県、ゆっくり走ろう青森県♪、赤(あが)になったら まいねぇ~まいねぇ~、青になったらぁ~ よしいぐぞ~」

【吉幾三】ヨドバスカメラ青森店のテーマ

夏・体験物語

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夏・体験物語

夏・体験物語 吉幾三シーン『夏・体験物語』は、1985年及び1986年に、TBS系で放送されたテレビドラマである。“性”・“思春期”をテーマとした『毎度おさわがせします』と同路線を狙っての製作であったが、トップアイドルに名を連ねた中山美穂が主人公ということもあり、過激な性描写は控え、ソフトタッチになっている。

第2話以降、視聴率は下降の一途を辿ったため当初の予定を大幅に切り上げ、第6話で終了。事実上打ち切りであった。しかし、翌1986年に出演者の殆どを新人アイドルに入れ替え、パート2が製作された。

パート1・2 共通出演者
金井玉二郎 - 吉幾三
多摩南学園の社会科教師(パート1は 杉本由起(中山美穂)達の担任、パート2は 加納由樹(藤井一子)達の担任)、普段はスケベでいい加減な教師だが、自分の教え子には熱く身を挺して表現をする。

青森県のスーパースター 吉幾三の軌跡 2'36"~夏・体験物語 吉幾三シーン

桜の開花予想

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惊奇日本:讓櫻花再飛一會吧

桜前線 平年開花日ウェザーニューズでは、2003年(平成15年)より独自の調査による開花予想を発表している。2月中旬に桜の開花傾向を発表した後、3月1日に第1回の開花予想を発表する。

発表する地点は多くの花見の名所(2010年(平成22年)は660箇所)であるが報道発表では各都道府県内の代表的な花見名所を発表するため、気象庁の予想と場所がずれることがある。気象庁の標本木は各地の気象台内にあることが多かった。

ウェザーニューズの開花予想は、従来の手法に加え花見の名所での取材や「さくらプロジェクト」に参加するサポーターの情報などを取り入れている。2010年(平成22年)から開花日の定義を「対象の木に1輪以上開花した日」に変更すると発表した。

桜の開花予想 2.5
桜の開花予想 2.5 桜前線…http://sakura.weathermap.jp/より抜粋

桜の開花予想 2.19
桜の開花予想 2.19 桜前線…http://sakura.weathermap.jp/より抜粋

桜の開花予想 2.26
桜の開花予想 2.26 桜前線…http://sakura.weathermap.jp/より抜粋

さくらプロジェクト

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定点タイムラプス0202(さくプロ2015・my桜編①)@沖縄・北谷

桜プロジェクトさくらプロジェクトとは、2004年から株式会社ウェザーニューズの提供するサポーター参加型企画の一つである。主に桜前線が日本列島を上昇する3月から6月にかけて全国の携帯会員や自治体、学校などによる「自分の桜標準木」の開花・満開などの状況を携帯電話のカメラ機能を利用してリポートする企画である。

このリポートはウェザーニューズが電話などで独自に取材した全国各地の桜の名所660ヶ所、過去のデータと併せて分析し、桜の開花傾向と開花予報に反映されており、自社の特設サイトやテレビ朝日の地上デジタルデータ放送で各地の開花情報を見ることができる。2009年シーズンは16,304人、2010年シーズンは約20,000人以上のの携帯会員が同プロジェクトに参加している。

ウェザーニューズでは2009年シーズンまで、気象庁と同じく、5・6輪開いた状態を「開花」と定義してきたが、2010年シーズンからは需要が高い1輪咲く時期に変更して開花予報を発表している。また、同時に今までの気象庁発表計算式に基づく開花予想も参考情報として発表している。

定点タイムラプス0212(さくプロ2015・my桜編②)@沖縄・北谷

2015年 弘前城ミス桜

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第31回弘前城ミス桜コンテスト 決勝審査

第31回弘前城ミス桜コンテスト第31回弘前城ミス桜コンテスト(主催・弘前市)の決勝審査が12日、弘前市の弘前文化センターで行われた。ミス桜グランプリに県立保健大学4年の野沢凛花さん(21)=青森市=が輝いた。ミス桜には弘前大学2年の会津夏希さん(19)=弘前市=と、看護師の工藤春佳さん(23)=同=が選ばれた。

決勝審査には1次審査(書類審査)を通過した18人が出場。緊張した面持ちで壇上に上り、「毎年少しずつ違った姿を見せてくれる弘前の桜が大好き」「弘前城の桜やねぷたまつりは世界に誇れる。国内外に魅力を伝えたい」などと、それぞれ意気込みを語った。ミス桜の3人は23日開幕の弘前さくらまつりをはじめ、同市の4大まつりや県内外のイベントに参加。弘前市の観光の顔として1年間活動する。

個人的には、写真右端の会津夏希さんがミス桜グランプリだと思う。
毎年思うのだが、なぜグランプリはガンブだけを選ぶのか分からない。ハッキリ言って人選ミスだと思う。

第31回弘前城ミス桜
ミス桜の工藤春佳さん(左:23) ミス桜グランプリの野沢凛花さん(中央:21) ミス桜の会津夏希さん(右:19)

弘前さくらまつり

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空撮された弘前公園
空撮された弘前公園

弘前城天守閣青森県弘前市は、岩木山に代表される豊かな自然に囲まれ、弘前公園をはじめ、藩政時代の佇まいを残す寺院街や伝統的建造物、明治・大正期に建築された洋風建築の歴史的な文化財が数多く残されており、歴史と文化が息づく情緒豊かな街です。

弘前公園の桜は正徳5年(1715年)津軽藩士が25本の桜を京都から取り寄せ場内に植えたのが始まり。 園内には約50種類、2600本の桜が植えられています。まずソメイヨシノが、続いてシダレザクラが、八重桜と桜の花が咲き始めます。枝いっぱいに桜の花が咲き、その重みで枝が垂れ下がるため、目の前で優美な桜を楽しむことができます。今年は桜の開花が早くて、満開だそうです。昨年の今頃は、まだ八分咲きでした。
明日から、昨年撮影した弘前さくらまつりの写真を御覧いただきます。

桜の追手門
桜の追手門

弘前桜まつり 追手門

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追手門周辺の地図
追手門周辺の地図

追手門周辺は、2014年4月26日夜に撮影しました。

弘前公園の正面玄関が追手門です。藩政時代にも、初期を除いてこの門が正門とされていました。元々は北門である亀甲門が正門でしたが、参勤交代の際に追手門から南へ抜ける碇ケ関街道が整備されたことから追手門が弘前城の正門となりました。

園内に現存する他の4つの門同様、追手門も二層の櫓門となっています。全体的に簡素な素木造りとなっていて、戦国時代の古い形式を残すものとして全国の城郭建築の中でも珍しいものとされています。

追手門の呼び方は オオテモン と言います。皇居正門である大手門と同じ意味です。なぜ字面が違っているのかは分かっていません。

追手門外濠桜追手門外濠桜

追手門前の桜追手門前の桜

追手門看板
追手門看板

<看板内容>

史跡 津軽氏城跡 弘前城
史跡指定 昭和27年3月29日

弘前城は、津軽藩主代々の居城で慶長16年(1611)に二代藩主津軽信枚によって築かれた城である。
面積約492,000㎡(約149,000坪)を有し、三重の濠と土塁でめぐらされた城郭である。
現在城跡には、天守閣をはじめ隔櫓3棟、城門5棟の建造物が残されており、いずれも重要文化財に指定されている。

弘前城には、築城当初10棟の城門があったとされているが、現在二の丸南門、二の丸東門、三の丸追手門、三の丸東門、四の丸北門(亀甲門)の5棟が残されている。
弘前城の城門は、周辺を土塁で築き、内外に枡形を設けた2層の櫓門であるが、門の全面に特別の門(高麗門)などを設けていないことや、1層目の屋根を特に高く配し、全体を簡素な素木造りとしていることなどから、全国の城門の中でも古形式の櫓門として注目されている。

追手門追手門

櫓門である追手門には、出格子窓が備えられています。門の内側にある部屋からこの窓を通して、外部を監視していたものと思われます。

二階にも出格子窓が備えられています。その隣にある三角の穴は、銃眼です。門を攻め寄せて来る敵を、ここから狙い撃ちするために設置されていました。弘前城の史跡に残されている銃眼は、他の地域の城の銃眼よりも銃口の出る穴が小さくなっています。

追手門の場所 弘前城三の丸 

建築年代   慶長16年(1611年)
       2代藩主 津軽信牧の命により建築

指定年月日  昭和12年7月29日

棟高     11.7メートル

追手門市民広場前追手門市民広場前

追手門市民広場通追手門市民広場通

追手門から市民広場を抜けて中濠まで向かうコースを撮影しました。
中濠から杉の大橋手前までは、露天商が立ち並びます。

弘前桜まつり 中濠

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追手門周辺の地図
追手門周辺の地図

中濠周辺は、2014年4月26日夜に撮影しました。

二の丸と三の丸を隔てるのが、この中濠です。中濠には杉の大橋と石橋の2つの橋がかかっています。

また、賀田御門跡の坂を上って物産館前を直進して二の丸に直進して入ることもできますが、藩政時代にはこのルートは存在しませんでした。

中濠前の桜
中濠前の桜

三の丸市民広場の近くから眺める杉の大橋。
朱塗りの欄干と黒塗りの橋げたのコントラストが実に美しく、特にさくらまつりの季節には一面を桜に包まれて、まさに絶景となります。

桜が散り始める時期には、濠に桜の花弁が落ち絨毯となり、一層美しい景色となりますので、ぜひ写真撮影をしてください。

杉の大橋と桜
杉の大橋と桜

杉の大橋は、中濠を隔て二の丸と三の丸に架かる橋です。築城当時、スギ材でつくられた橋であったため、杉の大橋という名が付けられたとされます。

この橋は、戦になると敵の侵入を防ぐため壊される架け橋でした。そのため、壊すにしても焼き払うにしても、柔らかく燃えやすい性質を持ったスギが用いられたと思われます。

1821年(文政4年)、濠の両側が石垣となるとともに、ヒノキ材による架け替えが行われ、欄干と擬宝珠が付け加えられました。

<杉の大橋 看板内容>
南内門外の大橋に当たり、名称は杉材を用いた橋ということから付けられたといわれる。
文政四年(一八二二)に濠の両側が石垣となるとともに、檜材によって掛替えされた際に欄干・擬宝珠がつけられたものである。

架け替え  2010年(平成22年)8月 

橋の長さ  25.8メートル

橋の幅    5.8メートル

中濠の桜
中濠の桜

中濠の桜
中濠の桜

中濠の桜
中濠の桜

弘前桜まつり 南内門

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南内門周辺の地図
南内門周辺の地図

南内門周辺は、2014年4月26日夜に撮影しました。

二の丸に2つある城門のうち、三の丸から杉の大橋を渡ってすぐにあるのがこの南内門です。追手門口あるいは市民会館口から入園して本丸に向かう場合、ここを通ることになるでしょう。

さくらまつりの時期は、この門をくぐって二の丸から本丸に向かって進んでいくと、満開の桜の海の中に真っ白な天守と真っ赤な下乗橋が徐々に浮かび上がってきます。

藩政時代の弘前城内を示した古い地図によれば、二の丸周辺にはもっとも有力な家臣の屋敷が集結していました。特に2代藩主信牧が尾張の徳川義直に頼んで引き抜いて弘前藩に登用した、大道寺隼人(直英)の屋敷もこの付近にあったそうです。
南内門の基本情報

場 所   弘前城二の丸

建築年代  慶長16年(1611年) 
      二代藩主 津軽信牧の命により建築

指定年月日 昭和12年7月29日

南内門正面
南内門正面

南内門裏
南内門裏

弘前桜まつり 夜の天守閣

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弘前城本丸周辺地図
弘前城本丸周辺地図

下乗橋説明板
下乗橋説明板

有料区域案内さくらまつりの期間中、無料区間は下乗橋までとなります。下乗橋から弘前城天守閣は撮影可能ですが、そこから先に右写真の有料区域案内板があります。

但し、夜9時を過ぎると無料となって一般に開放されます。この時間を狙い、タダで本丸に入る方が非常に多いです。朝は7時を過ぎると無料で入れなくなるので、早めに入場しないと300円支払うことになります。

平成になってから維持費が掛かるということで、本丸周辺は入場料がかかるようになりました。かと言って無料の時代、頻繁に入ったこともないのですが・・・

弘前城天守閣
弘前城天守閣案内板

<看板内容>
弘前城は津軽を統一した津軽為信が計画し、二代藩主信枚が慶長十六年(一六一一)に完成させた。
当初の天守は五層で本丸西南隅に構築されていたが、築城から十六年後の寛永四年(一六二七)に落雷により焼失した。
現在の天守は、江戸時代末期の文化七年(一八一〇)九代藩主寧親により、本丸辰巳櫓を解体新造したものである。
建築年代は新しいが、濠側の東・南両面には鉄扉窓をつけず、矢狭間だけとし、また、一・二層にはその中央に張り出しをつけ切妻破風、石落としを設けるなど子形式になっている。
江戸時代に建築され、現存する天守としては、東北地方唯一のものであり、小規模ではあるが、全国の城郭天守の中でも代表的なものである。
天守閣の基本情報

場 所   弘前城本丸(有料区域内)

建築年代  文化7年(1810年) 
      九代藩主 津軽寧親の命により建築

指定年月日 昭和12年7月29日

棟 高   16メートル

本丸入場料金 大人:310円/子供:100円
       団体(10名以上)の場合  大人:250円/子供:80円


夜の天守閣
夜の天守閣

天守閣内濠
天守閣内濠

天守閣と内濠
天守閣と内濠

天守閣と桜
天守閣と桜

弘前桜まつり 御滝桜

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弘前城本丸周辺地図
弘前城本丸周辺地図

本丸の御滝桜
本丸の御滝桜

御滝桜説明板
御滝桜説明板

御滝桜とは、1914年(大正3年)、在弘宮城県人会の寄付により植栽されたシダレザクラの内の1本です。このときのシダレザクラが成長し、今ではシダレザクラの名所にかぞえられるまでになりました。

この樹は、石垣の上から水面に向かい長く枝を垂らしており、故棟方 志功画伯が「御滝桜」と命名した名木です。 幹周は3.05メートル、樹高は約7.4メートルあります。

弘前枝垂れ
弘前枝垂れ

1914年(大正3年)、在弘宮城県人会の寄付により植栽されたシダレザクラの内の1本です。
この樹は、似た環境にある「御滝桜」よりも開花が3~4日早く、時々化弁の枚数が7~8枚となり普通のシダレザクラとは異なることから、「弘前枝垂れ」と呼んでいます。幹周は3.07メートル、樹高は約5.4メートルあります。

本丸側の天守閣
本丸側の天守閣

シダレザクラ
シダレザクラ

シダレザクラの花びら
シダレザクラの花びら

シダレザクラ
シダレザクラ
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