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Channel: スチャラカでスーダラな日々
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バニーラッツ CM

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資生堂CM - サンオイルがなくなる頃/サンオイル - 1969 出演:バニーラッツ 横山令

資生堂CM - サンオイルがなくなる頃/サンオイル - 1969 出演:バニーラッツ 横山令サンオイルがなくなる頃は、稀代の名作CMです。いまどき、こんな文学調のCMなんてなかなか見られません。今まで見た中で一番好きなCMです。出演は女性がモデルのバニーラッツさんで、男性が横山令さん。最初、団次郎さんが出ていたと思ったのですが、MG5専門で出演していました。横山令氏はこのCM以外、資生堂のCMには出演記録がありません。

ピンクパウワウ口紅ですが、バニーラッツさんをインデアンルックで化粧させています。ちょっと奇をてらったようにも見えます。最後のシーンで女性たちが集まって歩いているのが、当時の流行なのでしょう。

資生堂CM - インデアンルック/ピンクパウワウ口紅 - 1969 出演:バニーラッツ

PR: 北方領土の返還を実現するために-政府ネットTV

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元島民の当時の記憶や北方領土問題への理解を広げる活動を行う高校生たちの取組を紹介

資生堂 1969年

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資生堂CM - ビューティケイクブロンズ - 1969 出演:大里リンダ

大里リンダ'69年「ボラボラカヌー」(ビューティケイク ブロンズ)。カヌーを漕いでる人は、フレンチポリネシアのエキストラ。なので、なかなか自然な笑顔が出ずに終始表情が硬くて撮影には苦労したそうです。

推測ですが、実際にカヌーを漕いでもらって自然と笑顔が出るように撮影を繰り返したのでしょう。モデルは大里リンダ。サマーキャンペーン初のカラーCMです。

ディレクターは”天才”の名を欲しいままにした日本天然色映画所属の杉山登志さんです。1960年から1973年12月まで、資生堂を中心に500本以上のCMを制作しました。

資生堂CM - 口紅・ネイルエナメル - 1969

資生堂 1969年 MG5

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資生堂 CM - ブルドッグ/MG5 - 1969 出演:団次郎

団次郎 MG51967年に誕生して一世を風靡した日本初の男性用総合化粧品ブランド、MG5のCM。このボトルデザインは、今見てもカッコいいです。モデルは団次郎(現:団時朗)さん。「帰ってきたウルトラマン」のお兄さんですね。日本人離れしてカッコ良かった。

団さんがダルメシアンを連れている絵柄は、初期のMG5のキービジュアルと言えるものです。このCMでは散歩途中に団さんが、かわいい捨て犬を見つけて溺愛。あわやダルメシアン君は・・・というもの。毎回少しコミカルな味がMG5のCMの特徴でした。MG5、驚くことに今もあります。価格も当時とあまり変わらない。

資生堂CM - MG 5 ヘアリキッド - 1969 出演:団次郎

資生堂CM - MG 5 エアゾール - 1969 出演:団次郎

資生堂 1970年

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資生堂CM - サンナップ/サンオイル - 1970 出演:バニーラッツ

資生堂 サンオイル バニーラッツこれらのCM出演をもってバニーラッツさんの出演された資生堂CMは終わりました。この年代で、彼女のファンだった人は多いはず。美しい魅力に溢れた素晴らしいモデルさんです。これらのCMをリアルタイムで見たかも知れませんが、物心がつく前だったので記憶がありません。CM放送当時は、まだ2歳だったので・・・確か、白黒TVが見られる環境であったはず。

バニー・ラッツは、ティナ・ラッツの実のお姉さんです。1968年「ピンクポップ」の撮影時にティナ・ラッツさんに同行していたところをスカウトされ、資生堂CMに欠かせないモデルさんになりました。

資生堂CM - ビッグサマーインデアン/ビューティケイク ブロンズII - 1970 出演:バニーラッツ ほか

資生堂 1970年 CM

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資生堂 CM - お湯は沸いたか/オリーブデオドラント - 1970 出演:秋川リサ

秋川リサお湯は沸いたか/オリーブデオドラントのモデルさんは、その愛くるしい魅力で「美人」の概念を変えてしまった秋川リサさん。このCMの前にテイジンの「ピーターパン水着」のCMで一躍人気者になりました。

どちらかというと一般人とはかけ離れた美しさを持つモデルさんが多く登場する資生堂CMにおいて異色の存在ながら、特に石鹸等のトイレタリー商品その他でこの後資生堂CMに無くてはならないモデルさんになっていきます。

資生堂 CM - 電話ボックス/ナチュラルグロウ アクセントオンラッシェズ 1970 出演:山本純江 ほか

資生堂 1970年 MG5

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資生堂CM - イヤー/MG5 シャンプー - 1970 出演:草刈正雄

草刈正雄草刈 正雄(1952年9月5日 - )は、日本のモデル・俳優・歌手・司会者。福岡県小倉市出身。身長185cm、血液型O型。左利き。ブルーミングエージェンシー、バービィオフィス所属。

父親はアメリカ軍の兵士であったが、日本人の母親が草刈を妊娠していた最中、朝鮮戦争で戦死。中学生時代は貧しい家計を少しでも楽にしようと、小学生より新聞配達と牛乳配達の仕事を掛け持ちして登校した。福岡市で開催されたファッションショーを観に行った際スカウトされ、17歳で上京、高校も東京都立青山高等学校定時制に転校。東京都立青山高等学校卒業。

1970年にCMディレクター・杉山登志に起用される形で資生堂専属モデルとなり、MG5のCMで団次郎の弟分としてデビューし売れっ子モデルとなる。デビュー当初から甘いルックスと軽快な語り口で人気を得る。2年余りのファッションモデル時代を経て、野中マリ子の俳優養成所「野中塾」で演技を学び俳優へ転向する。鑑賞マニュアル 美の壺には、2009年4月3日放送から案内役を務める。

資生堂CM - 紹介/MG5 - 1970 出演:団次郎 草刈正雄 島野俊通

資生堂歯磨き

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資生堂CM - エコー歯磨き - 1970

パール歯磨 琺瑯看板1980年代までは生理用品や洗濯用洗剤、歯磨剤も発売されていた(資生堂本体が手がけたケースと子会社が手がけたケースとがある)が、売上不振によりいずれも撤退している。

明治23年に現在の資生堂の前身である福原商店が、日本初の練り歯磨き「福原衛生歯磨石鹸」と言う商品名で発売。続いて明治29年には、ライオンが販売を開始、ライオンは明治44年に、日本初のチューブ入り歯磨き粉「ライオン固練りチューブ入り歯磨」を発売。

資生堂CM - 歯磨エコーデンタル - 1970

資生堂 1971年

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資生堂 CM - 光と影/ビューティケイク - 1971 出演:大島あきよ

大島あきよ昭和46年 光と影 / ビューティケイク
音楽:櫻井順 出演:大島あきよ

第11回ACC化粧品部門ACC賞
ナレーションは来宮良子さん

煙の中に沈んでいるような街が、
光の中に沈んでいるように感じる朝がある
豊に揃った 資生堂 ビューティケイク

日本天然色映画株式会社制作
CMディレクター・杉山登志

資生堂 - エレベーターの2人/ナチュラルグロウ シルフィータッチファウンデイション - 1971 出演:丘ひろみ 塔あさみ

資生堂 1971年 CM

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資生堂CM - ブランコ/MG5 - 1971 出演:団次郎 草刈正雄

CMコマーシャルメッセージ(Commercial Message)は、本来「商業用の伝言」全般を指す。ラジオ・テレビの普及と共に、民間放送でラジオ番組・テレビ番組の前後や番組の途中に流される。短い広告放送のことを指すことが一般的。コマーシャル、CMと略される。お知らせという言葉が使用されることもある。広義のCMに対して、テレビ・映画・インターネットなどの「動画広告」を特に区別する場合はCF(commercial film)と呼称している。

英語圏で広告全般を意味する場合はアドヴァタイジング (英: Advertising) という。テレビで流されるものはテレビジョンアドヴァタイズメント (英: Television advertisement)、あるいはTVコマーシャル、アド、アド・フィルム、アドヴァート、TVアドヴァート (英: TV commercial, ad, ad-film, advert, TV advert) といい、英会話でCMやCFという言語が使われることはない。

資生堂CM - 落ちる猫/ブラバス アフターシェーブローション - 1971 出演:白石鈴雄

資生堂 1972年

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資生堂CM - ナチュラルグロウ - 1972

CM日本の民間放送局のうち地上波放送局、地上民放系BSデジタル局、ラジオ放送局は、CMを放送することでスポンサーから広告料と番組の製作費を「提供」されることで利益を得る。広告収入は、番組の制作・購入費の主要な財源でもある。インターネットにて番組コンテンツを配信する事業者も冒頭、終了前、中間などでCMを流している。テレビ・ラジオのCMは、ステレオ放送が多くなっており、2000年代からは5.1サラウンドステレオ音声収録のCMも登場するようになった。

視聴に際して料金が必要となるケーブル放送や、スカパー!・WOWOWなど一部衛星放送では、視聴者からの契約料収入があるため、テレビCMを放映しない放送局もある。CS放送も行っている一部の地上波放送局では、過去に放送された番組の再放送時は番組中のテレビCMの放送を一切行わない局もある。但し無料放送時には、その番組に関連したCMなどを流す場合もある。

資生堂CM - ナチュラルグロウ シフォネット メイクアップ化粧品 - 1972

資生堂 CM - ナチュラルグロウ口紅 - 1972

資生堂 1972年 CM

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ボディサーフィン 1972年 資生堂サマーキャンペーンCM

LOGO CM公共放送局であるNHKは広告を流すことによる収入を得ていない。例外的にACジャパンによる公共広告のCMはある。また、公共放送たるNHKのトーク番組やバラエティー番組などでゲスト出演する俳優やタレントらが出演するCMを「ACC CM情報センター提供」という形でCMを流すことはまれにある。2013年3月22日に放送された「放送記念日特集「テレビ~60年目の問いかけ~」」では、「CMと連動したスマートフォン向けクイズ」を紹介時に「ミスタードーナツ」のCMが音声無しで流れた。

一本のCMの時間はテレビでは15秒か30秒が多く、ラジオでは20秒から1分程度のものまである。会社名や商品名のアナウンスだけの5秒ものもあるが、日本のテレビでは現在では15秒か30秒に統一されている。1970年代初頭までは、番組本編中に画面下部にテロップでCMを入れることも日常的に行われていた。

資生堂 CM - シフォネット - 1972

資生堂CM - ヘア リムーバー - 1972

資生堂 ギャラック

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資生堂 CM - 露天風呂/ギャラック スキンクリーム - 1972 出演:二瓶正也

資生堂 ギャラック1971年にスクエアなデザインの「MG5 ギャラック」が発売されていたが、こちらは1980年代中期に製造中止になった。「我々の異性は女性です!」「女性にご注意」 このキャッチフレーズが特徴的。

「ウルトラマン」のイデ隊員役でも知られる二瓶正也さんは立派な揉み上げがトレードマークだが、何気ない日常を描いた30秒のCMでも観るものを惹きつける際立つ個性がそこにはあるのかもしれない。二瓶さんは当時、カルビーサッポロポテトバーベQ味のCMにも出ていた。

『ウルトラマン』撮影時、台本のセリフの「兎に角(とにかく)」が読めず、アラシ隊員役の毒蝮三太夫に冗談で「ウサギにツノ」だと教えられたのを真に受けてNGを連発し、ふざけているのだと思われて飯島敏宏監督を怒らせたことがあった。

資生堂 CM - 床屋/ギャラック アフターシェーブローション 1973 出演:二瓶正也 伊藤るり子 ほか

資生堂 CM - 借り物競争/ギャラック ヘアトニック - 1974 出演:二瓶正也 伊藤るり子 ほか

資生堂石鹸

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1971年CM 資生堂 オリーブ石鹸 ACCグランプリ 出演:新宿葵幼稚園児

資生堂石鹸資生堂ホネケーキ工業株式会社は大阪府茨木市に本社を置く化粧品・石鹸等のトイレタリー製品の製造を行う企業。資生堂の持分法適用関連会社である。

化粧品・石鹸・雑貨類、医薬部外品の製造販売・輸出入や、動物用医薬部外品の製造販売・輸出入を目的としている。生産された化粧品・石鹸は資生堂のもとで販売されている。

同社が製造し資生堂から発売されている「ホネケーキ」は、1958年から発売され続けるロングセラー製品であり、近年では生産量は少なくなったものの、英語のHoneyとCakeを合成して出来た造語で、製造段階で原料に蜂蜜が使われていることから、その名が付いた。また同社が製造する化粧品・石鹸などのブランドの総称でもある。

資生堂 CM - リサオンステージ/石鹸 - 1973

資生堂 CM - 雪の降る夜は/石鹸- 1973

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資生堂 1973年

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資生堂 CM - 影も形も・軽井沢/シフォネット オートマスカラ - 1973 出演:エミリー吉田 佐藤佑介 ほか

TV CM世界的に見て10 - 15秒程度の短いテレビCMが主流なのは、日本と一部の周辺国のみである。かつては5秒というものもあり、一部のローカル局では今でも放映されている。最近は提供広告で30秒枠も増えている。アメリカやヨーロッパは分単位が多い。フランスなど一部の国では、CM枠開始時と終了時にアイキャッチが入る。これはフランスが番組本編とCMの間にはCMの告知を挟むことを法律で義務づけているためである。
日本を含むアジア圏では、1つのテレビCMが終わると、すぐ次のテレビCMが流れることが多いが、欧米ではテレビCMとテレビCMの間、テレビCMと番組の間に黒バックのフェード効果が挿入されている場合が多い。

資生堂 CM - 影も形も・図書館/シフォネット オートマスカラ - 1973 出演:エミリー吉田 佐藤佑介 ほか

資生堂CM - シフォネット - 1973

資生堂 1973年 CM

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資生堂 CM - 窓いっぱいの夏/アクエア ビューティケイク - 1973 出演:丘ひろみ 神野アラノ

CM日本で最初にカラーで放映されたテレビCMは、1962年のトヨペット・コロナ。砂塵を上げながらドラム缶を蹴散らすもので、「スタント・ドライブシリーズ」の中の1つとして放映された。カラー放送を意識して、赤・青・黄色のドラム缶が登場する。日本で最初にステレオで放映されたテレビCMは、1978年のスコッチメタルテープ (3M) 。当時関東地区で音声多重放送を開始したのは、日本テレビとTBSだけで始めに1秒程度画面下中央に“ステレオCM”と表示されて放送された。

日本で最初に二ヶ国語で放映されたテレビCMは、1979年のNECの音声多重放送対応テレビ「語学友」である。このテレビは二ヶ国語放送受信に重点を置いてスピーカーを一つしか持たないモノラルテレビのスタイルで音声多重放送が受信できるというものだった。植木等をキャラクターに起用。主音声の日本語では「これで日本も安心だ!」などという節をつけたりしていたが、副音声の英語は純粋に男声での商品説明であり、完全な対訳ではなかった。このCMでは前述のステレオCMの時と違い特に二ヶ国語放送の旨は表示されなかった。

資生堂CM - サマーローション - 1973

資生堂 ブラバス

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資生堂 CM - 帰ってまいりました/ブラバス スキンコンディショナー - 1973 出演:白石鈴雄

CM mark2010年9月26日までは、45秒のテレビのスポンサーが存在していた。例えば朝日放送の新婚さんいらっしゃい!が該当する。

テレビショッピングは「CM」ではなく番組として扱うため、ほぼ無制限に放送できて収入になる。殆どのローカル局は深夜と早朝は毎日テレビショピングを放送し、深夜アニメに割り当てられる時間帯がない。BSデジタル放送の民放各局では、一日の半分近くがテレビショッピング番組の放送に割り当てられている。

ニュース速報などのテロップはCM中に流すことがない。またCMでウォーターマークは表示されない。これは「CMの時間が広告主のもの」であり、ニュース速報などの「余計なテロップ」を入れることは「無断で映像を改変する」ことになり「広告効果を落とす」というクレームを免れるためだが、震度5弱以上の緊急地震速報や津波予報と津波警報など大きな災害が予想される場合にはテレビCM中でも終日流すことがある。

資生堂 CM - ダム/ブラバス ヘアトニック - 1974 出演:白石鈴雄

資生堂 春の化粧品デー

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shise

前田美波里/加賀まりこ/秋川リサ/草刈正雄/上原ゆかり/団時朗
ジャネット八田/宮河久/奥山喜久子/島野敏道/長谷川照子/川田良子
内海ジュン/夏木ミミ/リッキー/大里リンダ(穂高ユリ)/小関マリ
エミリー吉田/佐藤祐介/ジョーエン・ガレッキ/札辻輝子

春の化粧品デー 1973年 資生堂

資生堂 クインテス

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資生堂 CM - 不思議な顔/クインテスフェイシャルパック - 1973 出演:伊藤るり子

伊藤るり子伊藤 るり子(1947年6月8日 - )は、日本の元女優。本名は、伊藤瑠史子だった。山形県出身。

東宝芸能学校を経て、1965年、映画『大日本ハッタリ伝』でデビュー。『さすらいは俺の運命』で小林旭、『東京は恋する』では舟木一夫の相手役として助演。日活青春映画の女優陣の一翼をになうようになる。同時にテレビドラマでも日活制作の石坂洋次郎シリーズの『山のかなたに』、『雨の中に消えて』、『あいつと私』などで松原智恵子とレギュラー出演するなど活躍した
。1973年の東宝『人間革命』に出演後、結婚して芸能界から引退した。

資生堂 CM - 可哀相な冬の素肌に/クインテスフェイシャルパック - 1974 出演:伊藤るり子

資生堂 CM - マッサージ3分/クインテスフェイシャルパック - 1975 出演:伊藤るり子
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