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Channel: スチャラカでスーダラな日々
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資生堂 1961年

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資生堂CM - ワゴン/香水 - 1961  出演:真鍋賀子

資生堂のCMコマーシャルは、時代と女性を映す。日本を代表する化粧品メーカーとして、常に「美」をリードしてきた資生堂。移りゆく時代を鮮やかに切り取ったテレビCMの中から、選りすぐりの名作を集めた資生堂のCMを紹介します。一世を風靡したスター達、街中で耳にしたヒット曲の数々。懐かしくて新しい、名作映像の数々をお楽しみください。

昭和36年(1961年)と言えば、カラーテレビの試験放送から僅か1年後。当時としては、破格の制作費だったそうです。今見てもまるで古臭さを感じないです。

株式会社 資生堂は、東京都中央区銀座七丁目5番5号に本社を置く、化粧品の製造や販売を中心とする日本の企業。国内第1位の化粧品メーカーで、世界では第5位。登記上の本店は東京都中央区銀座七丁目の資生堂銀座ビルだが、実質的な本社機能は東京都港区東新橋一丁目の汐留タワー(日本テレビ向かい側)内に移管。

商号の由来は、中国の古典『易経』の一節「至哉坤元 萬物資生」。「資生」は中国清代の文献に良く見られ、日本語で「経済」と翻訳された時期がありました。

シンボルマークは「花椿」と呼ばれ、資生堂に関連する活動にも「椿」の名称がよく用いられます。このシンボルは1987年に広告での使用を中止し、1989年以降は製品からも外すなど対外的な使用を取りやめていましたが、2004年に復活しています。

資生堂CM - キャンディトーン/キャンディトーン口紅 - 1961 出演:馬渕晴子 滝瑛子 中沢典子 真鍋賀子

資生堂 1962年

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1962年 資生堂CM ティーンズ化粧品「トランプ」 出演:吉永小百合

資生堂のCM上下の映像は、いずれもDVD「資生堂のCM」には未収録の作品です。

1962年 資生堂CM ティーンズ化粧品「トランプ」には当時17歳の吉永小百合さんが出演しているんですが、とても愛くるしいですね。ただ綺麗なだけじゃなく、知性と品格がある稀な女優さんです。CMでは、慣れない踊りと引き際の不自然さが微笑ましいです。後で踊っている4人は、何者なのか不明です。

資生堂商品は世界的にも品質の評価が高く、欧米でも高級品として定着しています。また近年ではアジア(特に中国)での成長が著しい。過去には生理用品や洗濯用洗剤、歯磨剤も発売されていましたが、売上不振によりいずれも撤退。資生堂は、第一勧銀グループの一員です。

1962年 資生堂CM「プリオール新発売」 出演:安西郷子

1962年 プリオールプリオール 1961年(昭和36年)より発売
昭和30年代後半の高度成長期に「ドルックス」に替わる高級スキンケア・ヘアケアブランドとして開発された。白とベージュを基調にしたパッケージは、装飾性をできるだけ抑え、ややストイックな印象を与える。ドルックスの重厚で華美な品格に対する、新しいイメージの表現に力を注いだデザインである。特長的な唐草文様は、山名文夫によるもの。資生堂 企業資料館より抜粋

資生堂 1962年 CM

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資生堂CM - シャーベットトーン/シャーベットトーン口紅 - 1962 出演:安西郷子 青松真砂 高橋美恵 真鍋賀子

資生堂 男子用化粧品資生堂のコーポレートスローガンは「一瞬も 一生も 美しく」である。かつてのスローガンには「ヒトを彩るサイエンス」などもあった。またテレビ・ラジオ番組での提供クレジットでは、長らく「東京・銀座 資生堂」というフレーズが用いられてきた。

2000年代に入り、100以上に増えすぎてしまったブランドを整理・統合し、新ブランドなどに集約・特化する「メガブランド構想」を打ち出し大再編に踏み切る。低価格品や普及品分野においてはSHISEIDOを冠さない方針により、エフティ資生堂の商品は「資生堂」の文字が外され「FT」としたが、すぐに復活。コスメニティ事業では「FITIT」と名乗ったがどちらも浸透せず、ブランド価値が分散した。組織をブランド単位に分割する施策は縦割りの弊害を招き、元に戻された。

資生堂CM - レディは清潔さがお好き/ドルックス 男子用化粧品 - 1962 出演:藤村有弘 加賀まりこ

資生堂 1963年 CM

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懐かしのCM - 資生堂 - ファッションベイル - 1963 出演:高橋美恵

杉山登志杉山登志(1936年8月7日 - 1973年12月12日)は、日本のCMディレクター。本名は、杉山 登志雄。テレビ草創期から数多くのテレビCMを製作し、国内外の賞を数多く受賞。天才の名をほしいままにしたが、自らのキャリアの絶頂にあった1973年12月12日、東京都港区赤坂の自宅マンションで首を吊って自殺。享年37。

1962年(昭和37年)に資生堂のCMの制作を開始。1963年(昭和38年)「資生堂ファッションベイル サイコロ」で同僚の葛上周次と第10回カンヌ国際広告映画祭テレビCM部門銀賞を受賞。国際賞の受賞は、日本のCMで初の快挙。ご褒美がわりに現地に行き、朝から晩まで世界のCFを見続けた。杉山はヨーロッパ的「オシャレ」を表現する「物語性」を自分の持ち味とした。当時の「中進国センス」にマッチして、広告の新たな流れを導いた。

資生堂CM - サマーサマー/ビューティケイク - 1963 出演:高橋美恵

資生堂 1963年

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資生堂CM - 日光の秋/ドルックス オーデュベール - 1963 出演:札辻輝子

杉山登志1973.12.12、杉山登志は遺書を残し、37歳で自殺した。

「リッチでないのに リッチな世界などわかりません 
 ハッピーでないのに ハッピーな世界などえがけません 
 夢がないのに 夢を売ることなどは…
…とても 嘘をついてもばれるものです」

代理店を通さずに広告主と直接取引きする「直システム」を最大限に利用。現場ではすべての部門の最終権限を握り、絶対的な存在だった。

一方で部下を育てる能力にも秀でており、杉山グループと呼ばれるスタッフ集団を形成。その中から弟の傳命をはじめ、宮口敏雄、結城臣雄、木村俊二、永井三樹男、長沢佑好など後のCM界を担う才能が巣立った。1960年からその死まで、資生堂を中心に500本以上のCMを制作した。CMソングの作詞をする事もあり、自身が手がけた資生堂CM「サマーローション」(歌:大滝詠一)は彼の作品。

資生堂CM - オリーブ石鹸 - 1963

資生堂 1964年

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資生堂CM - ヨット/カーマインローション - 1964 出演:札辻輝子 高橋美恵 田中芳子 高瀬恭子

資生堂この頃の資生堂CMは白黒が多い。1960年代初期のようにお金をかけられなくなったのか、はたまた家庭のテレビに白黒がまだ多かった時代に合わせたのか不明。資生堂CMの仕掛け人である杉山登志が、既に亡くなっているので当時のCM作成背景を想像するしかない。

杉山登志にとってこの時代のCM作成は自身の黎明期でしかなく、前田美波里を捉えた文学的な名作CMの登場まであと3年は待つことになる。

資生堂CM - 白鳥/ドルックスコールドクリーム - 1964 出演:鈴木美恵子 札辻輝子

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資生堂 1964年 CM

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資生堂CM - ガンスコープ/MG5 - 1964 出演:ジェリー伊藤

花椿資生堂青春アワーは、1964年3月22日から同年8月30日まで日本テレビ系列の日曜19時00分 - 19時30分(JST)に放送されたテレビドラマの放送枠の名称。資生堂の一社提供。

資生堂は1958年5月以降、『光子の窓』→『スタジオNo.1』→『あなたとよしえ』といったミュージカルバラエティ番組を提供した後、1962年5月より継続中のホームドラマ『ママちょっと来て』のスポンサーになり、続くホームドラマ『ホラ、しあわせが』までを提供していたが、1964年3月より内容を一新したドラマを放送する枠を設置した。内容は若者向けとし、主演者にも若手の俳優を起用した。そして放送期間も約1ヶ月サイクルとした。

番組ではオープニングキャッチが存在。若い男女の様子を映すと、アニメの手紙の中からタイトルカードが登場した。エンディングも有り、若い女性3人が夜の銀座を歩き、一人がバックを開けると資生堂の商標「花椿マーク」が現れて銀座の夜を動き、最後は銀座に所在する「資生堂本社ビル」のネオンサインの「花椿マーク」に重なるという物だった。8月30日放送の『回遊魚』をもって終了、総本数は5本だった。資生堂一社提供の30分ドラマは、本シリーズが最後となった。

懐かしのCM - 資生堂 - 青春アワー - 1964

Make-Up Tokyo

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資生堂CM - メイクアップトーキョー - 1964

Make-Up Tokyo'64年「メークアップトウキョー」(口紅・ネイルエナメル)。この年の春のキャンペーンは秋に控えた東京オリンピックを意識した「東京の24時間を彩る色を口紅とエナメルに」と言う訳で東京の24時間を闊歩する女性達が次々登場します。このキャンペーンが評判を呼び、口紅がずいぶん売れたそうです。

資生堂のCM DVDには収録されていない作品なので出演者を特定できません。ちなみにMake Up Tokyoは、映画館で放映されていたCMだそうです。白黒画像のため色の違いが分からないにも関わらず広告として機能しているのは、当時の資生堂というブランドの圧倒的な支持率と信用の証拠でしょう。

資生堂CM - Make Up Tokyo - ネイルエナメル - 1964

Make Up Tokyo
Make Up Tokyo・・・現代にも通用するセンスのあるポスターです

資生堂 1965年

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資生堂 CM - さわやかな奴/男子用化粧品 - 1965 出演:ジェリー伊藤

資生堂 男子用化粧品資生堂は1959(昭和34)年、それまでの男性化粧品を統一し「資生堂男子用化粧品」として新たに発売していた。「ブランド戦略」は、まだなかったものの販売面は好調。まだ、液体整髪料は含まれていなかった。

資生堂が液体整髪料「資生堂MG5リキッド」(香りはラベンダー、ジャスミン)を発売したのは、1963(昭和38)年2月だった。半液体の「資生堂MG5ソリッド」とともに発売され、当時の価格は300円。他社からも次々と液体整髪料が発売され、男性化粧品業界はさながら液体整髪料革命が起こった。

ちょうど資生堂男子用化粧品がリニューアルするタイミングだったのに合わせ、それを基本に整髪料のMG5を加えた。アイテムは全23種類。ブランド名は既に広く知られているMG5。1967(昭和42)年8月1日、総合ブランドとしての「MG5」が完成し、全国一斉に発売された。若者向けであるため、平均価格は600円と低めに抑えられた。

資生堂CM - チェリーピンク/チェリーピンク口紅 - 1965 出演:高橋美恵

資生堂 1965年 CM

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資生堂CM - タンゴ/スペシァル口紅・プレスドパウダー - 1965 出演:札辻輝子 ジェリー伊藤

ジェリー伊藤ジェリー伊藤(1927年7月12日 - 2007年7月8日)は、日本の歌手、俳優。アメリカ合衆国・ニューヨーク生まれ。本名ジェラルド・タメキチ・イトウ。

英米で活躍した伝説的な日本人ダンサー・振付師、伊藤道郎の次男。妻は日本舞踊家の花柳若奈(本名:伊藤栄)で、作家山口瞳の妹。1970年代に活躍した歌手のデイビッド&ミシェルは、ジェリーと花柳の子供。『モスラ』 の不良外国人役など多くの映画やテレビドラマ、CMやミュージカルなどでも活躍した。1995年からNHK教育テレビ『英語であそぼ』に出演したが、放送終了直前の1997年に脳溢血で倒れ、途中降板した。

トワ・エ・モワや越路吹雪の歌唱で知られる『誰もいない海』は、1967年、NET『木島則夫モーニングショー』に出演していたジェリー伊藤の「今週の歌」のために書かれた曲である。2007年7月8日午前8時(日本時間同日深夜)、肺炎のためロサンゼルス市内の自宅で死去。79歳。

資生堂CM - パレード - 1965 出演:ジェリー伊藤

資生堂CM - ナリシングパック - 1965

資生堂 1966年

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資生堂 CM - バレンタイン/男子用化粧品 - 1966 出演:ジェリー伊藤 高橋紀子

高橋紀子高橋 紀子(1946年9月19日 - )は、日本の女優。山梨県甲府市出身。本名:山本 紀子。趣味はボウリング、ジャズ鑑賞。

1963年に山梨英和高等学校を中退し、東宝へ入社。東宝ニュータレント4期生。1964年の『ひばり・チエミ・いづみ 三人よれば』でデビュー。

大きな眼のキュートな魅力に溢れ、着実な歩みで1969年度制作者協会新人賞を受賞。これから大きく飛躍すると期待された1970年に俳優の寺田農と結婚し、芸能界から引退。寺田とは2006年に離婚している。

出演作品
映画(全て東宝配給:クレージーキャッツ共演作品のみ抜粋)
日本一のホラ吹き男(1964年6月11日) - 飲み屋の娘
花のお江戸の無責任(1964年12月30日) - てる
無責任清水港(1966年1月3日) - お美代
クレージーだよ奇想天外(1966年5月28日) - 芸者小花
クレージーだよ天下無敵(1967年1月14日) - 松野みどり
クレージーの大爆発(1969年4月27日) - 坂内澄江

テレビドラマ
ウルトラQ 第23話「南海の怒り」(1966年6月5日) - アニタ

資生堂 CM - 帰港/男子用化粧品 - 1966 出演:ジェリー伊藤 前田美波里

資生堂 1966年 CM

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資生堂CM - 香水禅 - 1966

香水禅昔の「ゼン(禅)」:1964年発売。黒い日本的でシックなボトル。
今の「ゼン(ZEN)」:2000年発売。白い現代風なボトル。

共に香りの成分は、孟宗竹・伽羅・杉苔・フローラル。昔のと今の違いはフローラル。今でも黒いボトルの「禅」は発売されている。

東京オリンピックを機に、欧米では日本趣味が再流行。資生堂も海外マーケット向けの化粧品開発に取り組み、日本の文化を象徴するものとして知られる「禅」を香りに表現した香水を発売した。

黒漆塗りの落ち着いたイメージのボトルに、高台寺蒔絵を基にした秋の野や庭に咲く草花を金泥で描き、東洋の幽玄を表現している。

資生堂CM - 美波里二役/サンオイル・サンスクリーン - 1966 出演:前田美波里

資生堂 1967年

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資生堂CM - 渚にて/ビューティケイク メイクアップローション - 1967 出演:前田美波里 団次郎

前田美波里'67年「渚にて」のロケ地はハワイ。まだCMの海外ロケは珍しかった時代です。モデルは初代サマーギャルの前田美波里さんと団次郎さん。来宮良子さんのナレーションが、落ち着いた優雅なひとときを感じさせます。現在では考えられない贅沢な作りの60秒CMです。このCM作品のディレクターは、杉山登志さんです。

いまどき、こんな文学調のCMなんてなかなか見られません。いかに今のCMが無駄だらけで放送しているか、如実に分かるCMだと思います。ギリギリ生まれる直前のCMなので、リアルタイムで見られなかったのが残念です。

資生堂CM - サンオイル - 1967 出演:前田美波里 団次郎

資生堂 1967年 CM

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資生堂CM - 京に生きる/ドルックス コールドクリーム - 1967

ドルックスドルックスは、1932年(昭和7年)に発売された戦前の最高峰ブランド化粧品。容器の材質も吟味され、瓶に玉ガラスが採用されている。前田貢によるパッケージデザインは、伝統的な唐草模様をモダンに洗練させた逸品である。意匠部の創設以来、西欧のデザインを基礎に様々な試行錯誤を繰り返しながら追求してきた資生堂の唐草文様の到着点と言える。

ドルックスのパッケージデザインは、戦前に前田貢が完成させた「カリグラフ」に戦後は山名文夫が挑み、フランス・ロココ調の唐草文様をベースに、よりデコラティブな新しい唐草を生み出した。デザインは新しくなったものの、優雅で上品なたたずまいは継承されている。

資生堂CM - 大ズーム/スペシァルナイトクリーム - 1967 出演:札辻輝子

資生堂 MG5

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資生堂 CM - ユーエブリデー/MG5 - 1967 出演:団次郎

団次郎1967~1971年にかけて、資生堂専属モデルだった団次郎さんの出演されたCMです。1971年に帰ってきたウルトラマンの主役・郷秀樹役に抜擢され、子供たちの人気者となりました。日本人の母とイギリス系アメリカ人の父との間に生まれたハーフです。それにしても、彫が深すぎますね(>_<)

MG5は、資生堂から発売されている男性用化粧品のブランド。「日本初の本格的男性化粧品ブランド」との位置付けをしており、1963年のブランド誕生以来、今日まで発売され続けている。

1963年にモダンなデザインの透明ボトル入りヘアリキッド、ヘアソリッドの2品目で発売開始。他社製品に対抗するため、多品種を揃えたラインナップへと変更、社内では若手が中心となって企画を練り上げた。マーケティングではイメージを強調する戦略を展開し、ネーミングはイギリス製のスポーツカーMGと「Modern Gentlemen」の頭文字を取って「MG」、「5」は「ベタベタしない」「テカテカ光らない」「ソフトに仕上げる」「栄養を与える」「簡単に洗い落ちる」以上5つの特長を意味している。

資生堂 CM - ブルドッグ/MG5 - 1968 出演:団次郎

資生堂 MG5 CM

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資生堂CM - ブルドッグ/MG5 - 1968 出演:団次郎 ジェリー伊藤 中山仁

資生堂 MG5MG5の成功の要因の一つとして印象強いパッケージデザイン、これはアメリカ的な機能主義の精華とも位置づけられるが、西欧の「ギンガムチェック」、日本伝統の「市松模様」にも見受けられる普遍的な配色を基本としながらも黒と銀の大胆な色使いにより、若者の新たなライフスタイルに相応しい、新鮮さ・男らしさ・若々しさをアピールするなど徹底した斬新さを打ち出した。こうして1967年8月、従来「資生堂男性化粧品」と総称されていたヘアケア・スキンケア・フレグランス製品を含め一連の製品を統合、日本初の「本格的男性化粧品」ブランドとしてMG5は生まれ変わる。これらの型破りとも言われるデザインは、当時資生堂の社内上層部でも厳しい反発の声があがったが、今では資生堂の歴史に残るものとなった。

全盛期にはシャンプーやオーデコロンなど、全23種類の製品が存在したが、現在はヘアトニック、ヘアリキッド、ヘアソリッド、ヘアクリーム、ポマード、チック、ヘアスプレー、シェービングクリーム、アフターシェーブローション、スキンクリーム、スキンコンディショナーの全13種類となっている。また別タイプのブランドとして、1971年にスクエアなデザインの「MG5 ギャラック」が発売されていたが、こちらは1980年代中期に製造中止になった。

資生堂CM - ヘアリキッド/MG5 - 1968 出演:団次郎

資生堂 1968年

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資生堂CM - 客船/カーマインローション - 1968 出演:我妻マリ ほか

我妻マリ我妻マリ(あづままり)さんのプロフィール

1968年に資生堂のイメージモデルとしてデビュー。身長約170cm。1970年代にはイッセイやヨウジの国内ショーや海外ブランドの来日ショーに多数出演。1977年に日本で開催された「6人のパリ」というイベントに出演したことがきっかけとなり、そのイベントで来日していたモンタナ氏やミュグレー氏からパリコリ出演のオファーを受けて渡仏。1978年から1982年まで、国際的モデルとして活動し、パリコレにてイッセイ・モンタナ・ゴルチエなどの世界的ブランドのショーに出演した他、ミラノ・ロンドン・NYコレクションでも活躍。

1983年からは国内に復帰し、ファッションアドバイザーなどとして活動していたが、1986年からは第2期となる国際的活動をスタートし、1988年までパリでショーモデルとして活躍。2000年代に入ってもショーモデルとして多数のショーにゲストモデルとして参加。

資生堂CM - ドルックスモイスニングクリーム - 1968

資生堂 1968年 CM

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資生堂CM - メイクアップ印象派/クリームパクト(L) - 1968 出演:岸さおり ほか

岸さおり1968年「メイクアップ印象派/クリームパクト」。冒頭、かなりの時間無音状態が続いてびっくりさせられます。CMは10秒以上連続して無音状態ではいけないと規定があるので、それを逆手に取った演出です。

映像は印象派の名にふさわしく、かなり実験的かつ先鋭的で物静かな描写が続きます。キャプチャ画像は、Photoshopの自動カラー補正で修正しました。吸い込まれそうな瞳のモデルさんは岸さおりさん。製作は、CMディレクターの杉山登志さんです。

資生堂CM - スペシャルプレスドパウダー - 1968 出演:高橋美恵

ティナラッツ CM

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資生堂CM - ピンクポップ/口紅・ネイルカラー - 1968 出演:ティナラッツ(当時17歳)

バニーラッツ(正面)ティナラッツ(横)右側の写真は、稀代の美人姉妹バニーラッツ(正面)とティナラッツ(横)です。1968年と1970年と1977年のCMに妹のティナラッツさん、1969年から1970年まで姉のバニーラッツさんが出演しました。撮影当時は、まだ17歳だったそうです。

ティナラッツさんは、不二家LOOKチョコレートのCMにも出ています。ほぼ資生堂専属CMタレントだったバニーラッツさんとは違いました。こちらのブログにも書かれている通り、ティナラッツさんは1995年に亡くなっています。姉のバニーラッツさんは御健在でしょうか?

日本人の特性かも知れませんが、私は目鼻立ちの整った女性が大好きです。姉のバニーラッツさんが極めて目鼻立ちが整った典型的美人なのに対し、妹のティナラッツさんは少し影のあるような美しさと言った感じです。姉妹とも数年は、資生堂のCMに出演して欲しかったものです。

資生堂CM - ティナの電話/ラブインカラー口紅 - 1970 出演:ティナラッツ(当時19歳)

電話なんて信じない1970年「ティナの電話」(ラブインカラー口紅)。「電話なんて信じない♪」の軽快なCMソングにのって意地でも電話に出ない女心。モデルは、ティナ・ラッツさん。仕草や振る舞いにティナの魅力全開で、なかなかおしゃれなCMです。

このラブインカラーのCMを演じる「ラブインガール」は他に4人いて、一人ずつ主人公のものが週替わりで放送されていた画期的なCMでした。ちなみに、来週のラブインガールは街田リーヌさん。黒沢年男さんの奥さんですね。このCMでは2秒くらいしか現れないので、画面をキャプチャーしてじっくり御覧ください。
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