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植木等ショー 植木等の大カンチガイ
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ニッポン高度成長物語

日本経済が飛躍的に成長を遂げた時期は、1954年(昭和29年)12月(日本民主党の第1次鳩山一郎内閣)から1973年(昭和48年)11月(自民党の第2次田中角栄内閣)までの約19年間である。
1968年には国内の郵便番号制度とユーロクリアができて、それから手形交換制度のオンライン化が急速に進んだ。また、第一次世界大戦における勝利以降、日本がイギリスやアメリカなどと並んで「五大国」の一国に数えられていた昭和前期の日中戦争の前後から、第二次世界大戦後期においてアメリカ軍による日本本土への空襲が激しくなり工業生産に影響が出てくる1944年前後までの期間も、軍需に支えられた統制経済下にあるとはいえ経済成長率自体は高度成長期に匹敵する。
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ライバルは、1964年
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バブル景気
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バブル崩壊

内閣府景気基準日付でのバブル崩壊期間(平成不況(第1次平成不況)や複合不況とも呼ばれる)は、1991年(平成3年)3月から1993年(平成5年)10月までの景気後退期を指す。
バブル崩壊により1973年(昭和48年)12月から続いた安定成長期は終わり、失われた20年と呼ばれる低成長期に突入した。
バブル崩壊という現象は単に景気循環における景気後退という面だけでなく、急激な信用収縮、土地や株の高値を維持してきた投機意欲の急激な減退、そして、政策の錯誤が絡んでいる。
バブル経済時代に土地を担保に行われた融資は、地価の下落によって、担保価値が融資額を下回る担保割れの状態に陥った。各事業会社の収益は、未曾有の不景気で大きく低下した。こうして、銀行が大量に抱え込むことになった不良債権は、銀行経営を悪化させ、大きなツケとして1990年代に残された。
また、4大証券会社(野村證券・山一証券・日興証券・大和証券)は、株取引で損失を被った一部の顧客に対して「損失補填」を行なったため、証券取引等監視委員会設立のきっかけとなった。
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ブラタモリ 弘前


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弘前の禅林街

長勝寺まで続く並木道沿いに建つ、長勝寺を含む33の曹洞宗の寺院が林のように並木道に沿って建っていることから禅林街と呼ばれる。寺院の数から禅林三十三ヶ寺の通称がある。同じ宗派の寺院が、まとまって建っている場所は全国でも稀。
弘前藩の2代藩主・津軽信枚が、長勝寺を当地に1610年、弘前城築城とともに種里(現:西津軽郡鯵ヶ沢町)から移したことから始まり、当時領内で主になっていた曹洞宗の寺院を当地に集める。また、時の2代藩主・信枚が禅林街を弘前城の南の要にするほか、宗教文化の統一を図ろうとしていたことが背景にある。
禅林街の立地は、弘前城から見て南西の方角にあたる。北東の鬼門に対し南西は裏鬼門となり、弘前城を守っている。鬼門の北東には弘前八幡宮が鎮座していて、その近くには邪を摘むと言う意味を転じて茶を摘む意味がある茶畑町が存在する。
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禅林街ドローン空撮
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禅林街の勝岳院


私自身は無宗教ですが、禅宗の寺にお墓があるので禅宗と言うことになるのでしょう。佐山家の墓地には、イケメンのおじいちゃんが眠っていますzzz
スキー選手でありRestrant Sayamaのオーナーでもあった佐山久蔵は、私が産まれた年に亡くなりました。1968年のことです。生まれたての私にその頃の記憶なぞあるはずもなく、赤ん坊の私を抱いたらしいのですが、病気!?でその年に亡くなってしまいました。せめて、私が30くらいになるまで生きていてくれたら良かったのですが…
その佐山久蔵が亡くなってから今年で50周忌になります。おばあちゃんはもう少し早くにお亡くなりになって50周忌をやったので、佐山久蔵の50周忌も恐らく行われるでしょう。今の会社は休みの都合が付けやすいので、今年の50周忌(2017年11月12日)は久々に勝岳院へお墓参りに行きます。

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法要の日取り
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五十回忌法要


五十回遠忌とも言います。遠忌とは50年ごとに営まれる回忌法要の事です。最後の法要は「弔上げ(とむらいあげ)」といいます。弔上げというのは、「今後は故人の個人的な法事・法要はせずに、ご先祖様として供養する」という意味です。
こういった意味から、できるだけの知人、親族を集め盛大に行いましょう。同窓会のような雰囲気で和やかに行います。また、年忌法要を打ち切るということで「年忌止め」ともいいます。一般的には五十回忌からは遠忌(おんき)といいいます。
追善供養・年回については、四十九日法要まではインドで、百か日法要から三回忌までは中国、それ以降は日本で慣習化されたものです。
江戸時代までは、三十三回忌までで、三十七回忌・五十回忌が行われるようになったのは明治以降です。日本の仏教の一部では、神仏習合の影響により、三十三回忌・五十回忌をめどに「祖先神」として一体化すると考える場合もあります。
一周忌は亡くなってから満一年目に行ないますが、他の年忌法要は満年数マイナス一年で行ないます。ですから五十回忌の法事・法要は満49年目の命日に行ないます。
例えば、2017年に亡くなった場合、一周忌法要は2018年。
五十回忌法要は50年目の2067年ではなく、49年目の2066年に行います。
また年を重ねると、供養する対象も増えてきます。七回忌以降は、他のご先祖様の法事・法要と合わせて行うこともできます。これを「併修」といいます。併修を行うときは、命日が早い御先祖様に合わせた日程で行います。
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2016 弘前ねぷたまつり
=合同運行=
2016.8.1 弘前ねぷた合同運行
2016年8月1日に弘前市一番町の津軽塗田中屋前で運行された津軽情っ張り大太鼓の様子を御覧下さい。この大太鼓は、一番最初に見える合同運行のすぐ後に出てきます。大太鼓とねぷた囃子の登場で、ねぷた祭りが一気に盛り上がります。最近は女性の叩き手が増えました。大太鼓の上にも乗っている女性がいます。


≡ミス桜≡



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社会福祉法人 東豊福祉会
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笹森町子供会
笹森町子供会・絵師 山内崇嵩
‥扇ねぷた・小型の部‥
2016.8.1 笹森町子供会
2016年8月1日に弘前市一番町の津軽塗田中屋前で運行された笹森町子供会のねぷたです。今年で通算24年目の運行です。笹森町子供会のねぷたを描いた絵師の山内和人さんは、一昨年秋に50歳の誕生日を迎えたのを機に山内崇嵩(しゅうこう)さんへ改名されました。



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浜団ねぷた愛好会
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常盤坂子供会
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城北町会子供会
城北町会子供会・絵師 山内崇嵩
2016.8.3 城北町会子供会
2016年8月3日に弘前市中土手町のルネス街で運行された城北町会子供会のねぷたです。




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昭和町ねぷた愛好会
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地主ねぷた
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弘前銀座街協会
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