東北電力ねぶた愛好会・ねぶた師 穐元 和生
津軽藩初代藩主津軽為信の三男信枚は、慶長十二年、父為信の死により家督を継承した。二代目藩主となった信枚は、慶長十六年に鷹岡城(のちの弘前城)を築き、津軽地方の政治経済の中心となり、その後、青森を開港して江戸への航路を開設するなど、藩の経済基盤を確立した。家督相続のお礼言上に江戸へ伺候した際、南光坊天海に弟子入りした信枚は、天海の影響を受け、鷹岡城の建設にあたり、「四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)が四方(東西南北)を守護する四神相応の地」の思想を用い築城している。
また徳川家康の養女であり信枚へ輿入れした満天姫とともに知恵を絞り、津軽藩に降りかかった数々の危機を乗り切り、今日までの繁栄の礎を築いたと言われている。四神のうちの朱雀は、「平安招福」の意味を表しており、ふりかかる災いを取り除き、幸せで円満に日々を過ごすことができるようにとの想いをこのねぶたに託しています。
津軽信枚と朱雀・鏡絵津軽信枚と朱雀・送り絵津軽信枚と朱雀・囃子方太鼓写真・記事の無断使用不可