1989年5月に起工式を実施、同年8月より川崎・木更津の両人工島部の海上と浮島町で地盤改良工事に着手した。本体工事は二重の円形に組んだジャケットと呼ばれる鋼管トラス製の構造物の間に、厚さ2.8m・内径98m、鉛直方向119mの円筒形の鉄筋コンクリート製地中連続壁を構築し、内部の海水を抜き連続壁内側のジャケットを撤去したのちに内側を掘り進む工法が採られた。最下部まで掘削後、底に厚さ0.5mの均しコンクリートを打ち、人工島下部の骨格となる10分割されたプレハブブロックの据え付けを開始した。
1993年11月14日、均しコンクリート下の基礎砕石層の水抜きパイプから水が噴き出しているのが発見された。当初は一日2000トンだった出水は24日後には一日5000トンに達し、人工島水没の危険が生じ始めた。一日1万トンの井戸水を注水し、水圧のバランスをとり出水を抑える方法が講じられたが、それでも水位は上がらず12月2日には海水の注入が開始された。水圧のバランスが取れたところでセメントミルクや水ガラス系薬液での補修やディープウェルの補強が講じられ、1994年3月7日から再び排水を開始した。鉄部は錆防止のため、真水で洗浄された。
アクアトンネルは上下線2本のシールドトンネルで構成され、浮島と木更津人工島から川崎人工島方面、川崎人工島から浮島と木更津人工島各2台ずつ、合計8基のシールドマシンで掘削される。川崎人工島には1300トンに分割されたシールドマシン4基がクレーン船で搬入された。
その発進地点として地中連続壁の撤去が必要となる。当初はジャイアントブレーカーで壊す予定でいたが予想以上に強度があり、厚み2.8mのうち2.6mを発破で壊し、残りをジャイアントブレーカーで破壊する方法が採られた。1994年8月より掘削開始、1996年8月までに完了した。そして東京湾アクアラインは、1997年12月18日に開通した。