東京湾に横断道路を建設する考えは、1958年に千葉県と木更津市他4市町村が建設促進の要望書を出すなど昭和30年代前半には存在していた。昭和40年代後半の建設省案では川崎側・木更津側各1/3を橋梁、その中間を沈埋トンネルとするものであり、川崎側の人工島も現在の木更津人工島(海ほたるパーキングエリア)同様、斜路でトンネル部と橋梁部を接続する構造となる計画であった。
しかし、船舶航行量調査で川崎側の航行が過密であること、川崎側は木更津側に比べ水深が深く基礎の構築に多額の費用を要すること、羽田空港に近く、川崎人工島131m、浮島53mの高さ制限があるため高い主塔を必要とする吊り橋の採用も困難であることに加え、シールド工法の進歩から、1985年に川崎側2/3をシールドトンネルとすることを決定した。