全国のフグの消費量のうち6割を大阪が占めている。この数字からも大阪人のフグ好きは間違いないようだ。大阪人とてっちりの歴史は古く、今や高級食材とされるフグも、昔は庶民の味だった。
昭和22年に大阪市条例でフグ食が解禁となる。これを機に、フグを扱う料理屋が一気に増えた。づぼらやでは、翌年、身とアラのダシに豆腐と青ネギを入れた「ふぐ汁」を考案。フグは身が少なく、食べるところが少ないが、アラからは品のよい上等なダシがたっぷりととれた。これがてっちりの原型となったとされている。
てっちりが生まれたのは昭和30年頃。「昔は一人前160円で、気軽に楽しめる庶民の味でした。家族でわいわい楽しむ大衆料理だったんです。ファミリーレストランの先駆けと言えるかもしれません」とづぼらや取締役の西島さんは言う。
その後、てっちりを扱う店が急増。35年頃には一般的な外食メニューとなり、38年にづぼらやがテレビでCMを流し、多くの人が行き交う道頓堀にも店を構えると、ますます「てっちり」は大阪の食として浸透していった。40年代に入ると市場やスーパーでもフグが販売されるようになり、家庭の鍋として定番化した。
なぜフグ鍋と“てっちり”と言うのか。「てっちり」の言葉の由来は、鉄砲の塵(ちり)から来ているという説が有力だ。「毒があるけど、旨いから食べる」正に大阪人の喰い道楽がてっちり文化を育てたのだ。さらに、鉄砲の“鉄”と、大阪で水炊きのことを指す“ちり”が合わさってできたと言われている。