ジャズ界の趨勢がモード・ジャズからフュージョンに移行中の1960年代終盤、マイルスのグループを離れ、主に著名ミュージシャンのセッションのサイドマンとして無数のレコーディングに参加。
70年代には、76年からのハービー・ハンコック、フレディ・ハバード、トニー・ウィリアムズらによるV.S.O.P.クインテットや、ハンク・ジョーンズによるグレート・ジャズ・トリオなどのバンドにも名を連ねている。VSOPクインテットは日本のFMラジオでも、たびたびオンエアされた。
一方で、ピッコロ・ベースという新楽器を開発し、ソロ楽器としてのベースの可能性を追求した。ピッコロ・ベースはコントラバスより小さくチェロより大きい楽器で、コントラバスの4本の弦のうちE弦(最低音の弦)を廃して、最高音であるG弦の上にさらに4度上のC弦を配したものであり、チェロ同様に椅子に座って演奏する。
以降、ベース、ピッコロ・ベースを持ち替えて多くのセッションをこなす。ピッコロ・ベースにおいては自己の9人編成コンボであるロン・カーター・ノネットの結成、そしてベースでもグレート・ジャズ・トリオをはじめとするレギュラーグループや、トミー・フラナガン、ローランド・ハナ、シダー・ウォルトン、ゴンサロ・ルバルカバ、ハンク・ジョーンズ、ジム・ホール、ハービー・ハンコック、ヒューバート・ロウズといった名手と競演を重ねる。またアントニオ・カルロス・ジョビンのセッションにも参加したことから、ボサノヴァ音楽への傾倒と理解も厚い。