高津 臣吾(1968年11月25日 - )は、元プロ野球選手。広島県広島市南区出身。主に抑え投手として4ヶ国のプロ野球リーグで活躍し、NPB歴代2位の通算286セーブ、史上2人目となる日米通算300セーブを記録している。 2014年シーズンより東京ヤクルトスワローズ一軍投手コーチを務める。
広島県立広島工業高等学校3年の時、春夏通じて甲子園に出場したが、控え投手だったため登板機会はなく野手として出場した。亜細亜大学では小池秀郎に次ぐ2番手であった。東都大学リーグ通算40試合に登板し11勝15敗、防御率2.34、140奪三振。1990年のドラフト会議でヤクルトスワローズが3位指名で交渉権を獲得し契約金5500万円、年俸700万円で入団。
入団当時は先発投手として期待されていた。プロ入り後、長い年月をかけてシンカーを熟成させ頭角を現す。1993年5月2日には松井秀喜にプロ初ホームランを献上するも、チームのリードを守り切り高津もプロ入り初セーブを記録。この年抑え投手に転向し、20セーブを挙げてヤクルトのリーグ優勝、日本一に貢献。1994年には、プロ入り初のタイトルとなる最優秀救援投手を獲得。
1997年はシーズン序盤の不調と伊藤智仁の復活と抑え転向によって中継ぎ投手として起用されるが、チームの日本一に貢献。1998年はシーズンを通じて不調で抑え投手の座を失う。1999年は監督の若松勉の就任とともに抑え投手に復帰し、最優秀救援投手のタイトルを獲得。
2001年に最優秀救援投手を獲得、チームのリーグ優勝および日本一に大きく貢献。日本シリーズでは連続無失点。2003年に佐々木主浩の持つ通算229セーブのプロ野球記録を更新。最優秀救援投手を獲得。