ホーナーは1987年にプレーでの活躍のみならず、ヤクルト製品CMの出演料や、著書「地球の裏側にもうひとつの野球があった」の原稿料など、しめて5億円を稼いだと言われている。ヤクルトのCMでは「おなかに菌力」と日本語のセリフを放った。また、サントリー缶ビールのCMでは薬師丸ひろ子と共演している。
ボブ・ホーナーの活躍した当時は、このようなCMが作られたこともあり割と親しみを持てるキャラクターだった。1987年オフにヤクルトは翌1988年もホーナーと契約すべく、3年間で総額15億円と当時では破格の条件を提示(この年、ロッテから中日へ移籍した落合博満の年俸が1億3千万円)。ホーナー側とほぼ合意した。
ところがホーナーはヤクルトとの契約を白紙化し、ジャック・クラークをヤンキース移籍で失い、クラークに代わる四番打者の補強を急務としていたセントルイス・カージナルスと1年間総額約1億円の契約で合意し入団した。後に「日本は大嫌い。地球の裏側まで来て、ベースボールとは言えない代物をプレーしたくない。戻らなくていいのなら、いくらでもいいから契約してほしい」と代理人に泣き付いたのがその真相だったと報じられ、その侮辱的な言葉は日本プロ野球のファンや関係者に強いショックを与えた。なおホーナーは後の著書では、上記の発言はマスコミの誤報だと釈明している。また日本での生活を「とてもエキサイティングだった」という発言も残した。
1993年、ホーナーはヤクルトのユマ春季キャンプに臨時コーチとして招聘された。当時監督だった野村克也のたってのリクエストにより実現したもので、ホーナーはミーティングで「バッティングは80%が頭で決まる。データを駆使して、投手の配球を読んで打つんだ」と持論を展開した。この講義に野村は「我が意を得たり。俺と同じ考えだ」と舌を巻いたという。