ボブ・ホーナー(James Robert "Bob" Horner , 1957年8月6日 - )は、アメリカ合衆国アリゾナ州出身の元プロ野球選手(内野手)。「赤鬼」「黒船」などの異名を持つ。1986年オフにFA宣言したが、年俸高騰により各球団のオーナーが示し合わせFA選手を締め出したため、どこの球団とも契約できなかった。
浪人寸前のところを1987年4月13日にヤクルトスワローズへの入団内定、背番号は「シーズン50本塁打」という期待を込めて50に決まった。ヤクルトでのデビュー戦(5月5日対阪神4回戦、神宮)の来日第3打席で仲田幸司の初球の外角低めの速球を905グラムの日本製バットで叩いて右翼ポール際へ1号2ラン本塁打。翌6日の2戦目では池田親興からなんと3本のソロ本塁打を放った。1回二死での第1打席(来日第5打席)に0ボール2ストライクでの3球目真ん中低めのスライダーを左翼へ、3回の第2打席は3ボール1ストライクから四球、5回無死での第3打席は2ボール1ストライクでの4球目内角高めの速球を左中間へ、7回無死での第4打席はフルカウントでの6球目外角高めの直球をバックスクリーン中央へ叩き込んだ。2試合目の本塁打は3本とも打った瞬間にそれと分かるものであり(3本合計の推定飛距離380m)、その際の観客の反応も大歓声というよりは、明らかに呆気にとられたような歓声と拍手が多くを占めていた。
当時のヤクルトスワローズは、万年最下位と言われるようなチーム状態でとても歯がゆい思いをしていた。この頃は大学二年生で札幌に住んでいたので、ヤクルトスワローズの札幌主催試合が行われた札幌円山球場には毎年のように観戦に行った。札幌ではHRを打っていなかった記憶があるが、ホーナーの打席を生で堪能できた。