1966年1月7日、少年野球ファン開拓のためという理由に加え、フジテレビで鉄腕アトムが放送されていたことや手塚治虫が当時球団後援会副会長だったという経緯もあって鉄腕アトムをペットマークに使い、チーム名をサンケイアトムズ( Sankei Atoms )に、運営会社名を株式会社サンケイアトムズに改称。同年ヤクルト本社が株式を取得して球団運営に参加。これに伴い球団旗も当時の産経新聞の社旗をアレンジしたものを使っていた。
1969年、産経新聞は本体の業績不振のため株式の一部をヤクルト本社へ売却。球団経営に積極的だった産経新聞・フジテレビジョン社長の水野成夫が病に倒れ、後を継いだ鹿内信隆がフジサンケイグループの事業見直しを行った結果、不採算だったプロ野球球団経営からの撤退、資本関係のみの継続を決めたもの。
当時、ヤクルト本社は水野とは旧知の間柄だった南喜一が代表者を務めていた。経営権はヤクルト本社が握ったが、表面上は共同経営とし球団名をアトムズ( Atoms )と、運営会社名を株式会社アトムズ球団とした。これは2リーグ分立以降でチーム名に企業名・地域名などの冠名がつかない唯一の例となった。
1973年、62勝65敗3分けの勝率.488にてチームは2年連続の4位に終わり三原は監督を辞任。11月26日、虫プロダクションの倒産に伴い、鉄腕アトムのキャラクター使用を中止。10月26日、球団名を株式会社「ヤクルト球団」、チーム名を「ヤクルトスワローズ( Yakult Swallows )」に変更。キャラクターも、ツバメをモチーフにしたものに変更。