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Channel: スチャラカでスーダラな日々
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俺ら東京さ行ぐだ

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俺ら東京さ行ぐだ

吉幾三 俺ら東京さ行ぐだ「俺ら東京さ行ぐだ」は、歌手・吉幾三が1984年(昭和59年)11月25日に発表した楽曲である。作詞・作曲とも吉幾三が手掛けた。主人公が故郷の田舎を出て、東京へ出ようとする歌詞である。日本語ラップの元祖とも言われる。

吉は1977年(昭和52年)に最初のヒット曲「俺はぜったい!プレスリー」を発表した後、ヒット作に恵まれない低迷期が続く。アメリカのLPレコードでラップ音楽に触れ、そこから着想を得て作った。本楽曲を各レコード会社に売り込むも、全て断られてしまう。最終的に千昌夫が数百万円で吉から原版権を買い取り、この千の支援により1984年(昭和59年)11月25日に本楽曲がリリースされた。

本作は当時のオリコンでは演歌チャートではなく「フォーク、ニューミュージック」チャートでランクインしていた。ラップ音楽の特徴であるプロテストソングを盛り込んだところに特徴がある。この歌の歌詞が吉の出身地の言葉である津軽弁と勘違いされることも多いが、津軽弁とは全く異なる。津軽弁では「わ、東京サ行ぐでァ」。

吉幾三本人が後日語ったところによると、歌詞の「テレビもラジオも電話もガスも電気も無い」など自虐的な部分が、発売当初は出身地である青森県北津軽郡金木町から「うちはそんなに田舎じゃない」と猛抗議を受けたという。

また、日本中の小さな農村から「ふざけるな!!」「オラたちの村をバカにしてるのか!?」と凄い数のクレームが押し寄せてきたとも語っている。しかし、彼自身の幼少期は本当に歌詞の内容と近いものだったという。一方で、曲の全国的大ヒットを喜ぶ人も地元に多くいたという。

「レーザーディスクは何者だ?」と歌詞にあり、後日製造元のパイオニアから「レーザーディスクの宣伝になった」ということで、吉にレーザーディスクの再生装置と一部の映像ソフトが贈られた。

俺ら東京さ行ぐだ 吉幾三(1984)

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