最勝院五重塔は、寛文7年(1667年)に完成した旧大円寺の塔で方3間、総高31.2m(相輪含む)である。津軽藩3代藩主津軽信義、4代津軽信政の寄進により、前後10年以上をかけて建立された。
国の重要文化財指定の五重塔としては日本最北端に位置する。心柱は角柱で、初層天井から立つ。江戸時代建立の塔であるが古式を残し、軸部の逓減率が高く、バランスの取れた優美な塔である。初層は正面のみを連子窓、他3面を丸窓とし、2層以上は窓や構造材の意匠に変化をもたせている。
この塔は、現在金剛山最勝院の所属であるが、昔は連光山大圓寺の 所属であった。藩祖津軽為信の津軽統一の際に戦死した敵味方の将士 らを供養するという本願を、大圓寺第六世の京海が立てた。そしてそ の帰依者は、三代目藩主信義公である。
寛文五年(一六六五)四代藩主信政公の帰依を 受けて工事が再開され、同七年に完成。同八年入仏供養式が行われ た。
平成四年から平成六年にかけて行われた全 面解体修理で、『寛文四年八月十日』の銘が初重の内法貫から発見さ れ、この頃の建設開始と推定されている。
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