最勝院(さいしょういん)は、青森県弘前市銅屋町にある真言宗智山派の寺院。山号は金剛山。境内には重要文化財に指定されているものとしては日本最北に位置する五重塔がある。
弘前ねぷたまつりで知られる弘前市の中心部、弘前城の南方の禅林街及び新寺町と呼ばれる地区には46の寺院が建ち並ぶが、その中で長勝寺と並ぶ代表的寺院であり、市民からは「五重塔の寺」として親しまれている。寺名はつぶさには「金剛山光明寺最勝院」と称し、院号は護国三部経の一つで密教色の強い『金光明最勝王経』に由来する。
江戸時代初期に弘前藩2代藩主津軽信枚が弘前城を築城したことに伴い、慶長16年(1611年)、城の鬼門(東北)に当った現在地より北に3kmほど離れた田町に寺院を移転し弘前八幡宮の別当寺とされた。12か寺の塔頭寺院を従え藩の永世祈願所となった。近世には僧録所として、津軽藩領内の寺社を統轄する立場にあった。
明治時代の神仏分離令により最勝院以外の11か寺は廃寺となり、最勝院は廃寺となった寺院の檀家衆を引き受けて現在地(旧大圓寺跡)に寺籍を移転した。神岡山大圓寺は、弘前市に隣接する南津軽郡大鰐町に移転している。ただし、市民からは今でも「大円寺」の俗称で呼ばれている。
元々弘前市本町に高校時代まで住んでいたので、大円寺は庭のようなものでした。昔は下の写真の左横にお好み焼き屋があって、お小遣いで良く食べに行ったものです。ここでも宵宮がありますが、大円寺の宵宮と弘前市民は言っています。
写真のみ管理者に無断での使用・複製・転載・流用禁止