弘前城本丸の鷹丘橋は、内濠を隔て、本丸と北の郭に架かる橋です。弘前城は、1628年(寛永5年)に改称される以前は、鷹丘城(高岡城)と呼ばれていました。
鷹丘橋という名は、由緒ある城の旧名にちなんだものと思われます。この橋は1670年(寛文10年)、4代藩主信政)が母の屋敷のある北の郭を行き来するために架けたとされます。藩政時代は、敵の侵入を防ぐため、戦時には壊される架け橋でした。
右と下の写真は、北の郭の舘神跡近くから眺めた鷹丘橋の様子。杉の大橋や下乗橋と異なり、橋げたが低いのが特徴です。これは、弘前公園の敷地全体が南から北に向かって緩やかに傾斜しているためです。
北の郭から鷹丘橋を撮ると、写野の反対側に鬼門くずしが映ります。鬼門くずしは明日のブログで記事にします。
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