下乗橋は内濠を隔て、本丸と二の丸に架かる橋です。藩政時代、二の丸側には下馬札が置かれ、藩士は馬から降りるよう定められていました。下乗橋の名は、そのことに由来すると思われます。
築城当初、橋の両端は土留板でしたが、1811年(文政11年)に石垣へ直されました。
藩政時代は、戦になると敵の侵入を防ぐため壊される架け橋でした。そのため今に見られる立派な姿ではなく、簡素なものだったと思われます。
例年、弘前城さくらまつりの入場者数は下乗橋の交通量を基に算出されています。記念写真を撮るのには絶好のポイントですが、シーズン真っ盛りにはとにかく大混雑となります。
管理者に無断での使用・複製・転載・流用禁止