「棒二森屋」は、「金森森屋百貨店」および「棒二荻野呉服店」をルーツとする。北海道函館市若松町(函館駅前)にある日本の百貨店である。
「金森森屋百貨店」は、1863年(文久3年)に長崎から函館へ移住して昆布など海産物の輸送を営んでいた大分県出身の初代渡辺熊四郎が、1869年(明治2年)に北海道函館市大町で北海道初の洋品店であった「金森森屋洋物店」として創業。1925年(大正14年)12月に渡辺商事株式会社が、「四階楼」に時計台を配置した鉄筋コンクリート造3階建の新店舗を建設して金森森屋百貨店を開業する。
一方の棒二荻野呉服店は、1882年(明治15年)に滋賀県神崎郡(後の栗見荘村)出身の荻野儀平が、北海道上磯戸切地で「棒二荻野商店」として創業、呉服を扱ったのをルーツとして、1931年(昭和6年)10月2日にはシャンデリアのある催事場や食堂、エレベーターなどを装備した4階建500坪を超える大規模な新店舗に全面的な建て替えを行って本格的に百貨店化した。 両店は、将来的な函館駅前発展を見込んで店舗の移転・拡張を目指し、相馬合名会社の支援を受けて1936年(昭和11年)6月12日に合併して株式会社棒二森屋を設立した。
合併翌年の1937年(昭和12年)10月1日に函館市高砂町(現・若松町)に5階建の新店舗を開業して合併の目的だった函館駅前進出を果たし、第2次世界大戦前後の混乱を乗り越えて、1965年(昭和40年)には売場面積6,513m2で札幌以外ではトップとなる売上高26.9億円を上げて、丸井今井函館支店の15.0億円(売場面積4,979m2)に大差をつけて函館の地域一番店となるなど道南を代表する百貨店に成長した。
1956年(昭和31年)に制定された百貨店法(第2次)では丸井今井函館支店と共に法律の適用を受けながら競争し、寄合百貨店として規制の対象外で1959年(昭和34年)に開業した彩華デパートや1968年(昭和43年)に開業した和光デパートとは共に同じ函館駅前・大門地区で競いあうなど地場資本同士で激しい競争を繰り広げていた。