函館ハリストス正教会は、1858年(安政5年)、日本で最初のロシア領事館が箱館に置かれたことに端を発する。1859年(安政6年)、初代ロシア領事、ゴシュケヴィツチは、現在の教会所在地にロシア領事館の敷地を確保。その附属聖堂として1860年(安政7年)、日本で最初の正教会の聖堂「主の復活聖堂」が建てられた。
1861年(文久元年)、管轄司祭ワシイリイ・マホフ神父の後任として、修道司祭ニコライ・カサートキンが来函(1912年、東京神田にて永眠。1970年「亜使徒日本の大主教聖ニコライ」として列聖される)、函館を拠点とした正教の伝道が始まる。
1868年(慶応4年)、函館において最初の日本人三名の洗礼が行われた(パウエル澤辺琢磨、イオアン酒井篤礼、イアコフ浦野大蔵)。
1882年(明治15年)、管轄司祭として初めて日本人の司祭ティト小松韜蔵が着任し、次第に日本の正教会として根付いていく。
1907年(明治40年)の函館大火で焼失した初代聖堂に代わって、1916年(大正5年)、現在の聖堂が建てられた。1983年(昭和58年)、聖堂が国の重要文化財に指定される。
1996年(平成8年)、鐘楼の鐘の音が環境庁より「日本の音風景百選」に認定される。