手描きで作られる絵のぼりの魅力は、なんといっても1枚ごとに異なるところです。同じ下絵でも、描く人によって、一つずつちがう鐘馗様が表現されます。江戸時代から昭和初期までは、市内にあった7件のお店が、特色ある絵のぼりを作り、端午の節句を彩りました。
しかし東京オリンピックの後は、プリントされた絵のぼりが多く出回るようになり、お店をたたまざるをえない状況になってしまいました。残ったのは、吉野屋1件だけ。大野修司さんは、「正直、続けることが大変な時期もありました。でも、私の父はあきらめませんでした。本場・中国で絵を学び直したり、屋内でもかざれるかけじくタイプを生みだしたんです」と言います。
新しい絵のぼりの形を提案し続けた師匠であるお父さんの背中を見て、6代目を継ごうと決心した大野さん。「手とり足とり教えてもらったことはないんですよ。でも、少しでもまちがうと口うるさく怒られたものです」。絵を描きはじめたのは23才。仕上げまでを行えるようになったのは、それから20年以上後のことでした。