係留気球で広告文を吊り上げるアドバルーン広告は、日本では1913年に化粧品会社(中山太陽堂など)が使用したのが最初とされる。当初は広告気球と呼ばれていたが、第1次の隆盛期を迎えるにつれ昭和初期以降はアドバルーンが広く定着した。
1936年の二・二六事件では反乱将兵の鎮圧のため、帝国陸軍はビラやラジオ放送とともに「勅命下る軍旗に手向かふな」と書かれたアドバルーンを使用した。1930年代末以降になると、気球(アドバルーン)は兵器としても使用可能なことから民間での利用には制限がつくようになり、やがてアドバルーン広告は禁止された。
戦後しばらくもGHQの命令により禁止されていたが、講和条約以降は解禁され、昭和30年代から40年代には大量に用いられ、第2次の隆盛期となった。
アドバルーン広告は広告幕の文字の大きさの制限から広告を見るのに適した距離や高さ(仰角)があり、日本の都市部では超高層ビルの林立により宣伝効果が失われ、またコストが高いため懸垂幕をはじめとする様々なビル壁面広告に多くが置き換わったため、ほとんど見ることがなくなった。また、広告宣伝手段の多様化・発達により、相対的にコストパフォーマンスが低下してきたことも指摘されている。