「コダイグループ」で長年実相寺を支えた鈴木政信は、実相寺について「天才的頭脳の持ち主」とし、人柄としては「照れなのか自分を隠すほうで、本音はなかなか言わず、みんながいると“これやだ”とか言う」と語っている。池谷仙克は「非常に多面的な人物で、一個の人格として矛盾も多く、知らない人には誤解されそうで、どうも伝えにくい人」と評している。池谷によると、CMの打ち合わせから帰ってきて、平気で「降りた」と言われることもあり、これも「世界観のズレがあったから」という理由からだった。また反面、親しくなった相手なら、センスが合わなくとも「世界観?そんなのいいや」と依頼を受けてしまう人の良さもあった。
実相寺自身は、満州で見た大陸の地平線に沈む真っ赤な夕陽に強い印象を受け、その後日本へ引き上げる際に貨車から見た夕陽には不安や悲しみ、寂寥感などを感じたと、池田憲章との雑談の中で述べている。この発言を受けて池田は夕陽を背負う怪獣の描写について、怪獣が少年時代の実相寺と同じ悲しみの中にあったのだと解釈している。
映画監督としては日本人特有の民族性・風土をテーマにした作品で有名。ヤマト王権以前のまつろわぬ神々、日本原住民的なものへの興味は、こうした脚本家たちとの間で醸成され、『ウルトラQザ・ムービー』『帝都物語』にまで受け継がれている。とりわけ、石堂とはデビュー長編『無常』以下『曼陀羅』、『哥』のATG三部作でタッグを組み、京都・滋賀・福井にかけての陰鬱な景色を切り取りながらの強烈なディスカッションは、当時の日本映画に大きな衝撃を与えた。
作風はとにかく「エキセントリック」の一語に尽きる。特にアリフレックスなどの16mmキャメラの軽さを生かし、斜めからのアングル、「なめ」、「レフ板」を極端に排除して逆光を浴びる登場人物、ワイドレンズを使っての画面が歪むほどの接写といった特異なカットを多用した。
実相寺の撮影現場は一種独特な雰囲気であり、スタッフと友達のような関係を築きながら自らの世界に引き込み、スタッフは実相寺の高度なイメージの謎に魅せられながら仕事を共にするという、カリスマめいたものがあった。これを上原正三は、「いわば実相寺という宮司を中心とした、神事か祭のような現場だった」と表現し、「実相寺教の儀式めいた雰囲気があった」と述べている。これを受けて池谷仙克は、「創作者は一人で狂気の中に入っていくもの、また映画は大勢で狂気の世界に入っていく。そのある意味狂った儀式の中心に実相寺監督はいた」と語っている。