弘前城のすぐそばにある「丸富 川﨑染工場」。江戸時代からある建物で、情緒あふれる佇まいです。
藍染は、昔から日本人に馴染み深く、大きい町や村には必ず藍染を営む店があったと言われています。城下町弘前市もその例外ではなく、藩政時代の4代当主 津軽信政公のときに弘前城の西方に紺屋町を作り、百軒以上の紺屋がありました。現在も市内には「紺屋町」という住所が残っています。
丸富川崎染工場は、明治時代に一度閉鎖したものの平成になってから建物の床下から江戸時代に使われていた藍瓶などが数多く発見され、その道具を使って藍染の研究と継承を行っています。