銭湯と聞くと富士山の壁絵を思い浮かべる人は少なくないと思われる。大正元年(1912年)に東京神田猿楽町にあった「キカイ湯」の主人が、画家の川越広四郎に壁画を依頼したのが始まりで、これが評判となり、これに倣う銭湯が続出し、銭湯といえばペンキ絵という観念を生じるに至った。
銭湯のペンキ絵は関東地方の銭湯に特有のものであり、西日本の銭湯では浴槽が浴室の中央に設計されることが多いこともあり、壁面にペンキ絵はほとんど無い。図柄は浴場の主人による注文が基本であるが、富士山を主体とした図柄は男湯の浴室正面の壁面に描かれることが多く、女湯の浴室のペンキ絵は、富士山でなく幼児や子供が喜ぶ汽車や自動車が描かれることが多い。
2012年(平成24年)10月の時点でペンキ絵の絵師は関東で丸山清人と中島盛夫の2名を残すのみとなり、後継者の存続が危ぶまれている。
中島盛夫に9年間師事した弟子が、昨年5月に女性ペンキ絵師としてデビューした。上下のYouTubeには取材された様子が出ている。