銭湯は、客が入浴できるようにした日本の公衆浴場の一種。風呂屋(ふろや)とも、湯屋(ゆや)とも呼ばれる。
銭湯に描かれているペンキ絵は、大正元年(1912年)に東京神田猿楽町にあった「キカイ湯」の主人が画家の川越広四郎に壁画を依頼したのが始まり。これが評判となり、これに倣う銭湯が続出。銭湯といえばペンキ絵という観念を生じるに至った。ペンキ絵は関東地方の銭湯に特有のものであり、西日本の銭湯では浴槽が浴室の中央に設計されることが多いこともあり、壁面にペンキ絵はほとんど無い。図柄は浴場の主人による注文が基本であるが、富士山を主体とした図柄は男湯の浴室正面の壁面に描かれることが多く、女湯の浴室のペンキ絵は、富士山でなく幼児や子供が喜ぶ汽車や自動車が描かれることが多い。2012年(平成24年)10月の時点でペンキ絵の絵師は関東で丸山清人と中島盛夫の2名を残すのみ(早川利光は2009年(平成21年)4月13日逝去)となった。