佐山絹が東馬に嫁いだので、佐山家と東馬家は非常に近しい関係にあった。この写真も恐らく都内の東馬家で撮られたものと思われる。絹の旦那である東馬三郎が右上に映っている。子供以外は全て故人となっている。
右の写真は、昭和11年頃の佐山和子と東馬美智子と推定される。結構裕福な暮らしをしていたらしく、その生活が和子のワガママな性格につながった。私の母親の佳代子とは13歳も違っている。和子が長女でその間に何人も子供がいたが、結核などで中間子は全員死んでしまった。末っ子の佳代子だけが無事に生き残っている。
和子が健在な時に色々と当時の記憶を呼び起こそうとしたが、本人は過去の記憶を封印したがっているので何も分からない。現在和子は認知症となり、弘前市内の老人ホームに入居しているので写真に映っていない出生前の佳代子だけが写真の記憶が分かる唯一の人物となってしまった。
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