左写真の右側と右写真の中央が佐山絹佐山 絹佐山商店創業者・佐山久吉の三女。佐山久蔵の姉。平成一桁まで生存した。
晩年は認知症になり、私の存在すら分からなくなっていた。若い頃に過ごした弘前の良き日々を忘れられずに、いつまでも弘前弘前とつぶやいていた。
晩年の頃しか私は知らないのだが、弘前にいた時代は大変な美人ともてはやされた。巷では土手町小町とも呼ばれていたそうである。結婚の申し込みが殺到したので、都内に移住。そこで姓を変えて結婚した。夕方の記事に続く・・・
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