ザ・ドリフターズはいかりや長介が正式リーダーになった1964年のドリフ再結成以降が知られているが、結成はそれ以前1956年頃(クレージーキャッツと僅かに後輩)。結成当初からいかりやがメンバー入りするまでは音楽バンドとして活動。楽曲主体による音楽ネタなどを得意としており、テレビや映画出演が多くなるにつれコミックソング、コントやギャグが主体となった。
新生ドリフ初期メンバーの名付け親は、当時の所属事務所・渡辺プロダクションの先輩格でドリフのメンバー達にとって憧れの存在だった「クレージーキャッツ」のリーダー・ハナ肇で、アメリカの黒人コーラス・グループのドリフターズから拝借し命名。ドリフのメンバーにしてみると、ハナの独断に満ちた判断で適当に名付けられた感じがしたが、逆にインパクトがあり、今でも各人の名が覚えられる結果となった。なお、後に加入した志村は自分の父親の名前より芸名を決めた。
我が心の師、植木等先生が2007年3月27日に亡くなってから早や7周忌となりました。
しばらくの間、毎年恒例の植木等特集をやります。